国文学研究資料館編『中近世アーカイブズの多国間比較』

評者:岡崎 敦
「日本歴史」745(2010.6)

 本書は、国文学研究資料館アーカイブズ研究系における「東アジアを中心としたアーカイブズ資源研究」プロジェクトが、科研費の援助を受けながら行った研究成果の一つである。このプロジェクトでは、平成十六年から十九年の四年間にわたり、韓国(国史編纂委員会との共同研究。以下同じ)、中国(復旦大学)、トルコ(アンカラ大学)、フランス(国立古文書学校)、日本で計五回の国際研究会集会が開催され、その成果は、毎年度刊行された科研報告書で公表された。本書は、これらの研究集会における報告原稿をもとに新たに再編集されたもので、英語版も準備中とのことである。
 本書の構成は以下のとおりである。研究代表者の渡辺浩一氏による「序」につづいて、以下の五部が続く。

 第一部「統治組織」では、
  高橋一樹「日本中世の国家機構における文書の作成・保存と廃棄」
  大友一雄「幕府役職と情報継承」
  ギヨジャナン/ポンセ「フランスにおける国家アーカイブズ」
  エルゲンチ/タシュ「オスマン国家官僚における文書作成」
  金R栄「文書と記録、そして「休紙」」
  金R栄「朝鮮時代地方官衙における記録の生産と保存」
  高橋実「日本近世社会の特質と文書の作成・管理」
 第二部「家と村落」では、
  高橋実「日本近世村落における文書の作成と管理・保存」
  蔵持重裕「[コラム]日本中世村落」
  フォラン「[コラム]近世フランス農村」
  文叔子「近世における両班家門の文書伝来と構造」
  李海濬「朝鮮後期における村落文書の生産と管理」
  王振忠「村落文書と村落志」
 第三部「商人と都市」では、
  西向宏介「近世日本の商家文書」
  須川英徳「朝鮮時代の商人文書」
  臼井佐知子「中国における商業関係文書」
  ボタン「商人文書、商業関係文書−中世末期から近世のフランスと西欧−」
  ブルスコリ「[コラム]イタリア商人」
  ハーディング「名前と数−近世ロンドンにおける情報の収集と共有−」
  渡辺浩一「日本近世の首都行政における蓄積情報の身分間分有と利用」
 第四部「訴訟文書と相続文書」では、
  高橋実「一八四〇年代在郷における商い金紛争とその特質」
  阿風「明清徽州訴訟文書の分類」
  王振忠「清代における徽州のある小農家庭の生活状況」」
  吉田ゆり子「武士への憧れ−「系図」と「家伝記」−」
 第五部「媒体とリテラシー」では、
  ハーディング「近世イングランドと書かれ印刷される言葉」
  渡辺浩一「日本近世都市における法令の伝達」
  唐力行「清代蘇州における社会管理」
 最後に、三浦徹「比較アーカイブズ学の可能性」が全体を総括する。

 本書は、アーカイブズをキーワードとする世界レヴェルでの比較研究であり、おそらく現在のところ、取り扱う領域・時代、そしてなにより論点の多様さにおいて、世界でも他に類例のない書物であろう。このような企画が日本から提案され、世界の諸地域の研究者とともに、単なる情報の交換に終わらず、高いレヴェルでの比較研究に到達したこと、さらにはその成果が日本語(と英語)で一書にまとめられた意義は大きい。日本の読者は、この書物で取り上げられた時代と領域について、おおよその概観と問題の所在、さらには各国学界の研究の状況についても、一定の理解を得ることができる特権的立場にいるのである。
 それぞれの領域での研究史の蓄積の差異は、論点の共有を最後まで困難としたところもあり、さらに、いわゆる史料学と歴史学との間に残る認識の落差も感じられる。全体を通読して受けるのは、アーカイブズ史・古文書学(文書類型学)等の概説から、単に史料を利用した歴史学研究までが並ぶやや雑然とした印象であり、各論考はそれぞれ、参加者の大半は初対面という国際研究集会での報告原稿であったことから、質量ともに、各領域の専門家にはもの足らなく感じられるかもしれない。以上のような問題にもかかわらず、この書物にまとめられた諸論考は、以下のような重要な認識を日本の学界にもたらしてくれる。

 第一に、今回の企画は、「アーカイブズ」を掲げてはいるが、その視野はむしろ、一九八〇年代以降の世界の学界を席巻した、いわゆる「記憶の管理」の諸問題全般に向けられている。ここでは、実務文書・記録ばかりではなく、歴史編纂や系図までもが本格的な議論の対象となっている。さらに、実録の編集過程に端的に現れているように、実務文書が歴史編纂過程で蒙るさまざまな利用や処理が一つの焦点とされる。
 また、両班文書の伝来は、地方名望家たる彼らの在地でのヘゲモニーとアイデンティティ形成と不可分であり、逆に、朝鮮や西欧においては、商業蔑視の心性が商家文書の体系的保存を困難としていた。ここでは、史料伝来のいわばイデオロギー的側面が浮き彫りとなっている。
 他方で、日本史研究者から、日本の特殊事情として繰り返し強調されるのが、文書管理主体として例外的に強力なイエの存在である。文書の保存・伝来が世紀を超えて確保されるためには、それを可能とする物理的諸条件が必要で、それは、管理主体の心理的・社会的存在様態にまずは依存するからには、議論は広く国制や社会制度のあり方に関連する。

 第二の問題は、「原」文書と編纂物との関係である。日本と西欧以外では、「原」(オリジナル)文書を重視するという感覚が希薄らしいことは、あらためてアーカイブズ史料の性格再考を促す重要な論点であり、この点は、そもそもなぜある史料(類型)が伝来しており、別のそれが伝来していないのかについて、より体系的な省察が必要であることを私たちに敢えてくれる。
 他方、「原」文書の価値を絶対視してきた日本や西欧においても、アーカイブズ形成・利用・管理の歴史においては、多種多様な二次的加工物が編纂されてきたことも周知のとおりであり、それらの価値や意義を、それ自体として再検討する必要があろう。

 最後の問題は、結果的にもっとも多くの論考が取り組んだ、アーカイブズ系実務資料の同時代および後世における「機能」の実相に関わる。特定の法行為や法的事実の認知・周知伝達・収集・利用等の確保のためには、行為それ自体とは別個の技術や環境が必要とされ、この次元は独立した研究の対象となりえるが、そこでは、文字の取り扱い能力からはじまって、情報の告示、仕事にそった制度の組織化など、多くの諸問題が提起される。
 重要なのは、それらの研究は、抽象的な合理化論などではなく、具体的なモノと「かたち」の研究からのみ可能であるという認識が共有されていることである。三浦徹氏が最後に示唆するように、アーカイブズや実務資料研究は、「かたち」に注目する史料学と、人間関係の諸相に注目する歴史学とのもっとも幸福な出会いの場の一つであり、今後の展望は大きく開けているといえよう。
(おかざき・あつし 九州大学人文科学研究院准教授)


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