植木行宣著『中世芸能の形成過程』

評者:松尾恒一
「民俗芸能研究」49(2010.9)

 本著は、タイトル通り、わが国中世の芸能の形成・成立過程を主題として論じた著書である。「中世芸能」と一口でいうのはたやすいが、田楽・白拍子・久世舞・巫女・傀儡・猿楽能・琵琶法師・絵解き等々さまざまで、これらの芸能の多くは、その前代、古代における外来の散楽の影響を受けている。また、前代からの神楽や舞楽も続いているし、中世の芸能を論ずるには、おのずと古代の芸能を扱う必要性にも迫られる。「中世芸能」を論じるということは、これらの多くを対象とすることであり、必然的に多様な資料−歌謡や台本の詞章のみならず、貴族や僧侶・神職の日記等の公的な記録、行事次第や舞場の指図や装束についての故実書、説話・物語・随筆等の文学作品、『風姿花伝』に代表されるような芸能論、絵巻・掛幅絵等の絵画、等々−を扱い、分析する必要に迫られる。
 また、中世芸能は、その担い手も多様で、上は、宮中における貴族身分の楽人や侍身分の下級貴族や武人から、寺社に所属した宗教者(巫女・神人・僧侶等)、下は身分外の身分といわれた被差別民、旅を日常とした漂泊民までさまざまである。そしてその享受者も身分・階層さまざまなのであるが、これらの芸能は相互に関係しあい、影響を与えあっていることも少なくなく、冒頭に述べたように「中世芸能」とひと言で括ることはたやすいものの、実際にこれらを総合的に対象化し、分析することは相当の困難がともなうのである。
 猿楽能や田楽、歌謡等、個別の芸能についての形成、成立や芸能の特質についた論著にくらべて、こうしたさまざまな「中世芸能」を対象化し、総合的に扱った著書が少ないのはこのためであろう。
 本著が刊行されたのは、昨年、二〇〇九年であるが、その初出の多くは、一九六〇〜七〇年代で、中世芸能を総合的に、正面から論じようとしたものとしては、戦後の早い時期の研究ということができる。
 さて、大部の内容を、この小文内にまとめるのは難しく、以下、章・節を掲げ、内容の紹介としたい。

第T章 田楽−その成立と展開
 第一節 田遊びと田楽
 第二節 田楽とその展開
 第三節 田楽の三態 再説
第U章 猿楽−その成立と展開
 第一節 「能」形成前の猿楽−古猿楽能の再検討−
 第二節 猿楽能の形成−翁猿楽の発展−
 第三節 「能」形成期の芸能市場−神事猿楽をめぐって−
 第四節 猿楽能の形成と展開
 第五節 南山城の神事能
第V章 延年−先行芸能の継承と創造
 第一節 延年風流とその形成
 第二節 延年芸能の展開
 第三節 芸能史における絵画資料−重文「絹本着色舞楽図」をめぐって−
第W章 『平家物語』の芸能的環境
 第一節 当道座の形成と平曲
 第二節 勧進平家考
 第三節 『平家物語』の芸能史的研究方法
第X章 芸論の芽生え
 第一節 楽書の盛行と芸論
 第二節 『教訓抄』
付 京都近郊村落にみる中世後期の生活と芸能文化

 一覧して気づくのは、氏の関心が、中世に新たに誕生した芸能の形成や成立に向けられていることである。中世という時代が求め、生み出されてくる新たな芸能の萌芽期、黎明期を照射し、解明することに情熱の多くが注がれていることがわかる。
 本著を上梓した理由について氏は、「あとがき」において、

 本書の主題、すなわちわが国の中世を席巻した田楽や能楽が如何に形成されたかを論じた大筋を否定するものが未だ見あたらない…

と述べた上で、

 …中世芸能形成史の解明をすすめるためにいま必要なことは、共有のたたき台を定義することに尽きるかに思われます。

と表明している。
 本著は、いわゆる“芸能史研究”の立場からの研究ということができる。その後、いっぼうでいわゆる歴史学、中世史研究からの研究が進められ、研究は前進したが、芸能史研究の成果が充分に踏まえられずに、論じられたりした。第T章第三節「田楽の三態 再説」は、そのことを痛烈に批判した論である。

 中世史研究からの中世芸能の研究は、一九九〇年代に盛んで、五味文彦氏の馬長の研究(「馬長と馬上」『院政期社会の研究』山川出版、一九八四年)や、土谷恵氏『中世寺院の社会と芸能』(吉川弘文館、二〇〇一年)のような大きな成果も出されたが、その他の多くは、宮廷における、芸能をめぐっての貴族社会内の人間関係を解明したにとどまり、芸能の内実そのものの研究成果には乏しかった、と私は感じている。それよりも私が残念に感じているのは、歴史学の研究者と、芸能史研究の研究者との間に充分な対話が行われないまま、中世史研究における芸能研究が低調になってしまったようにみえることである。
 ところで、こうした中世芸能を総合的、文化史的に把握しようとした論著としては、林屋辰三郎『中世芸能史の研究』(岩波書店、一九六〇年)、守屋毅『中世芸能の幻像』(淡交社、一九八五)、山路興造『翁の座−芸能民たちの中世』(平凡社、一九九〇年)、福原敏男『祭礼文化史の研究』(法政大学出版局、一九九五)、橋本裕之『演技の精神史−中世芸能の言説と身体』(岩波書店、二〇〇三年)、等が挙げられよう。
 戦後、林屋辰三郎が、女性史・部落史・地方史等、民衆史の立場からの芸能史を唱えて以来(『中世芸能史の研究』序説「芸能史研究の諸前提」)、現在まで芸能史研究の大きな潮流となっている。林屋はまた、芸能史研究における、民俗芸能をはじめとする伝承事例や伝統芸能にも注目する必要性を唱えたが(林屋自身が活用することは少なかったものの)、ここにあげたものでは守屋以下の研究では、いずれの著においても随所で民俗芸能が参看され、中世芸能のあらたな文化史的な価値を照射することに成功している。

 本著の刊行は昨年のことであるが、所収された論考は、民俗事例をも資料として積極的に活用しつつ中世芸能を論じたものとしては、かなり早い時期の研究として、その後の中世芸能史の研究を導いたものと評価することができよう。
 植木氏は、本著より先に大著『山・鉾・屋台の祭り−風流の開花−』(白水社、二〇〇一年)を刊行している。本著は「物質文化としての山・鉾・屋台の諸相とその歴史的変遷を具体的に明らかに」して、「都市祭礼の実像に迫」ることを目的としたもので、現在に伝承される祭礼の多くの事例について考察が及ぶ。しかしながら、これらについて、形態差を時代差と見做して祖形にたどり着こうとするような民俗学的思考によらず、事例ごとに確実な歴史資料に基づいて、時代的な変化が辿られている。
 祭礼の構成要素たる山車・作り物の研究は、柳田國男が『日本の祭』(弘文堂、一九四二)において示したように、神霊観念の考察の上でも不可欠であり、モノ資料により精神文化を追求してきた民俗学が責任を負うべき領域といえる。しかしながら、現代に要請される研究水準としては、植木のいうように「建築、彫刻、絵画、工芸(染織・木竹・漆・金具・人形)など多分野にわたる知見が求められ、総合的な組織調査によらねば実態の把握さえ困難」(「あとがき」)な状況であるのが現実である。祭礼・芸能の諸表象に対する、造形文化としての理解が不可欠であるわけだが、建築、彫刻、絵画、工芸といった分野についても、民俗学研究、祭礼・芸能文化研究の上で無関心でいることは許されない、というより、相当の知見を持つ必要があることを示している。
 さて、『山・鉾・屋台の祭り』では、氏の関心が、初期の中世の芸能史研究より大きく変化していることに気づくだろう。初期の研究では、中世芸能をより動態的に理解するための資料として民俗芸能の諸事例が活用されていたわけだが、『山・鉾…』では、関心が民俗そのものに推移し、その研究のために、文字を中心とする歴史資料のみならず、建築、彫刻、絵画、工芸といった分野についての知見もが動員されるに至ったわけである。
 この変化は氏自身の個人的な推移として認めるだけでは充分ではなかろう。われわれに文化研究・歴史研究の社会性、民俗事例にせよ、歴史資料にせよ、資料に相い対する、そのあり方について再考することを迫っているように感じるのである。

 限界集落に伝承される民俗芸能の多くは、文化財指定を受けたものであっても、その継承が危機に瀕している。一方で、ねぶた・ねぷたやヨサコイなど、都市部における市街地の芸能は、日常をともにしない見知らぬ者同士の、遠隔地からの出演者や観客で数万人もが訪れる祝祭ともいえるイベントと化している。期待族がはやし、ときに怪我人さえ出るこうした都市の祝祭を、中近世の風流の延長上に位置づけたりする見解をしばしば目にし、耳にするが、それで充分なのであろうか。
 本著は、現在においてなお、中世芸能の形成・成立を論じた大きな成果であることはまちがいないが、「中世」という時代における「芸能」を対象として論じるとは、現代においていかなる意味・意義のあることなのか。その論証において、民俗事例を参看することの有効性や、民俗事象を調査・記録する、調査者・研究者は、いかなる立ち位置にあるべきなのか。
 氏が中世芸能研究のための「共有のたたき台を定義」したいと切望するのとは別に、本著は、文化としての芸能についての研究方法の、現代における意味・意義や、あり方を問いかけているように感じられるのである。


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