大石 学編『近世公文書論−公文書システムの形成と発展−』

評者:市川寛明
「史海」56(2009.5)東京学芸大学史学会


  江戸時代における「公文書」、あるいは「アーカイブズ」を対象とした研究が注目されるようになってすでに久しい。かかる研究動向にとって注目すべき労作 『近世公文書論』が上梓された。本書は、東京学芸大学の大石学氏のもとに集った学生・院生たちが「近世国家・社会と公文書」というテーマのもと共同研究を 行い、議論を積み重ねて完成した知的な「結晶」である。本書の構成は以下のとおりである。

一 本書の構成

まえがき(大石学)
第一章  三野行徳 「幕府代官所における公文書行政の成立とその継続的運営」
第二章  山端 穂 「江戸廻り地域の成立と公文書行政」
第三章  佐藤宏之 「大名改易における藩領処理」
第四章  千葉真由美 「近世百姓印と村の公文書」
第五章  大石 学 「大岡忠相とアーカイブズ政策」  
第六章  横山恭子 「加賀藩の朝鮮人御用にみる公文書」
第七章  山口真実子 「用水組合運営と公文書」
第八章  望月良親 「甲府町年寄の由緒と将軍年始参上」
第九章  竹村 誠 「御三卿一橋徳川家の関東領知役所における『伺書』」
第十章  古谷香絵 「武州一宮氷川神社の代替御礼例書に関する一考察」
第十一章  野村 玄 「近世における太政官印再興の歴史的意義」
第十二章  大嶋陽一 「茶壺道中と数奇屋坊主」
第十三章  野本禎司 「旗本家の知行所行政の実現と『在役』」
第十四章  工藤航平 「村落・地域社会の知行的力量と『村の編纂物』」
終 章  「方法としての近世公文書論」(三野・野本・佐藤・竹村・工藤)
  「江戸時代と公文書」研究会活動記録
あとがき (三野・工藤)

  このように本書は、「公文書」という共通視角のもと、合計十四本にも及ぶ個別論文を束ねた、総ぺージ数八三〇頁にも及ぶ大著である。巻末にある「『江戸時 代と公文書』研究会活動記録」を参照すれば、最初の研究会が二〇〇〇年六月一〇日に開催されて以降、二〇〇五年五月一一日迄の足掛け五年、合計一一回に及ぶシンポジウムを開催し、まさに議論を積み上げた苦労がうかがえる。まずは本 書をまとめ上げた筆者一同の熱意に敬意を表さずにはいられない。かかる労作の書評に、残念ながら評者は必ずしも適役ではない。本書が掲載する諸論文の多岐にわたる専門分野に対して、評者の論じ得る分野はあまりにも狭い。かといって自分の興味に任せて恣意的に各論を選び出して評するのも意に沿わない。そこで 、まえがきと終章で展開される全体の問題意識を取り上げることで書評としたい 。

二 分析視角と「方法としての近世公文書論」

 そこでまず本書が提起する分析視角と方法論について紹介しておきたい。
 本書が提起する分析視角は、空間軸と時間軸のふたつに大別され、空間軸の視角とは、「近世の諸地域において、公文書システムが成立・発展することにより 、国家権力と地域社会の関係が、行政的・契約的性格を強めるとともに、列島規模で国家・社会を集中・統合する実態を明らかにする」ものであり、時間軸とは「近世全時期を通じて成立・発展する公文書システムが、行政や組織運営を合理化・客観化させる過程に迫る。この過程は、官僚制や法制の整備過程と軌を一にするものであり、日本型近代化の一側面を示すもの」とある(「まえがき」二頁 )。
 これに対して終章「方法としての近世公文書論」に示された「近世公文書論」 の方法論的な提起を要約すれば、およそ以下のようなものであった。まず「本書のねらい」を「公文書システムの形成と発展という視角・方法を用いることによ り、新たな近世国家・社会像の提示を目指す」と宣言する。その上で「近世公文 書論」という方法論を「近代的な概念にもとづく「公文書」を狭義の公文書と位置づけ、近世社会特有の社会的公共性の必要から要請される〈公文書〉を広義の 公文書ととらえることで、近世的公文書のありようを考えようとする」ものであり、また「文書を通じた「公」概念の生成・発展という共通の物差しによって、 近世から近代への移行の説明を可能にする方法でもある」と規定する。また統一 国家として正統的「公権」を集約していた幕府の他に、「民間社会の成熟のもとで、様々な社会諸階層も集団を形成して内部に公世界をもつ」にいたり、「行政 文書としての「公文書」と、国家・地域・社会的諸集団の様々な要請から作成された〈公文書〉との関係は、公儀に包摂されきらない民間社会の存在と、それを包摂しようとする公儀権力、その内部のせめぎ合いを描き出す」(「おわりに」 八〇七頁)ようになるという。

三 「方法としての近世公文書論」をめぐって

 本書のような長期にわたる共同研究の成果を出版まで漕ぎ着けるには、共同研究を終始リードしつづける中核的な牽引車が不可欠である。勿論、全体の編者である大石学氏の求心力もあろうが、本書の場合、「方法としての近世公文書論」 に名前を連ねた院生グループの果たした役割の大きさは特筆すべきものがある。 編者が「本書編集の中心的メソバー」(六頁)とする、三野行徳、野本禎司、佐 藤宏之、竹村誠、工藤航平が、牽引車の役割を果たさなければ、かかる大著は、 研究の最終的な成果である叙述として結晶化しえなかったであろう。そしてそこには研究活動の中心的な役割を演じたメンバーたちを鼓舞してやまない研究の方 法論があったはずである。
 それこそが中心的なメンバーたちが議論のなかでたどり着いた「方法としての近世公文書論」のもつ可能性であり、その可能性に対する思いの強固さは「やが てそれは確かに、江戸時代の特徴や変化をあらわしているという確信を得るに至ったように思う」(「おわりに」、八二八頁)という箇所に如実に吐露されている。「方法としての近世公文書」のもつ有効性に対する確信、そしてその確信か らくる情熱こそ研究への原動力であり、多くの若手研究者たちを駆り立てる牽引 力であったに違いない。例え「方法としての近世公文書論」がひとつの作業仮説 に過ぎない段階であって、しかもこの方法論に対する確信が、特定の歴史観への 主観的な「信じ込み」のドグマの危険を孕むものであったとしても、筆者はその ことのもつ積極的な意義を評価したい。たとえドグマの危険をさしひいたとして も、こうした確信をもった経験のない人間は、研究者として自己を確立していくことはできないと考えるからに他ならない。『近世公文書論』をつうじて多くの若手が研究者としてのスタートラインに立ち、巣立っていったことは、本書の最大の成果であったのかもしれない。
 しかし、手放しで喜んでばかりもいられないのもまたこの世界の厳しい現実である。方法への確信が単なる思い込みのドグマに陥っていないか、客観的な検証が常に必要となる。そこで「確信を得るに至った」という高揚感あふれる言説とともに語られる「方法としての近世公文書論」の内実が多くの検証に堪えなければならないが、評者がみるところ、再検討を要する箇所が散見される。何よりも終章「方法としての近世公文書論」を読む限り、「方法としての」説得力を感じることができなかったことは評者としても残念という以外にない。つまり「方法としての近世公文書論」の前半は「近世史料研究の概観」、すなわち研究動向の概観であり、後半の「近世史料論の新展開」も筆者である工藤氏の個別論文にのみ該当するような研究視角の検証を除けば、やはり研究動向の紹介の域を大きく出てはいない。書物、蔵書、図像資料、旧記、地誌、由緒書に関する研究史を跡づけ「これら個々に扱われてきた史資料を“公文書”という視角からみることに より、新たな近世国家・社会像、国家と地域との関係性が展望できることを示し た」とあるが、評者がみるところ、これらを公文書という視角からみること自体の有効性が理解できないという点を差し置くとしても、その結果として展望されるという新しい近世国家・社会像、国家と地域との関係性の実質が見えてこない 。筆者がいわんとする点は、それぞれの個別の研究分野における研究レベルにおいて有効性を主張しえても、方法としての近世公文書論の有効性を裏付けるものとはなっていないように思われる。このように「方法としての近世公文書論」は 、研究史の問題状況を浮き彫りにし、研究に新局面を切り開くために不可欠な方法論を提起するに至っていないのではなかろうか。

四 日本型近代化をめぐって

 「まえがき」において大石氏が展開されている分析視角、すなわちに「近世全期を通じて成立・発展する公文書システム」の「合理化・客観化」の過程」が「日本型近代化の一側面を示す」指標であるとする分析視角に、もっとも合致する論稿は、第一論文の三野論文であろう。ふたりが提起するテーゼこそ、方法とし ての近世公文書論の骨格のなかでも特に重要な背骨となっているとみても大過なかろう。しかし、大石氏の見解では、享保期を画期として日本型近代化への道を 進むことになるのであろうが、三野論文では近代化の画期すら提示されていない 。三野論文が明らかにした勘定所や代官所において作成された文書の変化は、「文書が「公」性を獲得し、それとあわせて行政が公化していく近世社会を映し出すものであ」(三野論文、八九頁)るから、「文書を通じた「公」概念の生成・ 発展という共通の物差しによって、近世から近代への移行の説明を可能とする」という規定を参照すれば、三野論文は、勘定書および代官所という支配の中核に おいて作成された文書の変化によって近代化の過程を検証しようとする目的をも つものである点は間違いない。であるならば、画期をどのように設定するのか、 そのメルクマールは、といった議論が「方法としての近世公文書論」において展開されていてもよかったように思う。
 しかし、江戸時代の各時代にみられた行政文書の厳密化や合理化といった史実 は、その部分だけ取り出せば、元禄期、享保期、寛政期、天保期のいずれの時期 にも見出しうる変化ではなかろうか。であるとすれば、日本型近代化への画期は 何をメルクマールとすべきか、という方法論にかかわる重要な論点が、本書の終章「方法としての近世公文書論」には欠如している点はやはり気になる。
 本書を構成する各論のなかには、「公文書システムが、行政や組織運営を合理 化・客観化させる過程」(「まえがき」二頁)を具体的に描きだすことに成功し ている論考もあろう。であればこそ、具体的な史実として検証される支配の組織 の合理化や客観化といった社会実態をどのように評価するのか、そうした議論が 終章「方法としての近世公文書論」に集約され、方法の確からしさをめぐる議論 が展開されてしかるべきではなかったか。少なくとも評者は、「方法としての近 世公文書論」を掲げるのであれば、合理化や客観化を日本型近代化の指標として 評価しうるのか否か、という論点に対する考察は不可避であったと考える。領主制を基盤とする支配体制のなかに、官僚制的な合理的な支配の進展を見出し、それを近代的な性格をもつものであると評価するならば、そうした合理的な支配を もたらすような、社会基盤の構造的変化をどのように説明するのか言及して欲しかった。そのうえで、そうした社会の基礎構造の変化が領主制支配自体を否定し、脱身分制社会をもたらす原動力となりえたと主張するのであれば、そのような変化が具体的な歴史事象としては、「方法としての近世公文書論」をもちいてどのように検証しうるのか、論及すべきであったと考える。評者は、こうした合理 化や客観化といった変化は、近代化とは一定度独立して進行しうると考える。近 世社会において領主制を支えた支配組織の合理化、より客観化を遂げた支配の実 現といった変化は、近代化ではなく、兵農分離制という特殊な支配体制への対応 の結果である場合が多いと考えている。したがって合理化を近代化に等値するか のような議論とは立場を異にするが、本書に集った著書たちが、日本的近代化論という内在的発展論の立場に立つのであれば、今後「方法としての近世公文書論 」をまさに方法的に論ずる余地はまだまだ残っているのではなかろうか。今後の 研究の発展に期待したい。

おわりに

 以上で雑駁ながら『近世公文書論』の書評をおえたい。筆者の力量不足による 曲解や暴論などがなかったか、心もとない。なによりもひとりひとりの筆者に対して、コメントできなかったことをお詫びしたい。しかし本書が近世アーカイブ ズ研究に著しく裨益する点は疑いようもない。本書がひろく受け入れられ、今後の生産的な議論の出発点となるとともに、本書を主導しつづけてきた若手研究者の今後の更なる活躍を切に願ってやまない。
(江戸東京博物館学芸員)


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