田村貞雄編『「ええじゃないか」の伝播』

評者:幡鎌一弘

「ヒストリア」222(2010.10)

 評者は、幕末・維新期の宗教を対象とするところから研究をスタートさせたが、そのとき最新のしかも大変刺激的な研究として、田村貞雄氏著『ええじゃないか始まる』(青木書店、一九八七年)、『日本史研究』三〇六号の「祭りと権力」の特集(一九八八年)があった。特に前者は、「ええじゃないか」の三河での発生・展開を丹念に明らかにされたもので、ここまでわかるのかと身震いしたことをおぼえている。
 「祭りと権力」は、二百人を集めた東海シンポジウムの成果であったが、本書は二十年余りを経て、昨年、京都・城陽市で開催された関西シンポジウムの報告書である。関西にちなんで京・大坂・奈良・但馬などの事例が報告されている。ただ、条件が違うとはいえ、この二十年余りの間に民衆運動に関する関心が低下してきたことを、あらためて感じざるをえなかった。しかし、研究は堅実に積み重ねられ、新たな展開の可能性を感じさせる一書であることは間違いない。

 本書には、田村貞雄氏によって研究会の経過がまとめられた後、中川博勝氏「南山城・京都への「ええじゃないか」の伝播」、田村貞雄氏「「ええじゃないか」の諸段階と東西南北」、長谷川伸三氏「京都豊年踊りと大坂の砂持ち」の三論考が収められている。次いで短編ながら、武藤真氏が名古屋、伊藤太氏が山城、松井良祐氏が但馬の事例を、それぞれの関心にしたがって掘り下げた。さらに、「ええじゃないか」全般について、木村直樹氏・和田実氏・ひろたまさき氏が、研究を回顧し展望的な一文を草している。
 中でも、田村貞雄氏は長年この問題を牽引し続けただけに、一つ一つの事例の点を線で結び、さらにそれを面的に展開させて、「ええじゃないか」の諸段階と地域的広がりについて行なった整理は、今後この問題を扱う時には、かならずや踏まえられなければならないだろう。冒頭の研究会の経緯と合わせ、研究史・文献目録は、目の届かない雑誌もあるだけに、今後の研究を深めようという者にとっては、大変ありがたいものになっている。
 中川氏や長谷川氏は、「ええじゃないか」の事実を確定しつつ、コレラ除けの参詣・豊年踊り・砂持ちなどの事例を丁寧にあげ、広い意味での都市祭礼の延長線上にあることを指摘した。これらもまた過去の研究の成果からもよく了解できることである。
 「ええじゃないか」発生の地点から、線として伝播の事実を明らかにしていく作業では、どうしても地域の違いや他の社会関係を捨象してしまいがちになる。伊藤太氏は「ええじゃないか」のひろがりと一見関係なさそうな俳諧のネットワークを取り上げているが、和田氏のいう「マクロ的な視点」ともかかわって、近年の文化史研究との接点を模索しているといえるだろう。同じような意味で、都市(城下町)祭礼についても、権力との関係を含め長足に進歩しているので、新しい見方の可能性もあろう。付言するならば、「ええじゃないか」の起点である「御鍬百年祭」も百年前の出来事を蘇らそうという地域の歴史意識の問題としても俎上に載せうるように思われる。

 評者も、短いながら、『新訂王寺町史』(二〇〇〇年)で文政十三年のおかげ参り・おかげ躍りを、また『宮津市史』(二〇〇四年)で、文政十三年のおかげ参りと幕末の「ええじゃないか」を扱った。それぞれの地点で明らかにできる事実はわずかでも、一人でも多くの人が本書に接し、「ええじゃないか」研究の可能性を知り、史料が発掘されていくことで、事件の点が線から面へと展開していくことを願っている。


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