岡山藩研究会編『藩世界と近世社会』

評者:定兼 学
「日本歴史」758(2011.7)

 本書の構成は次のとおりである(@〜Fは筆者が付与)。

 はしがき
 T藩世界と藩権力
  @法神習合の近世誓詞(深谷克己)
  A幕末維新期の家老合議と御前会議−御用部屋から政事堂へ−
                           (磯田道史)
 U藩世界と「家」
  B官位昇進運動からみた藩世界−岡山藩主池田継政の場合−(堀 新)
  C備中鴨方藩の急養子相続−弘化四年の相続問題−(大森映子)
 V藩世界の広がり
  D風雅の地域展開と藩士俳人の活動−十七世紀岡山落城を中心に−
                              (杉 仁)
  E近世後期における岡山藩財政の一考察
   −鴻池善右衛門家との関わりについて−(永嶺信孝)
  F藩世界と大坂−天保期岡山藩大坂留守居を中心に−(泉 正人)

 それぞれの論文を私は次のとおり読んだ。
 @近世初期藩主池田光政が家臣から徴取した誓詞を分析すると、法威による支配と神威による支配とが共在する法神習合状態といえる。近世誓詞は、主従間の約定に責任をもたせる政治方式の一つであった。神文は、法的規制を実効性あるものにするための情動的手段であり、神罰は藩主によって振りかざされたものである。そもそも神文部分よりも前書の内容に意味があり、法の効果を上げる形式として誓詞が用いられたのである。
 A幕末期ともに水戸徳川家から養子の藩主を迎えた鳥取・岡山両藩の、藩主主導による言路洞開、人材登用、御前会議という水戸型改革の影響を比較検証吟味した。ともに水戸型改革は不徹底であり、岡山藩では、藩主茂政周辺と家老合議体との対立が深まり、茂政を迎えることに尽力した牧野権六郎が茂政に引退を迫った。その一方で、藩士から建白書を集めて公論政治のデモンストレーションが実施された。王政復古後は、政事堂が藩の意思決定の場となった。そこでは言路洞開して意見集約し、藩主が出座して政策を権威付けた。これは水戸型ではなく、長州式であり、諸藩に現出した。
 B大名官位は、大名本人、大名家、ひいては家中や領民を含めた領国全体を巻き込む関心事であり、幕府との関係や他藩への意識を含む。その研究をすることは、藩世界をめぐる議論を深めることに資するとして、十三年もかけておこなった池田継政少将昇進運動を分析している。昇進運動の実務は、岡山藩は江戸留守居役が担い、受けた幕閣方には、積極的な「取次」と消極的な「側衆」という構図があり、協調と対立の織りなす幕藩関係を描いている。
 C明治初年(一八六八)に岡山藩の最後の藩主池田章政は、岡山藩分家の備中鴨方藩主池田政詮が、その血縁的正統性を強調されて就任した。この章政は、弘化四年(一八四七)に肥後国人吉藩相良頼之の次男満次郎が急養子で鴨方藩主となった人物である。満次郎を入れるため鴨方藩は、藩主政善の実子を廃嫡し、政善の死亡年月日を操作するなどの手続きがとられた。これは満次郎の曾祖父が岡山藩主池田治政の弟であり、本家筋の後押しがあったからと推定する。
 D風雅は、身分や政治領域を越えて特有の交流を展開する。その範囲を風雅世界、風雅公共圏という。十七世紀末参勤御供で江戸勤務した藩士俳人桜井兀峰が芭蕉との交流により備前地域に蕉風がひろまる契機となった。兀峰に続いて僧侶俳人除風により、備中・美作・讃岐にもひろがった。その広がり方は、地域の在村俳人らと新旧の流派をとりまぜながら楽しむという風雅交際を通じて、ゆるやかに蕉風へ転換するというかたちであった。
 E岡山藩財政は、幕府公役賦課の都度、岡山藩掛屋である鴻池家の融通に頼った。岡山藩の大坂留守居は、金融支援を得るため、鴻池家と親密に交流した。岡山藩は鴻池家へ毎年厖大な額の借銀返済をしているが、鴻池家としては岡山藩財政が破綻しないように配慮し、岡山藩蔵元として備前米を借銀担保として扱った。岡山藩が比較的稲作中心の改革路線であり、ある意味保守的、消極的であったがゆえ、他藩にくらべて大坂登米は多く、畿内の米需要に鴻池が応じた。
 F天保期大坂留守居の「永代記録」から、在坂幕府諸役人や諸藩との政治的関係をみた。大坂城代・大坂町奉行に対する公的な贈答や挨拶などの儀礼的行為を「勤」として記載し、留守居の最も重要な役務と認識していた。大坂町奉行家の私的な事柄についても記録したのは、岡山藩留守居としては公的なことと認識していたからである。大坂町奉行所が岡山藩領民を取り調べる際には、必ず大坂留守居を介した。大坂留守居は岡山藩の大坂における「窓口」であった。

 本書を編集した岡山藩研究会は、一九九二年以来精力的に共同調査や報告会を継続して開催しており、会報も六〇号を越える。関係者の科学研究報告書や個別論考も蓄積されているが、共同論集としては二〇〇〇年刊の『藩世界の意識と関係』に続く第二冊である。本書題名には、多様な藩世界の姿を、さまざまな軸をもとに描いていく、そのことによって近世社会の姿を追求していくという意味合いがあるという。
 本書は、岡山藩研究会の論文集であるから、岡山藩のことを研究していることは一目瞭然である。しかし、岡山藩のみに埋没はしていない。同会は岡山藩「を」研究するのではなく、岡山藩研究「で」近世社会の特質を明らかにしようというこころざしをもっているからである。
 ところで、前作が出た前後から、尾張藩社会や藩地域、藩領地域という方法や視角のもとでの研究も進んでいる。本書がこれらの研究と明確に異なるのは、藩世界を全国的視野でみようと強烈に意識し、つねに岡山藩以外の立場や事例を考慮しながら研究を進めていることである。@は津藩、Aは鳥取藩、Bは幕府、Cは人吉藩相良家、Dは備中・美作地域、Eは広島藩や大坂商人、Fは大坂留守居や佐賀藩といった具合である。三角測量を想起した。
 本書は、藩世界を研究視角の概念として設定して、近世社会の姿を追求したという。たしかに本書により藩世界論と近世社会の研究はレベルアップした。しかし内実は個性ある岡山藩世界の実態解明である。研究者の立ち位置が変わるとたちまち岡山藩の藩世界は異なり、Dにいたると藩世界を完全に逸脱する実態がある。岡山で岡山を研究している私にはこのような実態成果を得たことがなによりもうれしい。
(さだかね・まなぶ 岡山県立記録資料館)


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