蔵持重裕編『中世の紛争と地域社会』

評者:鈴木国弘
「日本歴史」745(2010.6)


 本書は、編者である蔵持重裕氏の還暦祝いという意味をも兼ねて、蔵持・小林一岳・黒田基樹三氏を代表とする総勢十二人の若手の日本中世史の研究者、および特別寄稿者である藤木久志氏が、中世の紛争と地域に関する諸問題に取り組んだ論文集である。
 巻頭の蔵持氏の論文のうちに、拙稿への言及がある関係からか、私に「書評と紹介」のお鉢が回ってきたが、多数の論文を集成した論文集の書評というものを、限られたスペースの中で扱うというのは、どうにもやりにくいものである。お一人お一人の論文の趣旨を紹介するのは、原稿枚数からいってとても無理であるし、かといって代表的な数人の論文に限って詳細な検討を加えていくのも、アンフェアな感じがするからである。幸い、今回は、収録された十四編の論文が四つのテーマ別に分類されているので、そのテーマに即しておおづかみな内容を紹介した上で、拙稿を取りあげて下さった蔵持論文に言及することで責めを塞ぎたい。まず目次を上げておきたい(便宜上、各論文に通し番号を付した)。


 まえがき                                蔵持 重裕
@紛争の解決と階級関係                     蔵持 重裕
 T 戦乱と兵
A戦場の中の東寺境内                       酒井 紀美
B軍勢駐屯と「宿札」慣行                      清水 克行
C百姓層の武家被官化と守護勢力                徳永 裕之
D戦国大名上杉氏の地下人動員について           則竹 雄一
E大崎氏「天文の内乱」の一考察                遠藤ゆり子
 U 融通の構造
F徳政における取戻しの考察                  黒田 基樹
G戦国期地域における憑子の構造               窪田 涼子
 V 生存と相論
H公家政権と神人                         桜井  彦
I山野紛争と十四世紀地域社会
   −山城国禅定寺・曾束山野紛争をめぐって−      小林 一岳
J相論解決回路としての山伏の通交
   −近江湖北・湖東の修験を素材として−         増山 智宏
K戦国近江における村落間漁業権・湖岸利用相論      深谷 幸治
L湖西の村の「生存史」−鵜川をめぐる小松・打下の三百年闘争−                                        長谷川裕子
Mある荘園の損免と災害−東寺領播磨国矢野荘のばあい−        藤木 久志
 あとがき                       小林 一岳・黒田 基樹


 まずTである。A応仁の乱時、西軍の支配下にあった東寺境内の足軽徴募の様相と原理、B宿営地に宿札を打つ慣習と家財等略奪、C下久世荘での百姓の武家被官化、D上杉一族の軍事動員時の地下人の重要性、E大崎氏内部の主従間相論の生起要因などについて、綿密な考察が行われている。
 Uにおいては、F戦国期の徳政の日常性とその背後にある売買・貸借の破棄・軽減の世相、G戦国期憑子の実体と運営主体解明が進められた。
 Vにおいては、H荘園領主と地域社会との紛争に際しての神人の役割とその変化、I十四世紀の京都近郊山間村落における紛争継続の理由と武装闘争との関係、J在地相論の解決に際して活躍した山伏の動向、K琵琶湖周辺地域における紛争の場の種々相、L中世末の「村」の生存史の復元、Mは、特別寄稿で中世矢野荘に見る損免記事から知られる災害とサバイバルの諸相等の検討であった。

 それぞれ多くの新知見を与えられる力作ぞろいだが、小林氏の論文を除けば、紛争の実態解明に集中しがちであり、その外延的発展の方向が明示されていないところに不満が残った。巻頭所掲の@蔵持氏の論文は、勿論初めから本書を貫く理論的枠組みとして用意されたものではないらしいから、無理はないのだが、蔵持論文の示す中世社会構造のダイナミズムと、T〜Vの諸論文の配置とがほとんど絡み合っていないことを残念に思った。
 ついでにいえば、蔵持論文が拙稿に触れた個所については、「私戦公戦へのこだわり」という文章に首をひねった。洋の東西を問わず戦争論が私戦・公戦二つの原理の絡み合いで進んでいることは、ほとんど常識に近いから、これは個人的「こだわり」程度の問題ではない。また、戦いの回避を自力救済とは区別された「自己救済」という聞き慣れない範疇で示されたことにも納得が行かない。戦うも回避するも共にフェーデの分野に属することであり、異なる範疇に区別されるべき事ではない。その他、パトロン−クライアント関係を階級関係とされた点は、それが両者の力関係の如何で様々に組み替えの変わり得るものだけに、階級関係としての把捉が果たして的を射ているのかどうか、疑問である。ともあれ、そうした自力の原理が在地の個人から中央貴族の個人まで貫いていることが大切なのである。
 ただしその他の点は、いろいろ教えられるところ多く感謝している。また御教示を得る機会を得たい。
(すずき・くにひろ 日本大学非常勤講師)


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