小路田泰直編『死の機能 前方後円墳とは何か』

評者:辻川 哲朗
「古代文化」62-1(2010.6)

 本書は、COEとして「古代日本形成の特質解明」をテーマとして掲げた奈良女子大学により2008年に開催されたシンポジウム「死の機能−前方後円墳とは何か−」の記録集である。シンポジウムの課題には「あの巨大古墳が、何故築造されたのか」という編者の小路田氏による問いかけがある。

 本書は2部構成で、T部はシンポジウムの記録であり、考古学側からの報告として大久保徹也氏「古墳造営を促した死のイメージ−無主の身体の発見と所有−」・北條芳隆氏「「大和」原風景の誕生−倭王権が描いた交差宇宙軸−」とともに、佐藤弘夫・小路田両氏の報告とシンポジウムの記録が併載される。U部は佐藤氏の『死者のゆくえ』に対する麻生武・勝目花穂両氏の書評が掲載されている。紙幅の都合で、大久保・北條両氏による論考に限って紹介することにしたい。

 大久保氏は、古墳には「死を一つの機会として捉える発想が伏在」するという。氏は『記』上巻の説話群から二つの死のイメージを抽出する。一つはイザナギの黄泉国訪問譚であり、死が親密な2者を引き離し交感を途絶させるイメージは現在の死に対するイメージとも近い。一方、オオゲツヒメやカグツチノカミの説話から、遺骸(無主の身体)は外部の第三者によって操作されうるものであり、その前提には、呪物的性格を帯びた遺骸は第三者である誰かが適切に操作することで効力を発揮するという発想があるという。ここから氏は、王の能力は王の人格でなく、彼の身体そのもの、あるいはその形状に帰せられるのであり、これこそが古墳を成立させる死のイメージだとする。氏によると、古墳儀礼の核心は外部の第三者が期待する方向へ遺骸の能力を極大化させ、儀礼主体が遺骸を所有したことを内外に象徴的に公示することにあり、それゆえ新王には古墳造営が円滑な統治のために不可欠であったと結論づけた。

 一方、北條氏は古墳時代の他界観を景観から追求する。氏は『記』の「黄泉国訪問譚」を読み直した結果、「地下他界観」を否定し、黄泉国は山中にあるという「山中他界観」を想定する。さらに、初期倭王権の本拠地である大和東南部を対象にして、前方後円墳の方位と空間配置に着目し検討を進めた結果、複数の古墳グループを抽出するとともに、東側の竜王山山塊を背にして、西側一帯に裾を広げる傾斜序列空間の存在を見出した。そして、こうした配置状況は「始祖」が東に坐し、西側の配下の人々と相対する「坐東朝西」ともいうべき王権の中枢性を表明する象徴空間であったと結論づけた。

 両氏の論説ともに、実証の上に立った推理によって、小路田氏の問いかけに真摯に答えようとした試みであることは疑いえない。蓄積された膨大な考古学的情報に基づいて、列島に住まいした人々の他界観のうつろいの中に「古墳」をいかに位置づけることができるのか、積極的な解釈案の提示とそれを踏まえた議論を積み重ねる必要をあらためて感じさせる一書である。

 最後に、本書における諸議論の背景となっている佐藤弘夫氏の著作『死者のゆくえj(岩田書院、2008年)も併読されることをぜひお勧めしたい。
(財団法人滋賀県文化財保護協会)


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