井上寛司著『日本中世国家と諸国一宮制』

評者:苅米一志
「歴史学研究」868(2010.7)

      T 本書の構成

 本書は,著者が長年牽引してきた中世諸国一宮制研究の,現在における最高の到達点を示す大著である。それは『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院,2000年)における基礎データ,『中世一宮制の歴史的展開(上・下)』(岩田書院,2005年)における個別実証,という固い地盤に支えられた通史的研究であり,出雲国から始めて,ついには全国的視野での考察にいたった,著者の一宮研究の総括とも言うべき内容となっている。本書の構成は,以下の通り。

序章 中世諸国一宮制研究の課題と方法−研究史の整理と課題の設定−
 第1節 研究史の概要と現在の到達点
 第2節 中世一宮制研究の抱える問題群とその分析視角
第1章 中世諸国一宮制の成立
 第1節 研究史の概要と特徴
 第2節 中世諸国一宮制の基本的性格
 第3節 中世諸国一宮制の成立過程
第2章 中世諸国一宮制の構造と特質
 第1節 社官組織
 第2節 社領構造
 第3節 造営形態
 第4節 祭礼構造
第3章 中世諸国一宮制の変質
 第1節 中世後期一宮の類型区分
 第2節 中世後期一宮の諸形態
第4章 中世諸国一宮制の解体
 第1節 戦国期一宮の諸形態
 第2節 戦国期一宮の類型区分と中世諸国一宮制の解体
結章 総括と展望
 第1節 中世諸国一宮(国鎮守)の歴史的性格
 第2節 中世諸国一宮制と日本中世国家
 第3節 残された課題

 評者から見て,本書の特徴は以下の点にある。第一に,研究史を十全に咀嚼し,いわゆる神社史・神道史に閉じこもることなく,顕密仏教論との関わりで考察を進めている点。第二に,中世成立期から戦国期までという大きな時代幅を扱い,各時代についてその構造と特質,変容のありさまを的確に描いている点。これは,前著『日本の神社と「神道」』(校倉書房,2006年)において披瀝された,近世・近代にいたる長い視野ともあわせて評価されるべき点である。第三に,安易な抽象に陥ることなく,全国を見渡して諸社の分類を行い,その上で理論的なモデルを提供している点。本書は,こうした周到かつ精緻な方法論をとっており,さらに予測される批判への想定問答も相当程度織り込まれているなど,迂闊な書評を許さない堅固な構えを持つ。そのことを強く意識しつつ,以下,内容を検討していきたい。

      U 本書全体の論旨

 本書全体を通した論旨は,きわめて明快である。10世紀初頭に整備された大神宝使制を起点として,中央では二十二社,諸国では一宮制が形成されていく。特に諸国においては,各国衙が国内支配体制を全うするために,それに応じた宗教秩序を整える必要があった。受領国司および国衙の政治的課題と要求,これに神社の側による地位確立への要求と取り組みが結びつき,11世紀末から12世紀初頭にかけて中世一宮制が成立する。さらに12世紀末から13世紀初頭において,特に鎌倉幕府による保護と再編を経て,現在知られる一宮制が本格的に確立した。王城鎮守を担うのが二十二社制である一方,一宮は各国鎮守を担う存在であり,この両者が相俟って中世日本国の秩序と安定が保たれる。この点で中世諸国一宮制は,国家的神社制度の不可欠な基本骨格をなすものであった。
 一宮における神事・祭礼は,国内主要寺院における修法と並立的かつ協力的であり,この点で「神仏習合」であることは確かである。しかし一方で,神事・祭礼は仏事と基本的に混じりあわない性格を持ち,この点で神社は寺院と分担領域を異にしている。それは「神仏隔離」とも言うべき状況であった。一宮をめぐる神話は,中世日本紀や中世神統譜など,主として仏教側からとらえられた特殊な言説によっており,したがって中世一宮制とは,顕密主義に基づく,それに対応する神社制度であった。この「顕密主義にもとづく神仏習合,かつ神仏隔離」という指摘は,著者による重要な主張となっている。
 14世紀半ば以降,諸国一宮制は地域に応じたさまざまな変容を迎える。これは主として守護権力・国衙機構・一宮との関係性によっており,一国支配秩序の動揺,一宮の世俗権力への従属性などの現象をもたらした。この変容過程は国ごとに顕著な多様性と不均質性を示しており,中央と地方をつなぐ統一的な神社制度・宗教構造を形骸化・崩壊させた。さらに戦国期に入ると,戦国大名など世俗権力の支配度が高まるとともに,一宮制の枠組みと秩序の解体,一宮の組織的・物理的な解体,「国」そのものの領域的な枠組みの解体,などの現象が顕著となる。概して,世俗の論理に基づく政治的・社会的統合が進むことにより,「国鎮守」としての諸国一宮制は解体され,中世前期において天皇神話および「神国日本」概念を支えていた基盤は崩壊することになる。

     V 本書の研究史的意義

 本書の有する研究史的意義は,広汎なものである。ここでは,それを大きく三点にまとめておきたい。

 第一に,国家と宗教との関係について,特に神祇に焦点を当てて説得的に論じている点である。いわゆる顕密仏教論において,神祇は仏教,ことに密教の特殊な変容態として扱われてきたが,著者は神祇と仏教との緊張関係を「神仏習合かつ神仏隔離」という微妙な均衡として表現している。中世一宮制を「顕密主義にもとづく,それに対応する神社制度」として,神祇に独自の存在意義を認めているのである。「神仏習合」や「本地垂迹」として仏教の下部に位置づけられてきた神祇に対し,再考を迫るものであろう。なお,著者は前著『日本の神社と「神道」』において,神祇独自の機能について,(1)共同体の利益擁護,(2)規世利益の実現,(3)世俗的社会秩序との一体化(4)神社の階層性による世俗的社会秩序の階層性への影響,をあげている(354頁)。「神仏習合かつ神仏隔離」という本書の指摘とあわせて,今後の議論の探まりが期待される。

 第二に,国家権力と神祇との関係についても,均衡のとれた見方を打ち出している点があげられる。天皇と国司は,ともに国家権力を代表する統治権者として,中央・地方の鎮守神を管理する権限と責任を有している。しかし,それは決して鎮守神を一方的に支配するということではなく,むしろ神祇の有する絶対的な権威を認めた上での協力・共同関係であって,それは権門体制国家の基本的枠組みそのものであった。この点で著者は,「受領国司による恣意的な一宮の設定」という見方にも修正を迫っている。以上の成果を十全に敷延する形で,著者は中央と地方との関係性,天皇権力の基盤について説得的な論を展開する。天皇・国司・在庁層・神祇などを主たる構成要素として,中世的な国家鎮守がどのようにして形成されていくのかが,活写されているのである。

 第三に,近世への展望,特に「国鎮守」の機能が天皇権力に一元的に収斂されていくという指摘は,前著『日本の神社と「神道」』における記述とあわせて注目される。特に近世における理論・教学としての「神道」と,中世における神祇との関連性について,著者は「近世幕藩制国家が顕密体制とその一つの具体化としての中世諸国一宮制の否定と克服を通じて成立し」(391頁),「『神儒仏三教一致』説に基づく新たな『神国日本』として再構成された」(366頁),その一元的な権威の源泉として近世天皇が位置づけられたとしている。第3章・第4章における考察を踏まえ,ここでも国家権力と神祇との関係論が妥当な形で展開されている。これにより,中世と近世の神祇について,同一の地平で論じることのできる基礎が提供されたと言える。前著第二章「中世末・近世における『神道』概念の転換」および第三章「『国家神道』論の再検討」は,本書後半部分の延長的な論考として読まれるべきであろう。

      W 本書への疑問点

 膨大な基礎的データと手堅い実証性に支えられているので,本書の個別の部分について特に大きな問題を感じることはないが,それでも構成と叙述の配分については若干の疑問がある。評者はあくまで,中世前期の地方寺社を専門に考察する立場にあるが,その視点からいくつかの疑問点を述べてみたい。

 第一に,第3章・第4章に比して,第1章の中世成立期に関わる部分について,権力関係,特に受領国司と一宮との関係が明確でない点があげられる。これはすでに『中世諸国一宮別の基礎的研究』および『中世一宮制の歴史的展開』において提示済みの問題であるかも知れない。しかし,第3章以下の豊富な事例と分類に対して,中世一宮制の具体的な成立過程はわずかに出雲・長門国の例しか記されていないように思われる(83〜91頁)。史料的な制約もあって,ここでは受領国司の関与が不透明なのである。受領国司が恣意的な,あるいは絶対的な支配を神祇に及ぼしていないという著者の主張はわかるが,受領国司が関わっていたその時々の政治過程は,何らの影響も生み出さないのだろうか。
 播磨国の寺院の例を述べよう。のちに「国衙六箇寺」とよばれ,一宮以下の「八所大明神」とならび称される寺院は,書写山円教寺を筆頭として,そのほとんどは10世紀末以降,受領国司の意志によって建立されている。かつ彼らは,初期には摂関家の家司層,のちには院司などを務める人々であった。摂関家は天台浄土教,院政権は後期密教を保護したことが指摘されているが,それは直接に一国内の寺院に影響を与えている。翻って,その時々の政権の宗教的色彩といったものは,はたして国内神祇に影響を与えないのであろうか。少なくとも摂関政治期から平氏政権にいたる政治過程,その中における受領国司と一宮・惣社との関係については,ある程度の見取り図を描くべきであったと思われる。さらに,これも近年,指摘されるところであるが,中世の国家および仏教形成に大きな影響を与えたとされる対外的契機は,その時々において,どのような意義を有したのか。この点は,本書を通読しても,ほとんど不明確なままであった。評者としては,意識的に輸入された天台・真言などの神祇観がどのようなものであったかに興味がある。

 第二に,仏教・寺院と神祇の関わりについてである。著者が随所で検討している出雲国の例は,非常にわかりやすい。杵築大社と鰐淵寺が,車の両輪のように国内鎮護の祈祷を行なっている,というものである。これは他国でも観察され,特に「寺院が大般若経読踊を以て神社に奉仕する」という体制は明確である。著者は寺院や国衙の側に主導権があったわけではないことを再三強調するが,しかし神祇の側に一方的な主導権があるわけでもない。こうした仏教と神祇との均衡を,宗教秩序として見た場合,「諸国一宮制」は究極的な研究目標ではなく,むしろ「一国内祈祷体制」の問題としてとらえる必要があると思われる。これはすでに井原今朝男によって主張されている概念だが,その焦点はむしろ鎌倉後期にあるように思われる。しかし,国内祈祷体制というものは,著者が言うように12世紀には成立していたと見るべきである。では,その前提として国内主要寺院と神紙との間では,どのような接触と交渉がなされたのであろうか。
 さらにここからは,別な疑問も生じる。王城鎮護は二十二社制によって担われているが,それと照応的な「近畿の寺院」は存在するのであろうか。諸国において,一宮と国内主要寺院の協力的祈祷体制が見られるとすれば,中央において二十二社と祈祷を分かち合う寺院とは,どのようなものを考えればよいのだろうか。それは,いわゆる公請法会の招請対象となる寺院群と重なるのであろうか。そして,もしそうした寺院−神社関係が認められるとすれば,その織りなす宗教秩序とはいかなるものであろうか。

 本書が顕密仏教論の是正を目的として編まれているとすれば,根本的に生ずる問題がある。それは,著者自身の仏教論であろう。中世神話が仏教の側の言説によっている,という部分を除き,管見では著者が仏教論を積極的に展開した部分はほとんど見られない。一方で,たとえば上島享に対する著者の批判は「中世的な宗教秩序を専ら仏教史の観点から捉えて」いる,というものである(前著『日本の神神社と「神道」』382頁)。議論を生産的なものにするならば,著者もまた仏教の側から神祇をとらえなおしてみる必要があるのではないか。それはたとえば,顕教・密教それぞれにおける神祇の描き方という問題であり,これは従来の「神身離脱」や「本地垂迹」といった問題以外にも,勧請・鎮守・法楽といった〈神祇−仏教〉をめぐる関係性の論理がどこから形成されてくるのか,という問題にもつながる。そうした作業を経て初めて,仏教と神祇が織りなす「王城鎮護」「一国内祈祷」体制が新たに位置づけなおされるのではないだろうか。

 以上,疑問点ばかりを連ね,評者自身から何らかの代案を提出するには及ばなかった。これはむしろ,本書を一読したのちに感じた評者自身の研究課題とも言うべきものである。むろん,評者一人で達成しえるべきものではなく,多くの研究者が共同で解明していくべき問題ではあろう。本書は,そうした啓発をも随所に秘めていると言える。
 最後に,不適切な表現ながら,本書を一読した評者は「後進の人間は,これにいったい何を付け加えればよいのか」と途方に暮れるような気持ちになったことを告白しておこう。これを乗り越えるためには,さらなる手堅い個別実証と,全体を見渡す広い視野および理論構成力が求められるであろう。本書は,この分野における現今最高の到達点であり,永く読み継がれるべき大著である。


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