真野純子著『宮座祭祀儀礼論』

評者:渡部 圭一
「京都民俗」28(2011.3)

一 はじめに

 宮座や頭役祭祀の研究者は、一般に祭祀や儀礼の側から入る立場と村落への関心から入る立場との二通りに分かれるようである。ただ戦後民俗学のなかで、少なくとも宮座が純然たる民間信仰史マターと目されるような機会はなく、その理論化はもっぱら村落社会研究や社会伝承論の専門家の手に委ねられている。宮座とは、それが一面では明らかに神事のための組織であり宗教的な営みであることを思えば、ある意味で奇妙な研究対象なのである。祭祀そして儀礼を標榜する本書『宮座祭祀儀礼論』は、そのような研究動向のねじれに自覚を促すとともに、社会伝承論アプローチからの脱却をはかってゆく新しい宮座論の騎手となるべき一書である。
 全体の構成は左記の通りである。

 第一部 理論編
 第一章 宮座のとらえかた
 第二章 行為にあらわれた宮座−頭人差定・頭渡しの意義−
 第二部 事例研究編
 第一章 若狭海山の神社祭祀と宇波西神事講
 第二章 近江三上の宮座にみる歴史と伝承−公文と座のありかた−
結 頭役祭祀と宮座−頭人差定と頭渡しをめぐって−

   二 歴史民俗学的手法

 本書の前半は、これまでも基本文献として読まれてきた「宮座論ノート」(一九七四年)を再録する他、それ以後の問題意識で書かれた一章を添えている。後半には若狭の宇波西神社(福井県三方上中郡若狭町)と近江の御上神社(滋賀県野洲市)をとりあげたモノグラフ二本を収める。両社とも中世の頭役祭祀の史料を擁し、研究史の上でも有数の研究蓄積を誇る事例である。と同時に、いまの神事が健在なフィールドでもあって、その意味では数百年スパンの長期的分析の可能性に開かれた歴史民俗学的手法の試金石である。なお巻末には「結」として理論編と事例編をふまえた総収がおかれている。
 いま歴史民俗学的手法と述べたが、これまで御上や宇波西で行われてきた歴史学的研究は、主に“中世”の復原に主眼をおいてきたといえる。一方、著者真野氏のスタンスはこれと異なるようにみえる。たとえば本書では、従来よく用いられてきた著名な中世期の史料から分析を始めるようなことをしていない。著者が掲げる史料はそれより多彩で、当屋の引き継ぎや祭りの場に貼り出される書付の類など、通常の歴史家の眼には“史料”とは映りそうにないものまで含まれている。歴史の復原のための史料という扱いを保留し、史料自体もまずはフィールドの現実のなかで捉える歴史民俗学のフィールドワークの視線を感じさせる。
 もちろんこれは著者が歴史叙述を避けているという意味ではなく、歴史を明らかにすることが著者の直接の目的ではないということを意味している。そうした考え方は、宮座を特定の時代性に結び付け、あるいは現代の宮座を遺制とみなす見解に強く反発する点によく出ている(四一・四五・一七八〜一七九頁など)。それでは本書が描こうとしているものは何か、著者の言葉を探していえば、おそらく「通時性をもった共通要素」(一六二頁)の解明といった狙いがそれに近いようである。言い換えれば本書の立場とは、時代的な負荷を受けない普遍性あるモデル化を図る点にある。

   三 差定主体論

 本書の論理的な達成点は二つある。ひとつはかつて萩原龍夫らによって論じられた頭役祭祀の変容と宮座の成立に関するシェーマに洗練の度を加え、よりいっそう分析的な枠組みへと成熟させたことである。もうひとつは儀礼論のアプローチの重要性を訴え、組織構造に偏重した研究を相対化し、とくに成員が一座する行動をとる必然性を論理的に明らかにしようと試みたことである。まずは前者について述べることにしたい。その手がかりになるのは、本書によってはじめて前面に出たといってよい、〈差定〉という宮座研究者にもなじみの薄いと思われる一つの用語である。
 差定(さじょう)とは、祭祀頭役制における頭人の選定に相当し、史料上では、中世の有力寺社の差定制度や頭役負担の回避をめぐる争論の事例を通して知られている。早くには萩原龍夫が『中世祭祀組織の研究』のなかで、荘園制度下における本所・本家による頭役の差定から、惣村や武士団の発展にともない集団内での互選への移行があったことを説いている。これは「頭を差し定められるという受動性」を特徴とする前者から、「頭役が上から差されるというより、座を中心にしてそこできまるという性格が濃くな」る後者への変遷として知られる議論である(1)。この図式を継承し、具体的に荘園鎮守社における領主側の頭人の差定から宮座が形成されていくプロセスを想定したのが、ほかでもない著者の「宮座論ノート」だったのである(一九〜二一頁)。
 本書ではこの点をさらにつぎのように敷衍する。まず頭役祭祀において重要なのは「誰が頭役を差定するか」(三一一・三二〇頁)である。そこでは差定はいわば集権的に行われ、差定主体と被差定集団との間には一方的な関係が結ばれる。ところが頭役祭祀が次第に在地の神事に取り込まれ、村落の側に主体が移っていくにつれ(三三三〜三三五頁)、差定主体は必ずしも明瞭な姿をとらなくなる。そこで前景化するのは頭役負担者どうしの連帯であり(三三四頁参照)、頭役を相互に渡していく横の結合関係である。真野氏はこれを「地域社会で踏襲されていった頭役祭祀では、頭人を差定するといった行為を温存させながらも、新たに頭渡しという行為を付け加え、しだいにそちらが主となっていったとかんがえられる」(三三六〜三三七頁)とまとめている。
 ここでは、さきの萩原の所説のなかで隠れた鍵になっていた頭役の選定スタイルの問題がちょうど脚光をあびた格好である。つまり頭役祭祀から宮座への移行とは、「指揮権」(三三七頁)を行使する差定主体の希薄化であり、言い換えれば一方的で非対等的な関係から対等で相互的な関係への変化であり、端的には縦の差定から横の頭渡しに比重が移っていく過程である。差定(頭差し)/頭渡しを対概念として位置づけ、頭役祭祀/宮座の通時的対比をそこに重ね合せることで明晰な再図式化を施した点は本書の最大の収穫である(2)。そのうえで後述するように、著者は頭渡しを衆人環視下で可視化する場面こそが“一座”儀礼であると規定し、そこに宮座成立のメルクマールを認めようとしている。

   四 組織か儀礼か

 かつて真野氏は「宮座論ノート」の最後のパラグラフを、「(宮座を)宗教・意識の問題として行事内容とその役割からもとらえ直すことの重要性を痛感する」(二六頁)という展望を述べて結んでいる。そのメッセージは、あらためて「宮座は組織そのものなのだろうか」(四五頁)と問い、「行為と組織の両面を照射したところに宮座概念をおくのが妥当とかんがえる」(五六頁)と説く本書に至って、ついに具体的な姿をあらわしている。これまでの宮座研究で漠然と自明視されてきた社会組織ベースの分析を反転させようとする視点もまた、本書によって得られた貴重な成果に数えることができる。
 著者は民俗学的な宮座概念の争点を、手際よく二者択一に整理している。すなわち特権的祭祀組織という成員資格の偏りに求めるか、成員が一座するという儀礼スタイルの特徴に求めるかである(四〇頁〜)。たとえ村座であっても一座の場に出るには資格の発効が必要だという事実(3)の捉え直しから、村座と株座に共通する包括的な条件すなわちこの“一座”規定が前面に出て久しく(4)、問題点を特権か一座かに絞り込む著者の行論に過不足はない。同じように、「研究者の関心はもっぱら一座する人々のほう、つまり組織に向かい、一座する行為と場のほうから何が読み取れるのかといった視角へは向かっていかなかった」(五一頁)と述べるくだりも巧みで、〈何のための〉一座か、また一座〈して何をするのか〉を見落としがちな従来の研究の盲点を突いている。
 こうしてみると先の差定と頭渡しのモデル的理解には、著者の儀礼論アプローチがいかんなく発揮されていることが分かる。さらに神前で座するといっても、その背後に特定の組織があるとは限らないとする指摘(四八頁)は新しい検討課題の提案であり、着座の空間配置から“向かい座”(五一〜五二頁)という列座の様式に注目した点もオリジナリティに富んでいる。宇波西の事例では、着座のシーンで初めて人々に伝わるメッセージもあるようだ(九五頁)。「一座」現象をそれ自身として、つまり“座そのもの”論として自立化させることで、一座のイーミックな意味を文脈的に捉えるフィールドワークの見通しも開かれるように思われる。

   五 一座をめぐる問題

 一座して何をするかという儀礼論の切り口と、宮座の形成をめぐるシューマティックな図式化、そのふたつが溶けあって本書を形作っている様子は以上にみたとおりである。そして繰り返し述べれば、集団“外”的な差定から集団“内”的な頭渡しへの移行のなかで、差定主体の埋没や差定権の共有化と並行するトレンドとして、頭人の負担を村落集団自身として公然化する場、すなわち“一座”儀礼の必然性が論理化されようとしている。たしかに座のない頭はあっても頭のない座はまずありえないから(三一九〜三二〇頁など)、これが一座の重要な機能を言い当てている蓋然性は充分にある。ただその一方で、本書には頭役制との通時的対比が貫かれているがゆえの制約も感じられる。それはとくに本書を宮座論として読む場合、一座の重要性は研究史批判の段階で先取されており、その後の事例分析の結果とは充分に呼応していない印象をうける点である。
 たとえば筆者は、一座とは「(頭渡しを)成員全員、あるいは代表者が座って見守る」(五四頁)機会であり、ひいては「地域社会への帰属意識を否応なしに高め」る装置であると主張するが(五五頁)、だとすれば一座儀礼とくに向かい座スタイルをもつ行事とそうでない行事(たとえば関係者だけの列座による頭渡し)との間に、その「装置」(一六三頁)としての働きに何らかの質的な違いがあることを例示するか、あるいは頭渡しを衆人環視下におくことと向かい座との間にある必然的な結びつきをより手厚く論証する必要がある。この点に不安を残す限り、一座規定による宮座概念にもまた無限の拡散の恐れがつきまとってくる。すくなくとも一座の儀礼化の契機を頭渡しに求め、一座の本質は頭渡しの可視化にありと断じるには、なおさまざまな批判が避けられないよう思われる(5)。
 それに加えて、本書の事例分析には、頭役祭祀と相対的に近い性格をもついわゆる当屋祭祀との関わりをどう扱うかの問題もある(6)。これは現実には宮座と連続的な事象として存立しているので、著者自身警戒するように(四二・一六一・三三三頁など)、一座儀礼をもつ当屋祭祀とそうでない当屋祭祀にあえて区別をたてる必要に迫られる。たしかに通常の頭人・当屋研究の視点は、役の輩出という組織制度面に偏重しがちだと思われるから、儀礼のレベルに注意を促す本書の意義は小さくない。だがやはり、右に述べたような一座の固有の意味付けが保留されている限り、一座儀礼は場合によっては当屋祭祀のサブカテゴリ、あるいは村落レベルの派生的な現象といった程度の扱いに陥ってしまうことを覚悟しなければならない。民俗学的な宮座概念が、これまでと同じような主導的な地位を占め続ける上では避けられない課題がここに暗示されている。

   六 差定主体再論

 一座規定との関わりで、もう一点触れておきたい問題がある。それは本書のストーリーとして、集団“内”的な頭渡しへの移行を重くみるあまり、神事の運営を過度に均質でフラットな仕組みとみなしてしまっていないかと懸念される点である。たとえば御上神社の芝原式で一座するのは差定主体側で(二二三・二七〇・二七七頁)、一般の被差定側とは区別された存在である。この点で、もし著者が御上の事例も含めて一座儀礼を「(地域社会への)帰属意識を高め、地域社会の秩序維持を確認する」(五五頁)と解釈しているとしたら、そこには微妙な温度差がある。別の箇所で正当に述べられているように、本来的に頭役祭祀では「頭役勤仕者の座的構成は必要とされない」(三三四頁)。伝承態としても、差定は村落ベースの組織化を必要とするとは限らず(7)、まずは互いに対立的な現象として論理化すべきである。
 総じて本書では“地域社会の秩序”といったモチーフのもとで、祭祀と地域社会をつねに一体化したものとして捉えている。“特権”規定を退けてきた立論の帰結でもあるが、それがかりに祭祀組織における意思決定の偏在や差定−被差定にみられる対立構造を捨象する面があるとすれば、そうした同質的にすぎる捉え方は首肯しがたいものがある。むしろ差定主体と村落内集団は、前者の単なる後退や埋没というより双方のせめぎあいの関係として分析すべき課題ではないかと考える。そこでは頭差し/頭渡しの対比もまた、歴史的な前後関係のなかだけでなく、現代の村落のシーンも含め、役の負担や意思決定のありかたに迫る共時的な分析モデルとして読み替えられる。そこで本書によって決定的なモノグラフが得られた御上神社の事例をもとに、若干の憶測を述べてみた。
 いわゆるずいき祭りの芝原式は十月十四日だが、各組ではその前夜に頭渡しを行っている。つまり芝原式に列座する頭人は、組内ではすでに引き継ぎを終えている。これを著者は「翌年の頭役確定を責任をもってすませてきている」(一九五頁)と表現している。個々の頭人からすれば、直接には各公文からの「呼び出し」で差定を告げられ(二一四頁)、頭渡しの場に参列するところから勤めをスタートさせる(ここで新頭人として芝原式に出るわけではない点にも注意を要する)。一見、芝原式は差足儀礼としての実質的な意味を減じ、組ごとの頭渡しと意味を分け合っているようである。あるいはこれは、総公文を頂点とする集権的な差定と、組という村落集団レベルの自主的な頭役管理との拮抗のすえの姿として理解できるのではないか。その意味では、近世以後を含めた組集団の動静や、記帳史料など頭役管理のありかたにあらためて興味をひかれる(8)。
 差定主体は一義的に埋没していくというより、中近世の移行期のなかで多彩な変遷をたどったと考えれば、“寺社主導”と“村落主体”を歴史的に対比してみせる著者の結論(三三三〜三三四頁)にも、ますます高い普遍性が期待できる。たとえば形骸化しながら籤が用いられている事例(三二三〜三二四頁)などは、決定権を神意に仮託して一定の宗教的な正当化を図る手続きといえる。一方、村落主導の典型というべき年齢秩序の宮座のケースでは、逆に年齢順というすぐれて世俗的な基準によって長老の権威が析出され、頭人選定や帳簿管理を正当化している。祭祀組織の非対等性や集権的構成に対する配慮はつねに払われてよく、この点で著者の投げかける差定主体分析とは、頭役の決定権やそれに連動する記帳史料の管理権、そしてその正当化論理の問題を、大胆に統合していく可能性を秘めている。

   七 むすび

 総じて宮座研究は、個別論文の夥しさのわりに研究動向とよぶほどのものが見出しがたく、著者も慨嘆するように(四一頁)、主要な概念をめぐる論理的展望をもたない宮座論を多産してきた経緯がある。ややもすれば形ばかりの各説紹介が繰り返されるなかで、明晰な骨格をそなえ、かつフィールドスタディによる実質化を図ろうとする本書の登場は、どれほど歓迎してもしきれないほどである。と同時に本書は空前の精度でなされた頭役制の事例研究であり、今後の頭役制研究に求められる水準を予告するものでもある。
 これからの宮座と頭役祭祀の議論への示唆に満ちた本書を前にして、右で汲みあげることのできた論点はごく限られている。とくに御上神社の研究は、同時並行で行われる儀礼の精査や「公文」の歴史的実体の解明など、長期にわたる現地調査と堅実な史料分析によってはじめて仕上がった大部なモノグラフで、ここではあまり触れることができなかったが、著者の議論のなかでも最大の見どころである。このあたりはぜひ本書そのものを紐解いていただきたいと思う。

 註
(1)萩原龍夫『中世祭祀組織の研究』(吉川弘文館 一九六二)、引用部分はそれぞれ七五頁、二一八頁。
(2)ただし個別の歴史過程としてみた場合、有力寺社の頭役祭祀と宮座の成立との関わりは本書の議論を経てもなお仮説の域を出ていない面はある(三三二頁参照)。主要な史料が出揃ってしまったいま、有力寺社の頭役祭祀が与えた影響を実証できるかどうかは楽観を許さない。
(3)肥後和男『近江における宮座の研究(肥後和男著作集第二期)』(教育出版センター一九九三)八二・九二頁など。
(4)福田アジオ「宮座の社会的機能」五来重ほか編『民俗宗教と社会(講座・日本の民俗宗教 五)』(弘文堂 一九八〇)七四〜七五頁。
(5)たとえば入座儀礼、年齢秩序、座順や座配、場合によっては神事そのものの執行など、一座のほかの側面を具体的な事例のレベルで述べることば簡単である。ただ本書がモデルとして頭渡しに注目したのと同じように、反論もまた論理的見通しをもってなされるべきである。
(6)頭人・頭役と当屋、あるいは頭役祭祀と当屋祭祀の差をどう理解するかは喫緊の課題である。頭差しという語彙は当屋祭祀でもしばしば聞かれるが、これを歴史的な差定と同一視するかどうかの問題もある。本書の場合、宇波西のケースではたしかにトウザシという言葉が用いられているが(一五〇・一六一頁など)、それは著者が頭渡しと論理的に対比してみせた差定の概念とは明らかに異なっている。評者としては、集団外の差定主体の存在をともなう差定は、それより多様化した伝承態としての頭差しとは区別し、頭役祭祀の語も前者に限って論理化しておくほうが妥当なように思える。
(7)拙稿「頭役祭祀の集権的構成−近江湖南の集落神社の一例−」(『京都民俗』第二六号、二〇〇九)。
(8)この点では、近年の改革の兆し(本書の注(4)および注(18)参照)もまた集落レベルの組織化の強まりの延長上で理解できるかもしれない。すなわち頭人を集落ごとに均等に出さねばならないという、より世俗的で操作的な条件が強まったとき、差定がどのように運営されるかはきわめて興味ある問題である。

再録にあたり、評者による傍点は、〈 〉で示した。


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