高牧 賓著『文人・勤番藩士の生活と心情』

評者:原 史彦
「日本歴史」753(2011.2)

 本書の構成は四つの論考で成り立っている。第一の論考「一茶の易占と観音詣・念仏」では、俳人・小林一茶の暮らしの心情について考察することを第一の目的とし、一茶が学んだ『易教』の句訳と易占・寺社参詣と観音信仰・念仏と晩年の心境の三項目より考察を行って、四十歳代後半から、自然まかせ、天命まかせ、成り行きまかせの心情をいだきながら、浄土真宗の信仰をもち、浄土への救いを願って生涯を終えたとする。
 第二の論考「滝沢馬琴の暮らしの心情と信心」および、第三の論考「馬琴と分家滝沢清右衛門」では、戯作者・曲亭馬琴について、『馬琴日記』『馬琴書翰集成』『吾仏乃記』などから、時間の経過にともなう心の移り変わりを明らかにしている。
 第二の論考では、馬琴の作品の中から馬琴の暮らしの体験を読み取ることができるとし、滝沢家の嫡家再興・祖先まつりと孝について、暮らしの中でどのように考え行動していたかを検討するとともに、六十歳代になって、陰陽道・方位風水などに凝るようになった心情、馬琴が示した仁と天命について、どのように考え、どのような信心を抱いていたかに着目する。また、第三の論考では、馬琴の日常の多方面にわたる用事を手伝った分家の滝沢清右衛門勝茂に着目し、馬琴との関係・清右衛門の働きなどを明らかにしている。
 第四の論考「土佐藩士 森正名の江戸勤務と生活」は、先の三論考と異なり無名の土佐藩士を取り上げ、都合五回にわたる江戸勤務と生活の様相について、それぞれの勤務実態を詳述するとともに、上書と壊夷、武芸入門と馬術稽古、学問の研修、江戸見物、参詣、墓碑銘調べ、書画・鐸の蒐集、暮らしと養生、酒と酔犯の観点から、江戸勤番武士の実態に触れている。本稿の検討に用いた史料は、高知県立歴史民俗資料館が所蔵する『森正名江戸日記』十巻九冊で、巻五の欠本はあるものの、文政十一年から安政四年にわたる二十九年間の日記の整理を通じて、江戸後期における勤番武士の実態が詳細に検討されている。

 以上が本書の概略であるが、本書を一冊の研究書として総括的に書評を行うことは難しい。まず、それぞれの論考が独立した内容であり、本書全体を通じての問題設定がないことと、個々の論考は明確な問題設定に基づく考察形態をとっていないことから、批評の視点が定めにくいからである。
 また本書は、文人や勤番武士に関する包括的な研究書ではない。それぞれの論考は、むしろ史料集ともいうべき、丹念な史料調査と史料読解に基づいた内容であり、史料分析に主眼がおかれた内容となっている。よって著者独自の分析視点で、丁寧に史料読解がされている点が、本書の大きな特徴といえようか。
 近年は、江戸勤番に関する史料の掘り起こしや、勤番武士を含めたいわゆる江戸居住の人々の暮らしに着目した調査・研究事例が増え、二十年ほど前までは概論・概説的に片付けられていた勤番武士や、個々の庶民の生活に関する具体像が徐々に明らかにされてきている。ただ、人々の営みや心情を研究の対象とするのは難しく、対象とした素材の個性や趣向により千差万別の行動形態があり、地域性や時代性、社会性などによっても傾向が異なるため、一つの史料・一人に関わる史料を紐解いたところで、当時の生活全般の法則性を導き出せるわけではない。
 しかし、類例を一つ一つ明らかにするという細かな作業の積み重ねが、当時の生活様式に関する何らかの普遍的な傾向を導き出す上で端的かつ、有効な手法には違いない。本書の内容は、著者の主観が極力抑えられ、史料整理に徹した文章構成であるため掲載された情報から客観的な事例を抽出しやすく、読み手側の問題意識に基づき、様々な検討が可能である。

 評者の勉強不足により、一茶や馬琴に関する研究史の中で、第一〜第三の論考がどのような位置に存在するかは明確にし得ない。また、第一〜第三の論考は、これまで歴史学より、国文学の分野で語られることが多かった一茶と馬琴を、改めて歴史学という立場から捉え直すという内容でもないため、比較の上で検討することも難しい。これらの論考は一茶と馬琴に関する史料の丹念な整理であり、特に時間の経過に従っての事例・心情の抽出は、文人としての実像や思考の変化を明瞭にし、同時代の人々の行動形態や心情を類推する手立てになり得るという点で評価すべき内容である。
 特に第三の論考における、市井の暮らし振りを詳細に紹介した作業は注目される内容である。馬琴は、著作業といういわば特殊な生業を送った人物であるものの、家業を営む市井の暮らしを送った人物でもあるため『馬琴日記』等に記された、日常生活のたわいもない出来事が、当時の庶民生活の実態を明確に伝えている。歳時・慶事・仏事などの生活儀礼、生業の実態、日常の購入品、下女奉公人といった項目により、かなり細部にわたって庶民生活の実態が明らかにされている。
 第四の論考での勤番武士の日記解読もまた、史料の紹介に徹した内容である。勤番武士に関する研究についても紹介事例が少なかった中で、東京都江戸東京博物館が所蔵する紀伊藩士の『酒井伴四郎日記』に関する見解が先行して検討され、同博物館の展示内容で勤番武士、すなわち暇な勤務・江戸遊山者という図式が作られたことは、その作業に関わった者として大いに反省すべき点と考える。酒井はあくまでも井伊直弼暗殺後に混乱した世情の中で、臨時に出向を促された非正規の勤番であって、彼の行動のみから勤番武士の一般例とするのは大きな間違いである。
 近年の岩淵令治氏による八戸藩士に関する精力的な事例検証をはじめ、徐々に正規の勤番実態が明らかになってきている中で、本論考もまた正規に江戸へ送られた勤番武士の実例として、江戸勤番の実態を探る手がかりを与えてくれる。何より江戸での消費実態が、具体的事例を通じて明らかにされている点は、国内最大の消費都市であった江戸の経済動向を検証する上で、有効な基本情報である。

 蛇足ながら、本項の「書画・鐸の蒐集」で明らかにされた徳川光囲・松平定信・伊達政宗などの自筆書が、江戸市中で売買されていた実態は、真贋の問題は残るものの、博物館業務に関わる者として、作品の由緒を考える上で考えさせられる事例であった。
 先述したように本書を一冊の研究書として総括することは難しいが、江戸庶民や勤番武士の実態の一例を、具体的かつ史料に基づき紹介したという点において、評価すべき書といえよう。
(はら・ふみひこ 徳川美術館)


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