大久保俊昭著『戦国期今川氏の領域と支配』

評者:平野 明夫
「日本歴史」755(2011.4)

 本書は、戦国期の今川氏およびその支配領域を追究している大久保俊昭氏の最初の論文集である。本書の構成は、つぎの通りである。

 はじめに−研究史・研究状況の整理にかえて−
 第一部 今川領国をめぐる政治状況
  第一章 義元政権の成立と初期政策(一九八六)
  第二章 「河東一乱」をめぐつて(一九八一)
 第二部 今川領国における国人・土豪層の動向と存在形態
  第一章 井出氏の場合(一九八五)
  第二章 井伊氏の場合(一九七九)
  第三章 三河国の在地動向(一九八六)
  第四章 伊奈本多氏の場合(一九八七)
  第五章 西郷氏の場合(一九八七)
   付論 三河国人西郷氏考補遺(一九八八)
  第六章 国人・土豪層の相続について(一九九三)
 第三部 今川氏と宗教
  第一章 本宮の風祭神事(一九八六)
  第二章 新宮の流鏑馬神事(一九七九)
  第三章 寺院の自治機能をめぐって(一九八八)
  第四章 寺領・住持職等の継承をめぐって(一九八八)
  第五章 「旦過堂」について(一九八二)
 第四部 今川文書の研究
  第三章 今川氏の「禁制」(一)(一九九〇)
  第二章 今川氏の「禁制」(二)(一九九一)
   付論 「如律令」印について(一九八八)
 小論一 今川氏と在地勢力五社別当大納言(一九八二)
 小論二 今川氏と上杉氏の関東侵攻(一九八五)
 小論三 一宮出羽守について(一九八九)
         ※( )内は、初出年

 第一部は、今川氏にとって、戦国大名としての最盛期となる義元段階の領国が、どのように形成されたのかを追究したものである。
 第一章は、義元の家督継承期における状況を具体的に追究したものである。とくに花蔵の乱と呼ばれる異母兄玄広恵探との抗争が、恵探・福島氏の反乱程度ではなく、領国規模での争いであったことを指摘し、それまでの通説のイメージをくつがえすものであった。この視点は、前田利久「『花蔵の乱』の再評価」(『地方史静岡』第一九号、一九九一年)に受け継がれ、現在では通説化している。
 第二章は、家督を相続した義元が、北条氏との争いを展開した「河東一乱」を扱ったものである。その状況を追究したもので、以後において当該地域研究に際して、出発点とされる論考である。そして、著者の中心的な論考でもある。

 第二部は、今川領国下での国人・土豪層の存在形態を究明し、あわせて今川氏による三河領国化を検討したものである。
 第一章は駿河富士の井出氏、第二章は遠江井伊谷の井伊氏、第四章は三河伊奈の本多氏、第五章・付論は、三河八名の西郷氏を扱っており、第三章は三河松平氏や松平家臣・東三河の領主層を取り上げたものである。いずれも今川氏との関係が論じられている。それまで具体的な動向が明確になっていなかった個々の事例を、明らかにしたものである。
 第六章は、今川氏給人層の相続の実態を追究し、今川氏の政策的対応を論じたものである。現在まで類似の研究は管見に触れないものの、戦国社会究明に必要な視角であろう。

 第三部は、今川氏の宗教政策を扱ったものである。
 第一章は富士大宮浅間神社の風祭神事を、第二章は静岡浅間神社の流鏑馬神事を扱い、神事政策を論じている。 第三章は、寺院の自治機能(検断権)の維持と大名権力の吸収・統制を、大名権力側の視点から論じたものである。 第四章は、寺院による寺領や住持職の継承に対する人的把握に関する政策を論じ、今川氏の寺院統制策を研究している。第五章は、無縁の存在である「旦過堂」について、戟国大名今川氏との関連で論じている。これは、網野善彦『無縁・公界・楽−日本中世の自由と平和−』(平凡社、一九七八年)の影響を受けた論考と捉えられ、著者自身があとがきで講読したことに触れている。

 第四部は、今川氏が発給した禁制を分析している。第一章は、今川氏当主が発給した禁制・制札(袖にこれらの文言が記されている文書)を対象とし、第二章は、今川氏家臣発給の禁制および、禁制類似の文書を対象としている。第一章・第二章をあわせて一体となる論考である。これらの論考は、戦国大名の禁制を総合的に論じた初期の論文であろう。そして、文書に押捺される「如律令」印を検討した短文が付論として付けられている。「如律令」印を公印と位置付けることによって、今川氏権力構造論への手がかりとしたものである。

 これら四部に含まれない短文三編が、小論として最後に付されている。いずれも、存在は知られていながら、それまで実態が究明されていなかった素材を扱っている。
 以上が、本書の概要である。

 本書収録の論考は、初出年を見るとわかるように、一九八〇年代に発表されたものがほとんどである。すでに二〇年以上を経過している。この間に、新たな見解が提示されたものもある。しかし、これらの諸論考は、当該研究の出発点となったり、現在でも唯一の研究であるなど、研究上の意義を失っていないと捉えられる。とくに、相続を論じた論考(第二部第六章・第三部第四章)は、異彩を放っており、戦国期の相続を考えるうえで、必須の論考であろう。書名を『戦国期今川氏の領域と支配』とした理由も、ここに求められよう。まさに、今川氏の領域と支配を論じた書である。したがって、本書は、今川氏領国という限定された地域を扱っているものの、戦国社会の一面を論じたものといえる。そういった点を有する本書は、戦国期の研究としてのみでなく、広く読まれることを期待する。
 本来であれば、刊行直後に紹介すべきところを、その機を大きく逸したのは、偏に評者の責任である。著者および関係者にお詫び申し上げたい。
(ひらの・あきお 國學院大學講師)


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