新城美恵子著『本山派修験と熊野先達』
「第10回日本山岳修験学会賞」

 本書は1998年4月に逝去された新城美恵子氏の遺稿集である。その中には修験道関係の論文以外に地方史関係のものも含まれているが、修験道関係の論文を選考対象とした。
新城氏は中世末から近世期にかけて、修験教団の組織化や在地での展開を主要テーマとしてきた。とくに教派修験研究の分野で、本山派成立期に関する論考は、山岳修験学会賞推薦に値する内容で、高く評価できる。以下では本書の内容の紹介と特色を述べてみたい。
「中世後期熊野先達の在所とその地域的特徴―伊予・陸奥国を例として―」では、室町、戦国期における熊野御師の旦那場掌握法に関して、近畿・四国では先達単位で旦那を掌握することが大半であるのに対し、関東以北では東北に行くに従って一族単位が多いことに着目する。そこで伊予・陸奥両国に関して『熊野那智大社文書』を分析して、先達の拠点の相違を明らかにした。
「聖護院系教派修験成立の過程」では、聖護院門跡が熊野三山と諸国山伏の支配に至る問題を取り上げた。そこでは鎌倉末期から明応年間に至る熊野山伏の結束の推移、応仁の乱以後の陸奥国白川・石川両先達の争論を事例に、熊野三山から聖護院への教権と俗権の移行を分析した。
「坂東屋富松について―有力熊野先達の成立と商人の介入―」では商人である坂東屋富松が熊野先達として活躍した事実を解明した。
「武蔵国十玉坊と聖護院」では、聖護院准后の旅と武蔵国十玉坊との関わりを通して、十五世紀末の関東の熊野修験の状況を描いた。
「補任状から見た修験道本山派の組織構造―中世から近世へ―」では、聖護院門跡(熊野三山検校)、若王子乗々院(三山奉行)から在地の熊野修験に発給された補任状・免許状からその推移を分析した。その結果、門跡発給の文書は元来熊野三山や院家など三山検校直属の配下に限られていたが、天文年間以降、在地の年行事職の補任などにも見られること、元禄年間以降本山派内の門跡の権威付けのプロセスが見られること、門跡が無住の時代にも門跡の名前で文書が発給され、本山派内の権限が門跡個人から組織に移行したことなどを解明した。
「武蔵国半沢覚円坊について」では、元禄以降強力な修験に成長する覚円坊を通して関東における本山派の成立期を検討した。
 石鎚山大会での発表要旨「本山派成立期の再検討」では、守護大名・戦国大名の没落と近世村落の成立という社会的な背景の変化に対応すること、また十五世紀から聖護院の補任状が発給されるが、これを近世中期まで見渡すと、位階と寺格に同呼称が存在するため、近年の細分化された研究では混乱が生じることを指摘するなど、関心のさらなる拡大が見られる。
残念ながら新城氏の意図した目標は志半ばで終わった。しかし以上に見てきたように、新城氏の論考は一貫して本山派修験の成立期の再検討を目指すものであった。その方法は、和歌森太郎、宮家準、新城常三などの先学の修験道史研究を批判的に検討しながら、自らの研究を位置付け、在地文書や発給文書を関連づけて分析してゆくという、非常に丹念な資料分析に基づくものであった。今後の修験道史研究において、新城氏の論考は看過できない業績となると思われる。以上の理由によって、本書を日本山岳修験学会賞にふさわしいものとして推薦する。
(2000年11月18日)
選考委員・神田より子(委員長)/小田匡保/田中智彦/根井浄/山本殖生
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