斎藤康彦著『地方財閥の近代−甲州財閥の興亡−』 |
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評者:老川慶喜 | |||||
「日本歴史」749(2010.10) |
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本書は、サブタイトルにあるように、長年山梨県で地方史研究に携わってきた著者が、「甲州財閥の全生涯」(八頁)を明らかにしようとした意欲的な作品である。著者は、すでに前著『転換期の在来産業と地方財閥』(岩田書院、二〇〇二年)において、甲州財閥の総帥若尾逸平から民造、謹之助と続く若尾家三代の経営を分析しているので、本書はそうした著者の長年にわたる甲州財閥史研究の集大成であるともいえる。 本書は、著者が「課題と方法」で述べているように、「従来は等閑視されていた(甲州財閥の…評者)経営参画企業の経営業績の検討を徹底して行い、甲州財閥の構成メンバーの経営手法を明らかにし、如何なる経営行動を通じて生成、展開、凋落の過程を辿ったのか」(一一頁)を解明しようとしたもので、「課題と方法」と「総括」を除き、第一部「甲州財閥の生成−鉄道業界での経営手法−」、第二部「甲州財閥の展開−産業化の進展と多角化−」、第三部「甲州財閥の凋落−積極路線の展開と挫折−」の三部から成っている。 第一部の「生成」では、東京馬車鉄道、甲武鉄道・東京市街鉄道・東武鉄道が取り上げられている。東京馬車鉄道は甲州財閥の総帥若尾逸平、甲武鉄道は雨宮敬次郎、東武鉄道は根津嘉一郎の事業であり、東京市街鉄道には若尾逸平と雨宮敬次郎の対立を軸に根津嘉一郎や小野金六など、多くの甲州財閥がかかわっていた。第一部では、これらの会社の経営動向が詳細に分析され、いずれも内部留保が少なく高配当政策をとっていたことを明らかにしている。 第一に、著者が甲州財閥をどのように捉えているかという点がきわめてあいまいである。本書の書名や著者の「甲州財閥の全生涯は、日本の資本主義発展の諸段階に地方財閥を位置付ける格好の素材である」(八頁)という表現からすると、甲州財閥を「地方財閥」として捉えているようである。しかし、どういうわけか地方財閥について多くの業績を残されてきた森川英正氏の研究にはまったく言及していない。 第二に、ここで取り上げられた甲州財閥系企業の経営動向や財務構造の分析だけで、「甲州財閥の全生涯」が明らかになるのかどうかということである。たとえば、雨宮敬次郎は鉄道業のほかに、製粉業・製鉄業、さらには開墾・植林事業などにもかかわっており、甲武鉄道や大日本軌道の経営のみで甲州財閥としての雨宮を論じることができるのであろうか、という素朴な疑問が残る。もちろん、甲州財閥系企業のすべてを取り上げることは不可能であるが、それだからこそ本書での甲州財閥系企業の経営分析がいかなる意味で甲州財閥の全生涯を把握する上で重要なのかをもっと説明する必要があったように思われる。 第三に、甲州財閥の「生成」「展開」「凋落」の意味も理解できなかった。とくに、第三部の「凋落」は若尾財閥の凋落を明らかにしているだけで、それが甲州財閥の「凋落」につながるという論理は不明である。 第四に、本書の甲州財閥系企業の経営動向や財務構造の分析が、これまでの研究に何を付け加えたかについても明確には語られていないように思われる。たとえば、第一部の第四章「東武鉄道の再建と経営戦略」は、評者がだいぶ以前に執筆した論文を批判する形で議論が進められている。評者への批判は、評者が作成した図表を十分に活用していないので、東武鉄道の経営分析が不十分であるという点にある。確かに、この論文は、もともとは鉄道史学会の学会誌に掲載したもので、厳しい字数制限があったため、表に比べて文字が少なかったかもしれない。しかし、著者が本書で導いている結論、すなわち根津が東武鉄道の経営再建に成功したのは、路線の延長という積極策と営業費の節約にあったということぐらいは指摘しているはずである。著者が、徹底した東武鉄道の経営分析を改めて行ったことで、どのような新しい知見が得られたのか、残念ながら評者には読み取れなかった。 なお、最後に若干のケアレスミスについて指摘しておく。第一部の第二章「甲武鉄道への経営参画」では、野田正穂氏によって川越鉄道が甲武鉄道の実質的な子会社であるという「通説」に疑問が投げかけられているので、安易に「通説」を繰り返すだけでなく野田説に対する何らかの論評がほしかった。また、甲武鉄道の常議員の一人として「井関盛良」の名があげられているが、これは「盛良」ではなく「盛艮」である。 (おいかわ・よしのぶ 立教大学経済学部教授) |
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