平山優・丸島和洋編『戦国大名武田氏の権力と支配』

評者:山口 博
「日本歴史」745(2010.6)


 「はしがき」によると、本書は、「武田氏研究会シンポジウムワーキンググループ」における「勉強会」の成果を集成したものであり、戦国大名武田氏を素材としつつ、「個別大名研究の枠組みを打ち破る」ことを念頭に編集・刊行されたものである。
 現状において、戦国大名研究における個別・分散化の進行は、依然として否定しがたく、その克服に向けた「横断的な戦国大名論」の必要性はいうまでもないが、実際のところその実践が容易ではないことも事実であろう。このような現状認識を踏まえ、本書は、代表的な戦国大名である武田氏に関する個別研究を総括し、これについて社会史的視点や戦国大名「相対化」論等を視野に入れた最新の研究動向・問題点等を提示することを課題としている。それゆえ各執筆者には、戦国大名研究に関わる主要な論点がテーマとして割当てられ、研究史の整理、他大名研究との比較検討等が共通の課題として課されることとなった。
 全編は「権力構造」と「領国支配」の二部に分かたれ、それぞれに四本、計八本の論考が配されており、巻末に、武田氏研究の基礎となる資料二編(史料紹介・文献目録)が付されている。詳細は左のとおりであり、付編についてはひとまず別として、各論題の「武田氏」を「戦国大名」と読み替えれば、たしかに、それぞれが「横断的な戦国大名論」の主要なテーマとなり得るものであることが了解されよう。


 第一部 権力構造
  武田氏の知行制と軍制                    平山  優
  武田氏の領域支配と取次−奉書式朱印状の奉者をめぐって   
                                    丸島 和洋
  武田氏の領国構造と先方衆                  柴  裕之
  武田氏家中論                          黒田 基樹
 第二部 領国支配
  武田氏の検地と税制 鈴木 将典
  武田氏の外交と戦争−武田・織田同盟と足利義昭   小笠原春香
  武田氏の宗教政策−寺社領の安堵と接収を中心に  長谷川幸一
  武田氏の土豪層と地域社会                 小佐野浅子
(付編)史料紹介 高野山成慶院「檀那御寄進状?消息」  丸島 和洋
  武田氏関係研究文献目録 一九八三−二〇〇七年    海老沼真治


 さて、一貫して北条氏(後北条氏)を研究素材とし、その権力形態・構成、法制等について個別的な研究を進めてきた評者は、武田氏に関してはまったくの門外漢であり、本書で重視されている村落論等の戦国社会研究とも、いまだ距離をおいていることから、基本的に個々の論考の内容等に踏み込んだコメントを加える能力を有さない。そこで以下、本書編集の意図等を念頭に置きつつ、若干の所見を述させていただくこととしたいと思う。
 まず指摘しておきたいのは、本書収録の諸論考が、「はしがき」にも明言されているとおり、近年における関連史料集積の飛躍的な進展を前提とした成果となっている事実である。平山論文における軍役定書一覧や鈴木論文における検地関係史料一覧の提示、丸島論文における朱印状奉者の奉書点数の数量的整理をはじめ、付編における高野山成慶院蔵「檀那御寄進状井消息」の紹介等は、これをもっとも端的に示すものであろう。
 北条氏関係史料を集成した『戦国遺文』後北条氏編に続き、同武田氏編全六巻が完結(今後、後北条氏編の場合と同様に補遺編の刊行も想定されるが)したのは二〇〇六年のことであった。先行する『甲府市史』『山梨県史』の編纂事業の成果もまた見逃せないところであろう。『戦国大名論集』(吉川弘文館、一九八三〜八五年)以後の研究成果を網羅した文献目録もまた、基礎的作業に類する成果として重要といえる。着実な史料等の集積にこそ歴史研究推進の基礎があることを改めて確認しておきたい。

 このような史料集積、およびそれぞれのテーマに関する他大名の成果を含めた研究史の整理を前提として、第一部の「権力構造」では、軍役の賦課基準、これと軍装規定との関連性、一手衆の構成とその編成等(平山論文)、領域支配における「取次」の地位・機能、領国拡大に伴うその寡占化動向等(丸島論文)、先方衆(他国衆)権力の内部構造、武田氏による先方衆統制とこれらに見られる両者の関係等(柴論文)、武田家中の構成とその編成方式等(ここではそれらに関わる史料上の用語の整理・検討と実態把握に力点が置かれている)(黒田論文)、また第二部「領国支配」においては、定納高等算定の方式(指出・検使派遣・検地)、検地の実施目的・方法、中核的な「諸役」である棟別役の賦課制度の成立と変遷等(鈴木論文)、領国の支配・維持、戦争遂行と外交(具体的には織田信長との同盟と将軍義昭との交渉に焦点が当てられる)との関連等(小笠原論文)、宗教政策の一環としての寺社領の安堵および接収の意義(長谷川論文)、領内の地域における土豪(具体的には小山田氏の重臣小林氏が取り上げられている)の存在形態・機能等(小佐野論文)が検証・追究されている。

 これらの諸論考は、それぞれ、設定されたテーマに関する武田氏研究の最新動向を、他大名の場合を含む従来の戦国大名研究等との関連で把握する上において、きわめて有効なものと判断されよう。その意味で、「はしがき」に示された本書編集の意図については、ある程度まで実現されているものと評価したい。ただ、総体的に見れば、テーマ設定等に限界が見られていることは事実といわなくてはならないであろう。
 いま一つ、やはり「はしがき」でふれられている「横断的な戦国大名論」との関連においても、本書は、重要な視点を提示するものと考える。これまで、東国の北条氏や西国の毛利氏等、従来から「代表的」「典型的」と見なされてきた戦国大名を素材とした研究成果を全体像に代位させる、あるいは収取機構・家臣団編成といったテーマごとに素材を換えて論じる、といった傾向が強かった「戦国大名論」については、膨大な個別大名研究等の成果をいかに総括していくかといった観点から、独自の方法論が模索・検討されなくてはならない。本書は、個別大名研究のサイドからこれに迫る方法の有効性を示すものであり、他大名を含む今後の個別大名研究等のあり方に一つの示唆を与えるものでもあろう。
(やまぐち・ひろし 小田原市教育委員会学芸員)


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