川名 登編『里見家分限帳集成』

評者:遠山成一
「利根川文化研究」34(201l.1)

 戦前、大著『房総里見氏の研究』を著した大野太平氏の後、なお伝説の世界にあった房総里見氏に学問的なさらなる光を当てたのが、本書編者の川名登氏であった。氏は一九六三年に「房総里見文書の研究」(『日本歴史』一九六三年四月)で、里見氏関係史料の集成と「様式、印章・花押など外部批判的研究」を初めて行い、基礎研究の土台作りをしている。
 さらに、中近世移行期の里見氏を考えるうえで避けて通ることのできない資料「里見家分限帳」について、「史料批判、信憑性の確定という最も基礎的な作業」を行い、六五年
に「いわゆる里見分限帳の信憑性について」(『歴史地理』九一−二)を著した。ここで、諸種の分限帳は史料としての信憑性が高く、近世初頭の里見氏支配の実態を反映している、という総括がなされた。
 そして、当時新たに発見された数種の分限帳を翻刻し、翌六六年、本書のもとになった「里見家分限帳集成 附安房国寺社領帳」(地方史研究協議会)を刊行している。

 これらの研究は、一九六八年『南総の豪雄−里見義尭−』(その後、八三年『房総里見一族』と改題、さらに二〇〇八年『増補改訂版房総里見氏一族』となる)にまとめられ、房総里見氏を研究する者にとって、大野氏の著作と並び、長らくバイブル的存在となってきた。
 しかし、その後、氏の研究の対象は主に近世河川交通に向かい、交通史の分野において一連の労作を発表することとなり、里見氏研究からは少しく離れてしまったのであった。そして、館山市の稲村城跡保存運動がおこった−九九六年からは、里見氏研究の先駆者である氏は、運動の精神的支柱として精力的に講演や見学会等をこなしてきた。
 こうした中、九○年代初めより里見氏研究の新しい波がおこっていたが、氏のもとに終結した研究者と保存運動の担い手である方々が協力して、『すべてわかる戦国大名里見氏の歴史』(川名登代表編 二〇〇〇年)を著し、里見氏研究の最新成果を一般市民むけに発信した。
 氏は、その後も二〇〇八年「里見氏調査会」を結成し、里見氏終焉の地伯耆国倉吉に資料調査を行い、史料集を刊行、さらに同年、ロングセラー『房総里見氏一族』の増補改訂版を刊行するなど、里見氏研究にさらなる情熱を傾けている。増補された本書は、里見氏研究の新しい波と稲村城保存運動が、氏をして作らしめたものといって過言はなかろうと思う。

 残念なことに、本書のもとになった『里見家分限帳集成』は、滝川恒昭氏が指摘するように、一九六六年に発表されて以来、ほとんどこれを素材にした研究がなされてこなかっ
た現状がある(「『里見分限帳』研究の一試論」『千葉城郭研究』第四号)。
 新史料二点を加え増補された本書の刊行を機に、戦国期の里見氏の領国支配構造を少なからず投影しているという(同前)「分限帳」のさらなる活用が望まれよう。ちなみに、
巻末に付せられた人名・寺社名・村名索引は、本書の利便性を大変高めている。
 なお、同時期に、氏は一連の房総戦国諸将の研究と近世移行期の房総における検地を扱った論文を一書にまとめている(『戦国近世変革期の研究』岩田書院 二○一○年)。併せて一読を勧めたい。

本書の構成
解説 里見分限帳について
    はじめに
    一 現存分限帳の成立年代・記載形式等による分類
    二 第一群 慶長十一年分限帳
    三 第二群 慶長十五年分限帳
    四 第三群 家中知行割帳
    五 忠義公家中帳
    附載史料について
凡例
慶長十一年、里見家分限帳
里見家中知行割帳
慶長十五年、里見家分限帳
里見安房守忠義公家中帳
慶長二年、安房国四郡御検地高目録帳
安房国寺社領帳
索引 人名索引
    寺社名索引
    村名索引


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