植野加代子著『秦氏と妙見信仰』

評者:酒向伸行
「御影史学論集」35(2010.10)

 本会理事の植野加代子氏の待望の論文集『秦氏と妙見信仰』(御影史学研究会民俗学叢書一九)が上梓された。氏は長年にわたって妙見信仰に関する研究を続けてきた。従来、妙見信仰は民俗宗教研究の世界における研究対象とされ、北極星や北斗七星といった星への信仰の一環として取り上げられてきた。これまでの先学の研究成果をおおまかにまとめてみると、古代においては妙見信仰は密教系寺院と貴族を中心とした息災延命などを祈る信仰として存在し、中世に入ると武家における軍神としての信仰が中心となり、さらに近世以降には多種多様な要素を包含する妙見信仰が庶民に幅広く受容されるようになっていったということになるだろう。
 このような研究の流れに対して、植野氏の研究の最大の特徴は妙見信仰を秦氏との関わりという視点から分析する点にある。本書の構成は次のようになっている。

 まえがき
 第一章 海上・河川交通と信仰
  第一節 夜に船を出すこと
  第二節 津田川を考える−行基の開発と近木川との関わりの中で−
  第三節 葛城修験の一考察−序品の地をめぐって−
  第四節 海上交通と犬鳴山燈明ケ嶽−尊星王妙見大菩薩との関わりの中で−
 第二章 妙見信仰と秦氏の水上交通
  第一節 妙見信仰と棄民の水上交通
  第二節 木上山海印寺の妙見信仰−木津川の河川交通をめぐって−
  第三節 長岡京への物資輸送と運搬経路−妙見信仰との関わりの中で−
 第三章 能勢妙見と河川流通
  第一節 能勢妙見と秦氏−猪名川の水上交通との関わりの中で−
  第二節 秦氏にとっての猪名川の役割−摂津国能勢郡の山林との関わりの中で−
  第三節 アヤハ・クレハ伝承と水上交通−兵庫県西宮市松原町の伝承を中心に−
 第四章 平安貴族社会と妙見信仰
  第一節 妙見菩薩の像容−平安時代後期から室町時代の図像を中心に−
  第二節 尊星王法と僧侶たち−十一世紀の三井寺を中心に−
 あとがき

 このように本書の多くの節で妙見信仰と秦氏との関係が論じられている。そして、本書のもう一つのキーワードが水上交通であることも明らかである。まず第一章第一節では古代から近世にかけての航海における、「夜に船を出だすこと」と潮流などとの関係に注目し、夜の航海の困難さを論じている。ここで植野氏は『土佐日記』の航海記事を、月明かり・潮流・潮の干満・天候・風向き・海賊の活動など実にさまざまな要素から丁寧に分析しているが、その秀逸な分析は国文学の世界における『土佐日記』研究にも大きく寄与するものといえる。第一章ではさらに氏族や集団の航海権の問題などが論じられている。
 次に第二章では古代の妙見信仰と秦氏との関係が、商品や物資の輸送手段として秦氏が利用した水上交通との関係から論じられている。本章では大和川や淀川、木津川などを用いての物資輸送を中心に論じているが、第三章では猪名川、さらには武庫の水門と秦氏との関係が論じられている。

 以上のように植野氏は、これまで民俗宗教といった狭い枠組のなかでのみ研究されてきた妙見信仰を、秦氏と水上交通というまったく独自の視点から分析しようとしている。そこから見えてきた新しい世界はまさにこの分野の最先端をいっているといって過言ではなく、今後の研究者は氏が達成された本書の業績を無視しては論を立てることができないといってよいだろう。事実、最近刊行された『なぞの渡来人 秦氏』(文春新書七三四、二〇〇九年一二月、文藝春秋)で、水谷千秋氏はその第五章に「水上交通と妙見信仰」という項をたて、二頁に渡って本書の第二章第一節、第三章第一・二節に相当する部分を紹介、引用している。
 なお、本書の第四章では平安時代から鎌倉時代における、貴族社会における妙見信仰の実態がその図像や尊星王法などの修法の分析を通して明らかにされており、妙見信仰の広がりについても検討されている。今後さらに妙見信仰の展開過程や変容過程の全貌が明らかにされることを期待したい。


詳細 注文へ 戻る