荒川善夫・佐藤博信・松本一夫編『中世下野の権力と社会』

評者:小国 浩寿
「日本歴史」758(2011.7)

 本書は、この地域の中世史研究を牽引し続ける研究者たちが結集し、中世下野史研究の最新成果を世に問うた論文集である。それは、大きく二部構成の十三本の論文によって成っており、以下早速、配列順に各論文の概要を紹介する。

 総論の荒川善夫「戦国時代東国社会の様相−文献史学と考古学を通して−」は、北関東地域を中心とした戦国時代の社会的様相を、文献史学および考古学両分野から考察したものであり、これまで文献史学の分析を中心として描かれてきた災害・戦乱・飢餓に満ちた「悲惨」な戦国社会像を考古学的アプローチから再検討し、それを相対化する必要性を説く。

 「T 関東足利氏とその周辺」は、まず、久保賢司「鎌倉公方家の重代の家宝に関する一試論−成氏の登場と伝来家宝および喜連川足利家宝物小考−」は、鎌倉公方家の重代家宝の伝来状況から、相伝という点に関しては、基氏・氏満・満兼・持氏四代までの鎌倉公方と、五代鎌倉公方であり初代古河公方である成氏との間に途絶をみる。
 また、右論でも扱った鎌倉府体制から古河公方体制への移行期を、上級官僚たる奉行衆の動向によって歴史的に位置づけようとしたのが、植田真平「鎌倉府・古河公方奉行衆の動向と関東足利氏権力」であり、その特殊性が強調されてきた鎌倉府末期の持氏の体制が、あくまで既成の「鎌倉府体制」の枠組みに含有されるものである一方で、「古河公方体制」との断絶性は決して小さくないとする。
 続く、和氣俊行「『足利政氏書札礼』の歴史的性格をめぐって」は、古河公方政権における儀礼秩序が書札礼という形で可視化された「足利政氏書札礼」が、現実的な権力関係が流動化していた当時の東国社会にあって、礼における古河公方の地位保全を目的として成立し、それは、後北条氏を外戚とする古河公方義氏の登場まで機能したと結論づけた。
 さて、佐藤博信「戦国期の関東足利氏に関する考察−特に小弓・喜連川氏を中心として−」は、古河公方足利氏に比してその解明が進んでいない小弓公方足利氏の周辺の系譜関係を、女子をも含めて非系図史料から綿密に復元し、その子孫である近世喜連川氏研究への橋渡し、つまり中近世移行期の関東足利氏研究の進展に寄与せんとした論考である。
 また、阿部能久「中近世移行期の関東足利氏と那須氏の関係について」は、関ケ原合戦前後の時期を中心に注目しながら、小弓公方の系譜を引く喜連川氏と隣接する那須氏の両者がいかに強固な関係をもって近世へと移行していったかを、豊臣・徳川両政権との関わりのなかで跡づけた。

 「U 下野の地域権力とその周辺」は、まず、佐久間弘行「鎌倉期小山氏所領の展開をめぐる諸関係について−常陸・尾張での動向の検討を中心に−」は、鎌倉期の小山氏領、特に常陸・尾張の遠隔地所領の展開と小山氏周辺における仏教の動向との関連性に注目し、それらの所領経営の背後に、他氏との姻戚関係や宗教的ネットワークの構築、さらに河川交通への積極的な関与を摘出している。
 また、松本一夫「鎌倉〜戦国前期における宇都宮氏の被官について」では、戦国後期に見られる「宇都宮−芳賀」体制の淵源を探ることを動機として、宇都宮氏被官の特質を見定めようとしたものであり、宇都宮氏と被官との関係の多くが室町中期以降に形成されたものであったことが明確にされた。
 次に、右論の宇都宮氏も一角を形成した「関東八屋形制」の実態と変遷について、長沼氏を題材に明らかにせんとしたのが江田郁夫「関東八屋形長沼氏について」であり、鎌倉体制内秩序の一つの表現として鎌倉公方三代満兼期に形成され当初は、「補完・協調」的なものであった鎌倉府と「関東八屋形」との関係が、四代持氏期、特に上杉禅秀の乱の前後を画期として、変質していったとする。
 また、主に享徳の乱における小山氏の動向を題材に、当該期の東国武士のあり方や公方権力の特質をも見通そうとした石橋一展「享徳の乱と下野−小山氏を中心に−」では、足利氏に寄り添う形で勢力を維持していたゆえに、繰り返される古河公方体制の動揺に翻弄される小山氏の姿が描かれている。
 次いで、黒田基樹「足利長尾氏に関する基礎的考察」は、享徳の乱の展開のなかで成立し、以後その没落まで家宰として山内上杉氏を支え続けたにもかかわらず、これまで本格的な検討がなされてこなかった足利長尾氏、その系譜的展開やその政治的立場の変遷を丁寧に跡づけながら、戦国期の上杉氏の動向をあらためて評価し直したものである。
 そして、佐々木倫朗「東国『惣無事』令の初令について−徳川家康の『惣無事』と羽柴秀吉−」においては、当時の東国領主層の動きに注目しながら、秀吉の東国惣無事令の初令とされてきた家康書状の年次を比定し直し、これがまだ、家康が東国問題を委任されていた時期のものであり、後の「私戦禁止」を強制する段階のものとは峻別すべきであると結論づけた。

 最後に、坂井法嘩・山上弘道「下野の題目板碑について」は、栃木県の題目板碑の現況を報告したものであり、その内容は、まず県下の題目板碑の所蔵・来歴状況を紹介した上で、その題目の特徴や分布状況を示し、さらに字体の特徴が出やすく個人や門流を特定しやすいその特徴を活用して、大石寺門流の古刹の移動が、小山氏の興亡に関わるとする。

 以上のように力作に満ちた本書を概観してみた上で、その特徴として、「バランス」というキーワードが想起される。それは、本書の柱となるテーマの関係で、時代と地域こそ中世の下野に限定されるとはいえ、その枠の中では、時系列においては、鎌倉〜中近世移行期までをカバーし、分野も政治史を中心としながらも、宗教史や考古学的成果も取り入れ、執筆者の世代も若手を中心に中堅・ベテランの参加をみている。そして、佐藤論文が、和氣・阿部両論文の理解を助ける役割を果たしていることに象徴されるように、何よりも、各論文が有するその相互補完性が特筆される。
 ただ惜しむらくは、その補完性を自覚して読み込むには、特に中世後期東国史における複雑に絡み合う政治史的な「流れ」の把握が前提とされることである。確かに、「下野中世史関係文献目録」を巻末に付すなど、手厚い配慮は十分にはなされてはいるが、当内容の概説書を容易には目にすることのできない「一般」をその読者対象に含めていることからすれば、当該期を概観できる論説一本を欲するぐらいの読者の我儘は許されよう。
 それでも勿論、未だ百数十年に過ぎない近代的な自治体枠にとわれた呪縛を脱し、下野というそれ以前、千二百年にわたって我々の先人を規定した旧国名の領域の歴史について、最新の研究成果がまとめられた価値は、計り知れない。
 中世下野史研究の道しるべとしてだけではなく、今後の地域史研究のあるべき姿を実感するためにも、是非、ご一読ありたい。

(おぐに・ひろひさ 東京都立大森高等学校教諭)


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