星野紘著『村の伝統芸能が危ない』

評者:宮田繁幸
「民俗芸能研究」48(2010.3)


 新聞、テレビ等で今の日本の地方の状況が伝えられるとき、直ちに想起される言葉は、「過疎化」「少子高齢化」といった悲観的な言葉である。その行き着く先の「限界集落」という言葉も、悲しいことにすっかり目になれ、最初目にしたときの危機感が薄らいできたようにすら感じる。今世紀に入って急速に進行した市町村の広域合併も、その「自立できる自治体の形成」という題目とは裏腹に、様々な問題点が浮上しているといってよい。加うるに、昨年来の経済的・政治的混乱は、地方のみならず、日本全体の活力低下を内外に示す結果となり、中央の地方に対する関心は相対的に低下してしまったかにも思える。このような中で、各地の芸能の置かれている状況がますます厳しさを増しているであろう事は、想像するに難くない。しかし個別に関わりのある事例を除けば、その具体的困窮状況はあまり実感できないのも正直なところである。本書はそうした状況をアンケート調査に基づく数値等により、具体的なものとして提示してくれる。
 著者は、近年アジアを中心とした芸能に関する著作を多く世に問うているが、本書はそれらとは違い、現在の日本が置かれた危機的状況に対する、問題提起の書である。
 本書の構成は、「はじめに」、序章「生活者の息吹が伝わる村の伝統芸能の魅力」、第一章「限界集落下の村の伝統芸能」、第二章「村の伝統芸能とは何か」、第三章「村の伝統芸能の経済・芸術性・信仰」、第四章「世界無形文化遺産時代の村の伝統芸能」、終章「村の伝統芸能を取り巻く今日の地域社会の問題」、からなる。そしてこれらの各章は、「はじめに」において著者自ら以下のように二つの部分から構成されていると述べている。すなわち、

 一つは村の伝統芸能(郷土芸能、民俗芸能、地域伝統芸能、それに民謡)が今存続の危機に直面しつつある現状とそれへの対応策の問題(第一章・終章)、二つ目が村の伝統芸能の内容機能の説明および国際化時代を踏まえての地球規模の村の伝統芸能俯瞰の試みである(第二章、第三章、第四章)。

 さらに、本書刊行に関して、大きく二つの思いがあったことを述べている。
その思いの一つは、村の伝統芸能がいま未曾有の危機に当面しているのではないかという直感からである。昭和の初め早川孝太郎の大著『花祭』が刊行されて以来、村の伝統芸能の白眉とされてきた愛知県北設楽郡の花祭が、山村集落の極度の人口過疎化(いわゆる限界集落化)の中でここ二、三年の間に二カ所が廃絶の憂き目を見た。(中略)村の伝統芸能に関心を寄せなければならないと思う二つ目は、上記したような村の伝統芸能の危機的状況や、村の伝統芸能などに対する世界無形文化遺産登録が開始された今日の国際的状況を踏まえ、村の伝統芸能への新たな理解の仕方、説明の仕方が求められているという気持ちからである。

 タイトルから明らかなように、本書の中心は第一章・終章にあるが、その他の章も直接・間接に現在の置かれている問題を考える上で示唆に富んだものである。既に論考として発表されたものも少なくないし、その対応策等についてはやや物足りなさも覚えるところであるが、こうして一つにまとめられ、手軽に全体を通観できるのはありがたい。民俗芸能の置かれている現代的状況に関心のある人であれば、是非一読すべき著作である。

 各章の内容と初出
序章「生活者の息吹が伝わる村の伝統芸能」:著者へのインタビュー。初出『文芸広場』二〇〇八年二月
第一章「限界集落下の村の伝統芸能」
「山の芸能が危ない」:『民俗芸能研究』四四所収論考の再録。二〇〇八年三月
「村の伝統芸能が危ない」:著者の成城大学でのゼミで行ったアンケート調査の報告。書き下ろし
「村の民俗音楽の危機を乗り越えるために」:民俗音楽学会第二一回徳島大会での著者の基調講演とシンポジウムの記録。初出:『民俗音楽研究』二〇〇八年三月
第二章「村の伝統芸能とは何か」:著者のいう「村の伝統芸能」の、呼称の変遷、存儀危機の状況、種類、芸態、心意目的等の観点からの概説が書き下ろし
第三章「村の伝統芸能の経済・芸術性・信仰」:東北の修験系神楽を対象に、現況調査レポート、芸態と獅子頭信仰、その市場原理等への考察。初出:東北芸術工科大学東北文化センター『研究紀要』七 二〇〇八年三月
第四章「世界無形文化遺産時代の村の伝統芸能」:世界の村の伝統芸能について、民族性・地域性、生活・生業との関わり、伝統と創作、発祥地と伝播変容、等の問題を考察。初出:『比較民俗研究』二〇〇八年三月
終章「村の伝統芸能を取り巻く今日の地域社会の問題」:東北の山伏神楽・番楽を対象に、それらを取り巻く地域社会の問題について考察。初出:『東北地方における環境・生業・技術に関する歴史動態的総合研究』二〇〇九年三月


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