西村敏也著『武州三峰山の歴史民俗学的研究』

評者:乾 賢太郎
「山岳修験」45(2011.3)

 武州三峰山は、埼玉県秩父市に位置する山岳霊場である。山の御眷属である狼に対する信仰は未だに盛んで、関東を中心に信者組織が形成されている。本書は、西村敏也氏が二〇〇八年に提出し、学位の授与を受けた博士論文をもとに作成された労作である。西村氏が長年追い続けた武州三峰山の歴史と信仰について、氏の研究視角からまとめられた記念碑的著作と言えよう。以下、本書の構成や内容を紹介し、評者の関心から若干のコメントを加えさせていただくが、それがどこまで的を射ているか甚だ心許ない。不躾な物言いがあるかもしれないが、そこは未熟な評者の力量をご斟酌いただければ幸いである。
 本書は、なぜ三峰山は驚異的な発展を遂げたのかについて、発展の過程やその要因を探ることを目的にしている(七頁)。そして、「権力・地域社会・三峰信仰の三つの要素の総合化によって、近世期の三峰山像を構築し、その結果、三峰山の発展経過とその要因を解明していくものである。なお、各要素である権力・地域社会の問題に関しては歴史学的方法論によって、三峰信仰の問題に関しては民俗学的方法論でアプローチしていく」という姿勢で課題に迫ろうとしている(一三頁)。ちなみに、歴史学的方法論とは「関連項目の諸事象の史料について史料批判・精読し、史料より得られたデータによって歴史像を立ち上げる」ことであり、民俗学的方法論とは「人々の行為・行動が口碑によって世代間において受け継がれる情報・知識としての伝承が、聞き書きによって文字として固定化されているものを伝承資料と位置付け、整理、分類、比較の作業を通じて」問題を考察することである(一五頁)。二つの方法論は、前者が第一・二部、後者が第三部と、研究内容によって方法論が区分されている。

 さて、本書の第一部「三峰山と権力」は「第一章 三峰山の縁起と由緒」、「第二章 三峰山の本末体制−異宗門交渉の観点から−」、「第三章 三峰山と修験道本山派総触頭」の三章からなっている。
 第一章は、三峰山の『當山大縁起』(年不詳)と『當山縁起大略』(元禄十一年作成)の意味と内容について検討し、『當山大縁起』は享保期以降に『當山縁起大略』を手本として書かれたものであり、『當山縁起大略』は縁起の原型に相当することを推測された(三四頁)。
 第二章は、近世の三峰山の住職は天台系修験本山派の別当観音院が務めており、本来ならば同派の者が住職に納まるべきところを新義真言宗の清僧がその任に着いていたところに着目され、住職の相続にあたって天台系本山派と新義真言宗との間に緊密な関係があったことを指摘されている。つまり、天台・真言・修験の宗門間の関係という「異宗門間交渉」の形態を考察し、異宗門間で関係を取り持つことの意味について考えている。
 第三章では、近世中期に本山派の総触頭であった赤坂氷川神社の別当大乗院と三峰山の関係を論じている。ここでは、三峰山の勢力拡大の要因として、大乗院の「経済的要因、倫理観の欠如」が問題としてあったことを挙げている(八二〜八三頁)。

 第二部「三峰山と地域社会」は、「第四章 三峰山と地域社会」、「第五章 神領三峰村の構造」、「第六章 三峰山と地域社会との対立−三峰山神領をめぐって−」、「第七章 三峰山と地域社会との交際」、「第八章 霞・里修験の在地展開」の五章立てである。
 第四章は、近世期に点在していた三峰山内の宗教施設とそこで生活する人々の職掌や組織形態について論究したものである。この考察から導き出されたのは、三峰山は住職を宗教的階層の頂点に置き、権限は全て住職に集約されているということであった。また、住職の配下に置かれていた役僧が御師的な職掌を担っていたことを述べている。
 第五章は、神領三峰村の構造を明確にすることを主題とし、「神領三峰村は、自らが複業的な生業形態に基づく山村という性格の村落共同体でありながら、三峰山という宗教組織の一員という二つの性格を有している村落であった」と結論付けている(一二一頁)。
 第六章は、三峰山とそこに接する新・古大滝村との争論の問題を扱っている。争論の理由は三峰山が神領、二村が稼山・御林とそれぞれが区域に関して異なる認識を示していたからであった。このような事態に陥った背景には、二村周辺では幕府による御林や稼山の設定が行われたことから土地所有の意識が百姓の間に萌芽したことがあり、また三峰山は中世以来の神域と明記されている縁起を拠り所としていたことがあった。
 第七章は、三峰山と地域社会の交際をキーワードに論を展開している。具体的には、三峰山との付き合いがみられた人々の居住範囲を、地理的・宗教的な影響を鑑みて、六つのエリアに区分し、三峰山と地域社会との付き合いの実態を明らかにしている。すなわち、三峰山と地域社会との関係は、三峰山が持つ宗教的な救済感と、これに寄った村民の山への感謝の念の上に成り立っていることを評価している。
 第八章は、三峰山が一定の宗教的な支配権を有していた霞の領域とそこに定住する里修験の活動を考察したものである。従来、霞は三峰山が属する本山派の聖護院門跡の管理下に置かれていたが、在地の修験者は直属の統括者である三峰山を中心に三峰修験として集団を形成していた。さらに、三峰修験は在地の先達や年行事といった統括階層によって活動を制限・規定されることがあった。

 第三部「三峰信仰の展開」は、「第九章 三峰信仰の在地展開」と「第十章 三峰分霊社の在地展開」という二章構成になっている。
 第九章は、「三峰信仰の圏構造、三峰講の組織・儀礼の形式、三峰信仰の儀礼、狼信仰をめぐる言説」という四つの研究視点から、地域社会における三峰信仰の展開を考察している(一九八頁)。圏構造の分析においては、三峰信仰の信仰圏の形成には、歴史的・政治的・社会的要因が背景にあったとしている。しかし、どの地域も共通して三峰山の御眷属である狼への信仰がみられることを指摘。また、狼に神饌を供える儀礼に注目し、各地域の状況によって儀礼の細部が変質していることを考察している。三峰信仰の御利益に関しては、「甲州近辺で展開していた狼信仰の習俗を取り込んで、三峰信仰を展開するにあたり、民衆の間で展開していた農耕神の御利益と、修験者の間で信じられていた除災の御利益の両面を強調したことが考えられる」と推測されている(二四三〜二四四頁)。狼をめぐる言説については、地域社会の狼伝承と三峰信仰が習合した結果、在地にみられる三峰山の狼信仰が確立したことを言及している。
 第十章は、長野県伊那郡豊丘村堀越に鎮座する三峰神社を事例に、分霊社が地域社会において本山とは違った独自の組織を形成し、活動を展開している様相を論じられている。結論としては、堀越三峰神社は本山の写しと言えるが、神社を創始した人物は御嶽行者であり、御嶽信仰と三峰信仰を融合させて、独自の信仰を地域社会で展開していた。また、三峰信仰の核となる狼信仰を全面に打ち出していることから、「御嶽信仰をベースにおきながらの三峰信仰の新形態としても把握することが可能であろう」と新たな三峰信仰のあり方を示唆している(二六九頁)。

 最後に終章では、各章の要約を通して、本書の内容を振り返っている。そして、その後に「権力との関係、地域社会との関係、信仰の三者の有機的連関、そして、その再生産構造が、近世後期からの三峰山の驚異的な発展を可能にさせたのであり、それぞれの要素が有効な働きをし、その相互作用によって益々の繁栄につながったのである」と本書の課題に対応した結論を掲げている(二七六頁)。

 本書の内容の紹介については、以上のとおりであるが、ここからは本書に対する批評を行なう。以下、「方法」、「空間」、「時代」という三つのキーワードに絞って私見を述べることにする。
 まずは「方法」についてである。西村氏は文献史料を歴史学的方法論で、伝承資料を民俗学的方法論で分析し、最終的にはこれらの方法論を統合することで、西村氏は歴史民俗学的方法論という研究方法を提示された。氏自らの立場を明確にし、問題の解明に向き合った点は大いに評価できる。しかし、歴史民俗学という領域を考えた場合、和歌森太郎氏、櫻井徳太郎氏、赤田光男氏、宮田登氏などの先学らによる歴史民俗学構想のための議論があったことを忘れてはならない。例えば、和歌森氏は柳田國男の方法を踏襲し、民俗学を歴史研究によって位置付けようとした。櫻井氏は地域研究と民俗学の接合を可能にするための方法を提示し、それが歴史民俗学の方法と立場の成立を可能にすることを言及した。赤田氏は文献史料や伝承資料で表現された民俗を接合させて歴史民俗学の体系化を試みた。宮田氏は歴史民俗学を歴史学と民俗学の接合領域に成り立たせ、両者の異質性を学際的な協業関係により止揚すべき立場としている。こうした議論が重ねられてきたわけだが、これらの動向を踏まえた上で、西村氏の歴史民俗学的方法論の独自性をより明確に打ち出しても良かったのではなかろうか。研究の手法だけではなく、歴史民俗学の意義や立ち位置をもう少し詳しく説明していただきたかった。
 次に「空間」である。ここでは信仰圏の問題について述べる。西村氏は信仰圏に関する宮本袈裟雄氏や岩鼻通明氏の先行研究を顧みた上で、宮田登氏の同心円モデルである圏構造を採用し、それを基に三峰信仰の展開地域を把握しようとしている。しかし、宗教地理学の松井圭介氏が、「信仰圏を圏域に区分する際の指標の取り方や信仰圏が同心円状になるのか、そしてこの圏域設定には普遍性はあるのか、といった課題は解決されていない」(二四頁)と述べているように同心円的な圏構造の使用については懐疑的になった方が良かったのではなかろうか。信仰圏を考える時、同心円的モデルという抽象的な検討も山岳信仰を概念化する上では重要なことかもしれない。だが、例えば、講社の具体的な分布を検討し、分布の濃淡から展開の背景を探り、地域社会における信仰の実相を導き出すような実証的な研究も必要なことであろう。
 最後に「時代」の問題である。今回の著作で西村氏は三峰山の歴史と信仰を明らかにすることを主眼に置かれているが、分析した資料の性質上、近世と現代が多くが占めている感は否めない。近代以降の三峰山の歴史も概観されているが(一六〇〜一六二頁)、全体の時代設定からしてもその割合は少ない。このように、近世と現代にやや重きを置いて、研究を進められているのだが、三峰山の歴史と信仰を考察するためには近代という時代も注視する必要があるのではなかろうか。近代は国家による宗教政策、神話の再編、講社組織の改編など、日本の宗教を語る上では一つのエポックになっていることは周知の通りである。三峰山でも神仏分離令発布後の明治初年に、三峰権現から三峰大明神の変更、別当観音院の廃寺、院主の復飾、山内の神社化などが実行されていることから、近代は転機を迎えた時期と位置付けられるではなかろうか。近代に起きた事項を精査し、三峰山信仰史のなかに組み込むことは山岳の歴史や信仰を明確にするためにも有効なことだと考える。

 以上、本書に関するコメントを述べてきたが、本書は冒頭の課題に対応する結論が導き出されており、証明の過程も非常に明解で精緻であったことが全体的な印象である。このような研究姿勢は西村氏ご自身が学んでこられ、多くの研究者からの指導や影響を受けられた成果と言えるが、なかでも歴史民俗学の先達の一人であり、西村氏の学師となった宮本袈裟雄氏の影響がやはり大きいのではなかろうか。本書は宮本氏をはじめとする諸先達から薫陶を受けた西村氏でなければ、成し得なかった成果が存分にまとめられている。本書で提示された研究視角は、従来の山岳信仰研究に対して、非常に有意義なものになったといえよう。そして、評者も含めた研究者にとっても、新たな方法論を提起してくれたのではないだろうか。ともあれ、山岳信仰研究という学問領域の中に、ある一定の指標を打ち立てた一冊になったことは間違いないことである。

参考文献
赤田光男 一九八八「歴史民俗学の研究視角」『家の伝承と先祖観』人文書院
櫻井徳太郎 一九八八『歴史民俗学の構想』櫻井徳太郎著作集第八巻、吉川弘文館
宮田登 一九八八「「歴史民俗学」ノート」櫻井徳太郎編『日本民俗の伝統と創造』弘文堂
松井圭介 二〇〇三『日本の宗教空間』古今書院
和歌森太郎 一九八一『歴史学と民俗学』和歌森太郎著作集第十巻、弘文堂


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