野本寛一著『山地母源論2−マスの遡上を追って−』

評者:鈴木 伸二
「民俗文化」22 近畿大学民俗学研究所(2010.5)

 『山地母源論2−マスの遡上を追って−』は野本寛一著作集の第2巻として刊行された。第1巻の『山地母源論1−日向山峡のムラから−』が九州日向山地の包括的民俗誌であるのとは対照的に、本書はマスの遡上に焦点を当て全国17県に及ぶ民俗事例が記載されている。自らの足でムラムラを訪ね、古老の話に耳を傾けることを旨とする野本民俗学(こうした言葉が妥当かは議論が必要となるだろうが)の魅力が本書でも読み手の心を高揚させる。この高揚感を一言で言い表すなら、「多様性に対する驚き」に尽きるだろう。そして、この読者が感じる驚きは、野本氏がムラムラで感じる驚きでもある。
 フィールドワークに従事する者は、評者のような者であっても、現場で一種の天啓のようなものを経験することがある。今まで個別に分断されていた事象が、ふとしたことで繋がり、一つの物語が生み出される瞬間である。その場にいるからこそ生まれる物語。野本氏の著作が持つ圧倒的な力は、まさにここにあると言ってよい。日本という場が持つ多様な生の営みを、自分が訪れた場から物語っていく。この力に読者は魅了されるのである。
 さてここで、この書評を書くにあたって評者の立場に言及しておきたい。本を読み、それを自分なりに咀嚼して、他者に伝えるというプロセスにおいて、評者のたち位置は重要なものだと考えるからである。まず、評者は民俗学を専門とする研究者ではない。また、研究対象もベトナム及びその周辺国であり、日本をフィールドとして論文を執筆したこともない。つまり、本書を民俗学で蓄積されてきた先行研究の中で位置づける作業ができない点を了承して頂きたい。そのため、この書評はあくまで一読者による一般的なものにならざるをえない。ただし、この「読者」としての評者は、通常の「読者」とも言いがたい。それは、評者が学部の3年、4年生時に野本氏のゼミに所属してその教えを受けたためである。民俗学(及び日本研究)という学問分野に身を置いてはいないが、民俗学に携わる野本氏の姿勢を間近に体感した一人なのである。この書評を読むに当たっては、こうした評者のたち位置に留意していただければと思う。

 さて、先述したように本書のタイトルは『山地母源論2−マスの遡上を追って−』である。本書を読むに当たってこのタイトルには注意しなければならない。一般に学術書と呼ばれるものは、あるテーマをいくつかのアプローチから分析・記述することはあっても、テーマそのものは変化しない。特に、大学院の訓練においては、テーマの拡散を抑制させようとする。評者もそうした訓練を受けた一人であり、本書を読み始めたとき、マスとは直接関係しない狩猟や採集、焼畑などの記述に違和感を覚えた。だが、本書を読み進めるうちに、副題に込められた意味がみえてきた。それは本書が「マスをめぐる民俗誌」ではなく、「マスが遡上するような山地の民俗誌」なのだということである。このような評者の理解が正しいのか、間違っているのかは、読者の判断に任せたいとは思うが、以下の書評はこの理解に基づいて進めたい。

 序章の「マタギとマス漁−佐藤静雄翁の半生から」では、佐藤翁の生活史が克明に描かれている。そこに見える翁の姿は、与えられた自然環境の中で知恵をめぐらし希少な資源を合理的に活用していくヒトそのものであった。翁が自然環境を読み解き、その中で狩猟や渓流漁労、山の幸の採集、農業を有機的に連結させて生をまっとうする姿から、読者は山に生きるヒトの豊かな知恵を知ることになる。野本氏があえて序章に佐藤静雄翁の生活史を設定したのは、一人のヒトの生きた軌跡を描くことで、マスが遡上する山の空間とそこで生きるということの多様性を伝えるためだろう。

 第1章「事例編」はサクラマスに関する68事例(第1節)とサツキマスに関する14事例(第2節)から構成されている。歩く民俗学者たる野本氏の本領がいかんなく発揮された章だと言える。現在、日本にはサクラマス、サツキマス、ビワマスの3種が生息している。この中でビワマスは琵琶湖の固有種だとされる(加藤2002)。本書でもこの件に言及されているが、目次上心サツキマスの節に含まれている(事例82)。82に及ぶ事例とサクラマス、サツキマス(ビワマスも含む)の生息圏をまとめたものが図1である〔図は省略〕。これをみると、野本氏の足跡がどれほど広範囲に及んでいるのかが分かるだろう。山地・山脈でみても白神山地、奥羽山脈、北上高地、出羽山地、越後山脈、三国山脈、飛騨山脈、両白山地、伊吹山地、丹波山地、中国山地、紀伊山地、四国山地と驚異的な足取りである。それだけではない。評者が感嘆したのは、野本氏の足跡とマスの分布を重ね合わせたとき、その聞き取りの確かさが見事に現れていることだった。
例えば、事例57の岐阜県郡上市白鳥町石徹白と事例72の岐阜県下呂市小坂町湯屋はグーグルアースで緯度を確認したところそれぞれ35度55分、35度58分とほぼ同じ緯度であった(直線距離にして40キロメートルほど離れている)。それにも係わらず水系の違いによって石徹白ではサクラマスが、湯屋ではサツキマスが渓流漁労の対象となっていた。また、湯屋から北上すること約30キロメートルに位置する事例66の岐阜県高山市丹生川町森部(緯度36度12分)ではサクラマスを対象とした漁労が行われていた。おそらく、マスを専門とする自然科学の研究者ですら、これほど正確な生息圏の確認は行っていないのではないだろうか。野本氏の聞き書きの力に驚嘆せざるをえない。実際にムラを訪ね、自分の目で水系を確かめ、古老の話に耳を傾けるからそこ可能となる事例報告だと言えよう。

 第2章「考察編」は第1章の事例報告を整理し、そこから浮かび上がった山の営みを「始原生業複合」というキーワードに収斂させる構成となっている。そのため、この章は他の章と比べて節の数が多い。ここでその節を挙げておくと、第1節「マスの共同漁撈」、第2節「マスの漁具と漁法」、第3節「自然暦と生態伝承」、第4節「マスの食法」、第5節「鰭の呪力」、第6節「マス以外」、第7節「狩猟」、第8節「採集」、第9節「焼畑」、第10節「始原生業複合」、第11節「始原生業要素の変動」となる。第1節から第5節までは、マスに関連した営みの整理で、第6節から第9節はマス以外の山の営みを整理したもの、第10節と第11節が始原生業複合に関する記述となっている。
第2章で評者がもっとも興味深かったのは、第1節「マスの共同漁撈」で共同漁労をマタギ型、村落管理型、随時組成型の3つに分類している箇所であった。特にマスが母川回帰するような環境では、マタギ猟を行う組織とマス漁を行う組織が同一であるという指摘や、魚毒を使用するような漁や祭祀にマスが使用されるような場合では村落組織型になるという指摘は示唆に富んでいた。チームワークを必要とするマタギ組がマス漁という共同作業においても機能することや、河川に魚毒を流すような漁労では、より広域に渡る合意形成が必要とされるため村落単位での取り決めが必要になると考えられるからだ。ただ、随時組成型に関しては、「以上の二つとは別に、随意の仲間で組織を作ってマスを対象として共同漁撈を行うものもある。それには、ムラ近くで行うものと、事例4・10・12・20のごときものと、山奥まで渓流を遡上して行うもの、遠出するものなど、事例16・18のごときものがある」という記述しかなく、マタギ型や村落管理型に当てはまらない共同漁労の総称として理解すればよいのか、それともある特殊な文脈に応じて随時組成型が形成されると考えてよいのか判断できなかった。

 次に、始原生業複合という概念に言及しておきたい。「生業複合」という言葉は本書で筆者が述べているように安室知氏の水田研究によって一般化した。安室氏の場合、水田は稲作を行うだけの場ではなく、漁労や畦豆栽培を含めた場として理解すべきものとして、生業複合という概念を提起した。これに対し野本氏は、マスが遡上するような山地においても人々は狩猟や漁労、採集を有機的に複合させて生活してきたとする。本書で描かれた人々の生活は、まさにそうしたものであった。ただ著者は本書で「水田稲作生業複合論とは別に、生活素材や、じつに多彩な生業要素を巧みに組み合わせる山の生業複合の世界がある」(490頁)とし、「水田稲作や、定畑・換金性の強い生業以前の伝統を負うもの」(492頁)として、山地の生業複合の特徴を縄文時代に遡る始原性に求めている。この始原性に関しては、野本氏が一九九一年に発表した論文、「始原生業民俗論1−マス漁を中心として」でより明確に語られているので、ここに引用しておきたい。
「始原生業とは、農耕以前から継承されてきたと思われる狩猟・採集・マスを中心とした河川漁撈をふくむ総体を示すことになる。それはいわば「縄文時代的生業要素」なのであるが、そうした生業要素が、生業を基盤として様々な上層民俗を生成し、それが現在まで伝承されている点を重視し、ここでは「縄文」という言葉を避け、「始原生業民俗」という表現を用いることにした」(野本1991:46)
こうした縄文へのまなざしに対する評価は日本研究に疎い評者にはできない。おそらく「始原」という言葉に対する批判もあるだろう。ただ、読者としての評者にとっては、こうした過去へのまなざしこそが、野本氏が紡ぎ出す物語の魅力なのであり、評者にとっての野本民俗学なのだと表明しておくに留める。

 さて最後に、本書の内容に関してではないが読者としての希望をあえて述べておきたい。これは評者の素朴な疑問でもあるのだが、著者がいつ古老から話を聞いたのかが気になった。これは「民俗誌的現在」に係わることでもあり、戸井田氏が野本氏の『民俗誌・女の一生−母性の力』の書評の中で述べられている「仮にいま、同じ熱意を持って調べようとして、はたして同じことが書けるのだろうか。ほとんど不可能といわざるを得ないだろう」という現状を鑑みたとき、インタビューの時期を記載することは極めて重要なことだと思われる(戸井田2008:317)。野本氏が古老から聞いた話は、今や日本の貴重な知的財産である。そしてその財産は刻一刻と失われつつある。野本氏の研究に感銘を受け、それに続こうとする後学のためにも、今後の著作等でご考慮いただきたい。
野本氏の多くの著作では、常に失われつつある「民俗」を次の世代に文字として残す重要性が指摘される。野本氏が実直に歩き収集してきた日本の知的財産を、いかに次の世代に残していくのか真剣に議論する時期にあるだろう。個人的には特にグーグルアースを用いてムラの位置を確認する作業の中で、地理情報システムを活用した民俗事象のデータベース化が必要ではないかと考えた。地理情報システムを使えば、個々の民俗事象が日本のどこに位置するのか瞬時に検索できるし、これらの情報をインターネットで発信することも可能となる。また、項目別に検索すれば分布が鳥瞰できるようになるため、重出立証法的な研究にも応用できるだろう。また、学際的な研究の推進にも寄与するはずだ。いずれにしても、最新の技術と野本氏が収集された資料を統合し、より多くの人々が日本の知的財産に接することができるようにする、それが後学の責務でもあると感じた。

 参考文献
加藤文男、2002、「日本産サケ属(Oncorhynchus)魚類の形態と分布」、『福井市自然史博物館研究報告』第49号、53−77頁
大熊一正、2002、「サケ科魚類のプロファイル−2 サクラマス」、『さけ・ます資源管理センターニュース』No.8、11−14頁
野本寛一、1991、「始原生業民俗論1−マス漁を中心として」、『近畿大学文芸学部論集 文学・芸術・文化』第2巻第3号、43−107頁
戸井田克己、2008、「野本寛一著『民俗誌・女の一生−母性の力』」、『民俗文化』第20号、307−318頁


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