渡邊大門著『戦国史研究叢書7 戦国期赤松氏の研究』

評者:中村 直人
「年報赤松氏研究」4(2011.3)

 本書は、戦国期における赤松氏について、おもに配下の守護代・国人層の諸動向の検討を通して、赤松氏権力の特質や守護代・国人層の地域権力化の具体的様相を明らかにしたものである。赤松氏研究に継続的に取り組んでこられた著者の成果の一部であり、佛教大学大学院へ提出された博士学位論文に、既発表の論考と新稿を加えたものである。本書の構成は以下の通りである(副題省略)。

序 章 赤松氏研究の現状と課題
第一部 赤松氏と守護代・国人層
 第一章 西播守護代赤松政秀の権力形成過程
 第二章 東播守護代別所則治の権力形成過程
 第三章 戦国期における播磨国一宮伊和神社と宇野氏
 第四章 赤松春日部家の基礎的研究
 第五章 美作地域における奉公衆の研究
 付論1 戦国初期の宇喜多氏について
 付論2 中近世移行期における宇喜多氏の権力構造
第二部 戦国期赤松氏の領国支配構造と展開
 第一章 戦国期赤松氏の領国支配の構造
 第二章 戦国期赤松氏の領国支配の展開
終 章
 まず序章では、赤松氏に関する研究史の整理、使用すべき史料の状況、研究の課題と目的などが提示されている。
 第一部は、赤松氏のもとに結集した守護代・国人層の個別具体的な検討を行ったものである。第一章と第二章では、西播磨守護代の龍野赤松氏、および東播磨守護代の別所氏について取り上げ、彼らが赤松氏(守護権力)に依拠しつつ次第に地域権力化する過程を明らかにする。第三章では、宍粟郡の郡代宇野氏の地域権力化について、同氏および守護赤松氏と、播磨国一宮伊和神社との関わりの中で検討している。第四章では、専論に乏しい赤松春日部家の存在形態について、系譜・所領・内紛・将軍近習(御供衆)としての活動などから多角的に検討する。第五章と付論は、赤松氏領国のうち、備前・美作地域について扱ったものである。第五章では、美作地域に多く存在した奉公衆・御供衆に着目して中小領主層や赤松上野家の動向を明らかにし、宇喜多氏について論じた付論では、同氏が浦上氏との緩やかな提携から、中小領主と連携を深めながら独自の地域権力を打ち立てていく過程を提示する。
 第二部は、第一部での検討結果を踏まえ、戦国期赤松氏の領国支配の構造と展開について考察し、赤松氏権力の基本的性格について論じたものである。終章と併せて要約すると、赤松氏は家法の制定や訴訟制度・奉行人制の整備、寺社祭祀権の掌握などを通して、自らを「公儀」として位置づけ専制化に努めるが、この赤松氏が標榜した「公儀」(守護公権)は、「室町幕府―守護体制」の下で、守護代以下が守護を推戴して領国支配を実現する「地域的集権体制」を内実とする。そして、幕府および守護権力が弱体化する十六世紀に入ると、守護公権は台頭してきた守護代・国人層に下降分有されていく。すなわち、守護代・国人層の地域権力化が進行し、赤松氏は一定の権威を保ちつつも一地域権力に過ぎなくなるという。
 ともすれば赤松氏の「公儀」としての地位や、浦上氏の家中における権力を高く評価する傾向にある近年の研究に対して、本書は、有力被官人(守護代・国人層)の動向に着目し、断片的な史料を丁寧に読み込み、最新の古文書学・史料論の成果などを駆使して考察を進め、赤松氏権力の相対的把握を試みたものといえよう。本書に描かれた赤松氏のあり方は、多様な戦国領主権力の一つの形なのである。
 著者には、本書に収載しきれなかった赤松氏関係の論考が多数ある。これらの論考は、本文中でたびたび触れられているが、むしろ本書と一括して提示された方が、本書の内容をより一層豊かにしたものと思われる。なお、付論の宇喜多氏に関しては、近著『ミネルヴァ日本評伝選 宇喜多直家・秀家―西国進発の魁とならん―』(ミネルヴァ書房 二○一一年一月)において、より分かりやすい形で深められている。本書と併せて参照されたい。

※二〇一〇年五月刊、三一八頁、定価七九〇〇円(税別)、岩田書院

(二〇一一年一月十一日受理)

年報赤松氏研究 第4号(2011)


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