佐伯和香子著『菅江真澄の旅と和歌伝承』

評者:丸谷仁美
「日本民俗学」262(2010.5)

 本書は、江戸時代後期に東北北海道などを旅した菅江真澄の記録を丹念に読み解き、真澄の執筆姿勢を明らかにしようと試みたものである。
 菅江真澄の記述は、旅の記録を日記形式などで記しているためか、ともすれば真澄自身の体験談として無批判に受け容れられがちであった。これに対し、磯沼重治氏や錦仁氏などは、早くから、菅江真澄の記述には他の書物からの物語がたくみに取り込まれていることを指摘している。本書はそうした研究をさらに掘り下げ、真澄の記述を詳細に分析するだけでなく、真澄を取りまいていた環境や、近世後期の世相が真澄の文章に与えた影響などにも取り組もうとする姿勢が見られる。

 本書の内容は、
T 研究史
U 菅江真澄の旅
第一章 菅江真澄の著作
第二章 旅を支えた学問
第三章 旅の極北
V 菅江真澄と和歌
第一章「委寧能中路」の性格
第二章 古歌の引用と詠歌の方法
第三章 信濃の日記における古歌の引用
W 東北の旅
第一章 「旅」をつくる真澄
第二章 真澄と飢饉
第三章 大館市十二所の三哲伝説
となっており、巻末には真澄が日記を書く際に引用した和歌の一覧が掲載されている。

 本書では、信濃の日記を主に取り上げている。他の地域に比べて和歌を多くよんでおり、なおかつ古歌を数多く引用していることを著者はこれらの日記を取り上げた理由としている。また、日記に引用された古歌には、『夫木和歌抄』や『歌枕名寄』などからのものが多いこと、旅先で訪れた土地に由来のある歌を豊富によみ込んでいることから、改めて、真澄の和歌に対する知識の豊富さを知るとともに、各地の名所記や地誌のたぐいにも精通していることを指摘している。それは、真澄の日記の中に、ある特定の名所記にしか書かれていない記述や解釈があることによって分かることである。真澄はただ自分の見聞録として日記を書いていたのではなく、歌学書や地域に残されている記録を参考にし、引用することによって、全国の人に見せる作品を作りあげようとしていたと著者は述べている。
また著者は、信濃の日記「委那能中路」と、異文(草稿)とを比較し、異文にはなかった和歌が本文に取り入れられていたり、折句や回文などの和歌がよまれたりしていることも大きな特徴であると述べている。「委那能中路」は、旅のはじまりの頃の日記である。この日記を人々に読んでもらうことで、真澄の歌の知識を多くの人に知らせ、かつ旅先で、真澄の人となりを理解してもらうための自己紹介的な役割を果たしたのではないかと著者は推測する。これまでの真澄研究では、ともすると見落とされ、評価されることの少なかった和歌が、真澄の記述の中で大きな位置を占めているこどを著者は改めて気づかせてくれた。
信濃を出た後、真澄は旅を続け、その生涯に膨大な記録を残した。そして時代を経ることによって日記も書き方も変化している。著者も課題として挙げていることであるが、その変化が何を意味するか、また「真澄遊覧記」は近世の紀行文学の中でどのように位置づけられるのか、今後の著者の研究に期待したい。



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