大谷貞夫著『江戸幕府の直営牧』

評者:筑紫敏夫
「千葉史学」56(2010.5)


 「ツクシ君、これムカゴつて言うんだ。炊き込みご飯にするとうまいんだ、これが」と言って、ニコニコしながら、ジャケットのポケットをムカゴ(ヤマノイモの肉芽)でふくらませている大谷貞夫先生のお姿。今から一〇年以上前、山形県鶴岡市内での史料調査、昼休みの一コマである。
 私は、法政大学三年の時に、國學院大学主催の佐倉厚生園での史料調査に特に参加させていただいて以来、千葉県史をはじめとして、いくつかの自治体史の編纂や執筆でご一緒し、多くのご教示をいただいてきた。その大谷先生が、二〇〇三年の暮れにご逝去され、本書は先生の遺稿集である。
 本書の構成は、まず「序」で、根岸茂夫氏が本書刊行の意図を明確にしている。次いで、本編と言ってよい、著者執筆の「論考編」「概説編」「コラム編」が掲載されている。巻末には、吉岡孝氏の「大谷貞夫氏の幕府の牧研究継承のために」と題する論考、そして「収録論文解説」(執筆は、高橋覚・高見澤美紀・渡辺善司の諸氏)、「大谷貞夫先生略年譜・著作目録」(担当は、小倉博・荒井信司の両氏)、及び、本書刊行の経緯をコンパクトにまとめた「後記」(高橋覚氏執筆)と続いている。
 このように本書の構成をひと目見ただけで、門下生による遺稿集としての色彩が強く感じられる。著者が、研究者としてだけでなく、教育者としても、後進をいかに育成したかということを見て取ることができる。
 本書の刊行にあたって、國學院大学で指導を受けた、これらの門下生を中心に遺稿集刊行委員会が組織されたいう。鏑木行廣氏を委員長として、委員は、小倉博・吉岡孝・荒井信司・高橋覚・渡辺善司・高見澤美紀の諸氏。この委員会のメンバーが、元著作の収集からはじまり、編集そして刊行に至るまで、たいへんな労力をかけたことがよくわかる内容である。委員諸氏の労をまずもって讃えるとともに、大谷貞夫先生のご冥福をお祈り申し上げる次第である。

 さて、本書の本編では、著者が一九八七年から二〇〇四年にかけて発表した、幕府が運営する房総地域の牧に関する著作を、前述のように「論考編」「概説編」「コラム編」の三編に編集している。
 「論考編」は学術研究誌に発表した研究論文である。つづく「概説編」は、『鎌ヶ谷市史 中巻』に所載された「小金牧」(「小金牧の成立」、「享保の牧改革」、「寛政の牧改革と牧士」で構成)について、及び『芝山町史 通史編 中』に掲載された「佐倉七牧」についての概説である。これらは、研究水準の到達点、最新の研究成果を踏まえて、それを市民に向けてわかりやすく説明することに成功していると言ってよいであろう。
 「コラム編」には、一般にはあまり知られていない『近世史部会ニュース』((財)千葉県史料研究財団」編。当財団は、すでに解散)に寄稿した文章やインタビュー記事など、今となっては入手が難しいものも収められている。「佐倉牧」、「野馬と佐倉七牧」、「野馬土手の保存を」、「江戸幕府直営牧と牧士史料」、「明治八年三月の取香牧図」、「払い下げられた野馬の急死」、「江戸の馬は『こしらい』馬」、「峯岡牧の牧士たち」で構成。
 これらのうち、「野馬土手の保存を」は、千葉県富里町の広報誌に掲載された短い記事である。著者の牧研究の進展もあって、近年は千葉県内で牧に関する遺構の保存・整備、牧関係史料(資料)の調査・研究が進んでいる。著者の研究が文化財の保護や活用に大きな役割を果たしてきたよい例であろう。「コラム編」には、気軽に読み進められる文章が満載されているので、「牧(まき)って何?」というような初学者の方は、ここから読み始めるのもよいかもしれない。著者の鋭利でいて、温厚なお人柄が伝わってってくる文章である。

 次に「論考編」の諸論文を簡単に紹介していくことにしたい。「野馬奉行考」(一九八七年発表)は、野馬奉行の成立時期を「慶長期」とすることが定説となっていたのを実証的に批判し、「享保・延享期」説を主張した点が特に高い評価を得た論文である。さらに、この論文では、後に大いに注目されることになる「由緒書」を先駆的に着目して、史料批判の重要性を指摘したことの意義は大きい。
 「金ヶ作陣屋考」(一九八八年発表)では、それまで研究が不十分であった、金ヶ作陣屋の成立時期、成立事情や陣屋の規模・設備などを解明している。また、陣屋創設者の代官小宮山昌世と、研究が空白であった小宮山以降の牧支配の変遷を詳細に明らかにした。
 「享保期の下総小金牧について」(一九八八年発表)では、野馬奉行の成立時期を、より詳細に提示した。野馬奉行とされる綿貫氏が享保九年(一七二四)に御家人となり、同一六年三月の時点で「野馬奉行」と称されていたこと、さらに野馬奉行の成立は享保期だが、その職務の一部は元禄期から行われていたことを指摘している。
 「下総佐倉牧の牧士丸家について」(一九八七年発表)は、「由緒書」の内容をそのまま史実とみることに批判的な姿勢をとり、牧士身分の近世における実態の変遷を追求している。
 「安房国峯岡牧の再興をめぐって」(一九九三年発表)では、寛永期に、安房国峯岡に厩(うまや)があり、元禄期にそれは廃止され、同時期に再興運動が起こされるものの、運動は功を奏さずに、享保六年(一七二一)になって峯岡牧再興へと動き始めるとしている。
 「近世の油田牧と牧付村々」(二〇〇二年発表)は、前半では、油田牧を含む、佐倉牧の支配の変遷を再整理し、後半では、牧周辺の村々の役負担について提示している。
 「近世後期における取香故について」(二〇〇三年発表)では、佐倉牧がかかえる諸問題と、それへの村々の対応を実証的に検討している。
 さらに、吉岡孝氏の「大谷貞夫氏の幕府の牧研究継承のために」は、著者の房総における牧研究について、近年、盛んになっている由緒論や周縁身分論の中での研究史的な位置づけを、冷静に叙述している。

 なお、編集上のたいへん些末なことで恐縮であるが、著者は、近世の記述には、ほとんどすべてで、年号(元号)表記の後に、( )をつけて西暦を併記している。中には、「天保十五年(一八四四、弘化と改元)六月の」などと厳密に記してある箇所もある(一八七頁)。にもかかわらず、著者執筆以外の巻末などの記述で、「昭和」・「平成」の年号(元号)と西暦の表記の統一がとれていない箇所が目立つ。
 私は、昭和・平成年間あたりは、西暦一本でよいと思うが(現に、国際会議では、日本年号は、周知のようにほとんど意味をなさない)、少なくとも年号(元号)・西暦併記にすべきであったと思う。「年賀状に元号を使うような歴史家は、信用できないー」などと酒席で豪語するお方もいるくらいである。増刷にあたっては、「併記」を落としどころとして、少しの配慮をお願いしたく思う。

 著者には、近世治水史に関する分野で、『近世日本治水史の研究』(一九八六年、雄山閣出版)・『江戸幕府治水政策史の研究』(一九九五年、同)という大著があり、この分野でも開拓者と言ってよいであろう。一方で、江戸幕府の牧についての著作は、様々なところに書かれてきており、なかには一般に人手が困難なものも多かった。それがこうして一書にまとめられたことは、日本近世史の研究史において、計り知れない、重要な意義を持つと言えよう。
 本書は、幕府の牧研究の先駆にして、唯一のまとまった著書であり、この分野の研究の到達点を示している。この峰までどのように登り切り、さらに高見をめざすのかは、われわれ残された者たちの責務と言ってよい。
 歴史に関心をお持ちの方、文化財保護や環境史に関心をお持ちの方にも、ぜひ読んでいただきたい好著である。
(千葉県立中央博物館 自然誌・歴史研究部 主席研究員)


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