倉石あつ子著『女性民俗誌論』

評者:加賀谷真梨
「日本民俗学」261(2010.2)

 女性を語ることは容易ではない。女性の主体性を強調することによって、女性に抑圧的に機能する社会構造を看過する可能性もあれば、逆にそうした社会構造を中心的に論じた結果、当該社会に生きる女性の主体性を不可視化してしまうこともある。また、女性の霊力やそれに伴う社会的地位に焦点を当てることで、母であり妻であり娘でもある女性の過酷な日常生活の実態を見過ごすこともある。さらには、一九九〇年にクイア理論が提唱され、〈男/女〉といった二項対立的枠組やそれに伴う異性愛体制が脱構築された今日では、〈女性〉とは誰かと、まずは説明が求められるかもしれない。
 民俗学においても、坪井洋文の論文を嚆矢として、女性研究が含み持つ問題群が一九八〇年代半ば以降提起されてきた。それは、八〇年代以降の文化人類学に激震をもたらした〈書く〉〈語る〉行為をめぐる権力性・暴力性への糾弾と無縁ではないだろう。文化人類学ではその後、自らの調査に基づく記述を避けようとする傾向が生じたが、民俗学の女性研究もまた同様の傾向にある。「女性」と一口に括れないほど、女性の生活や生き方が多様化していることもあいまって、民俗学者は女性を語ることそのものから遠ざかっているように思われる。
 しかし、本書の著者は、既存の民俗学の女性研究の視点を詳らかにした上での将来的方向性の提示という試みにより、女性を語ることが困難な時代的制約に果敢に挑んできた。本書は、そうした筆者のこれまでの意欲的な試みに加筆修正を加えた上で、議論を体系的に構成したものである。
 本書は序章と終章を含む一六章を四部に分けて構成されている。

 「序章 女性の民俗−女性論の再生に向けて−」では、民俗学が多様な生活を営む現代女性を論じていく上での問題点と課題の提起が最初に示されている。まず柳田國男の女性論を取り上げ、彼は@女性の霊力の論考、Aイエと女性の研究に従事してきたと小括する。しかし、そのいずれもが同時代の女性の実像とは著しく乖離しており、柳田の論考は自らが理想とした「イエを管掌し継承する主婦」像を反照したに過ぎないと厳しく批判する。また、こうした傾向は柳田の個人的な志向ではなく、研究者の性別に基づく視点の相違からくるものであると、彼に師事した女性研究者が生活に即した女性の役割や活躍に焦点を当てたのに対し、男性研究者は@に固執したことを根拠に指摘する。そして、女性の社会進出が進みながらも、なお男性の視点から生じた論理が維持されている今日、民俗学が進むべき方向性は、同時代を生きる女性の生活実態と男性が気づきにくい女性の視点・疑問・感性をきちんと捉え、女性の抱える問題を「女性問題」として矮小化することなく、対社会の中で考えていくことであると主張する。

 「第一部 民俗学における女性研究の視点」では、女性について論じた著名な民俗学者四名に焦点を当て、その視点の相違を浮き彫りにする。
第一部の「第二章 民俗学研究における女性研究者の視点と男性研究者の視点」では、これまで印象論でしか語られてこなかった研究者の性別による視点の相違を、瀬川清子と岩田準一の海女へのまなざしの比較を通じて実証している。瀬川は海女に関心を持ち、その民俗調査を行ったことで柳田と出会い大成した。それゆえ、まずは彼女が学問に従事するまでの経緯や海女の調査以前の日記の中の歌舞伎や美術展に触れた文章から、女性である瀬川の観察眼の細やかさや記述力の確かさを指摘する。その上で、同時期に『島』に掲載された瀬川と岩田の海女の論述を比較し、瀬川が働く女性の生活実態に強い関心を持っていたのに対し、岩田のそれは海女が伝承する信仰や怪異にあったことを明らかにする。
「第三章 能田多代子の視点」では、章題にあるような能田固有の視点については言及されていないものの、彼女にその視点をもたらした人生について論じている。
「第四章 折口信夫の女性観」では、性的指向が同性に向いていた折口の女性観が学問にどう反映されたかを、柳田との比較に基づいて論じる。折口の複雑な生育環境、すなわち、気難しい婿養子の父親を疎ましく思う母親や叔母との幼少生活を取り上げ、それが自らの家筋や家格に対する強いこだわりや、実生活の描写の不在という状況をもたらしたと指摘する。また、その複雑な家族関係が、清らかさや凛とした美しさを持つ女性を良しとし、男性を誘惑するような女性を汚らわしいと彼に認識させたとも分析する。また、柳田が「家」という社会集団の中での主婦としての女性の役割やその一生に着目したのに対し、折口は女性を「家」と結びつけては考えず、また女性をライフサイクルで捉える視点も不在であり、文化や制度の構造を読み解く鍵として女性を捉えていたと両者の視点の相違を指摘する。柳田とは異なり「嫁にいかない女」を意味あるものとして捉えていた折口の視座や彼の女性観が、「汚れ」をはじめとする彼の民俗学研究にどのような影響を与えたかについて今後詳細に検討していく必要がある、と結んでいる。
「第五章 向山雅重の視点」では、戦後の高度経済成長期に大きく変容した女性の生活を記した向山雅重の論文を俎上に乗せ、彼は先述した研究者とは異なり、日々の衣食の賄いにどう心を配っていたかという経済的な側面や、家業経営のための労働力面での主婦の役割に目を向けるなど、家業運営の中における主婦の実態に迫ろうとした点が特徴的であると指摘する。向山が描いた主婦は、家長の権限の下にある主婦の立場であり、その心意であった。また、高度経済成長期に加速化した家族形態の変容に伴い、女性の経済的自立が可能となる一方、老人の孤独にも目を馳せるなど、実直に同時代を描出する彼の論考は資料的価値としても高いと評価している。

 「第二部 民俗社会における女性たち」には、多様な生業に従事する女性のモノグラフが収められている。「第一章 長野市域の女性たち」では、仏を大切にする同地域の「村」の家に暮らした女性の、嫁入り、先祖供養、葬式、年忌法要、労働、財布の管理といった旧来の女性役割の実態と、それが第二次世界大戦を経て多様化するに至る変遷が、「町」の女性の生活との対比により記されている。本章で筆者は、時代の流れのなかでも、現在もなお「子育て」と「つきあい」という役割は女性に課せられており、女性はそれらを遂行する過程で得る独自の知識と関係性とを家経営に活かそうとしており、そのことが結果的に今日においても「家の繁栄」につながっている、と注目すべき見解を述べる。
「第二章 女性の一日−上越市域に暮らす−」では、雪国上越の町、田園地帯、臨海部、そして山間部と、異なる地理的環境に暮らす女性の一日の暮らしぶりをその相違に留意しながら描出する。特に海女と農村の労働に焦点を当て、人々がいかにして精気を養い労働を継続していたかが活写されている。
「第三章 海沿いの村の女性たち」では、四つの地域の女性の生活が詳述されている。最初に農村地帯である千葉県袖ヶ浦市根形地区が取り上げられ、子育てをしながら田畑の仕事に従事してきた二人の女性の語りに依拠し、隠居制度がありながらも、六〇歳前後になるまで姑の権力下に置かれていた農家の「嫁」としての生活が描かれている。次に、同じく農業地帯であった同市の中川・富岡地区の女性の暮らしぶりを、結婚、出産、子育て、主婦のつきあいから農作業の実態のみならず、主人と雇い主の関係や男の遊び等にまで言及しながら総合的に論じる。次に取り上げられている一九七〇年代に劇的に近代化した習志野市は、半農半漁の生活が営まれていたハマと段丘上にあり畑作が営まれていたオカとに分けられ、女性の生活にも異同が見られた。同地域における講、ショタイの譲渡、行商、カイソ剥き等の描写を通じて、イエと結びついて展開した女の人生の有様が詳らかにされている。最後に、前章でも取り上げられた上越市桑取谷における妊娠・出産・産育と子どものしつけから結婚に至るまでをめぐる習俗が述べられている。とりわけ、オビヤと呼ばれる産室での女性の生活実態と婚礼とが詳述されており、それらが女性達当人にとっても大変印象深い体験であることが、インフォーマントの語りから明らかにされている。
「第四章 商家の女性−松本市域に暮らす−」では、前半に「オクサマ」としてイエの成員全員の調理、洗濯、裁縫等の再生産労働に従事しながらも、表に出てつきあいをすることがなかった明治・大正生まれの商家の嫁の生活が描かれている。また、後半ではサイフの譲られ方について商家と農家とで比較がなされ、いずれにおいても財布は家長や跡取り息子である男性が握っていたこと、商家の女性の方が閉じられた世界にいたこと、賄いの金をもらうのは主婦である姑で嫁ではなかったこと等が明らかにされている。筆者は、サイフを持てる者と持たざる者という関係が互いの力関係に大きな影響を与えたことを指摘した上で、そうした力関係は一定ではなく、個々の家の生業の規模や経済状態、社会における家の位置づけによって嫁への期待感やその力関係は異なると述べ、その上で嫁である女性は各家の価値観を認識し、それを継承していくと指摘する。

 「第三部 女性の役割の象徴性−日・中・韓の養蚕労働から−」では、かつて女性が労働の中心を担っていた養蚕業の三カ国比較がなされる。日本については長野県南安曇郡三郷村を事例に、養蚕が基幹産業となった一九世紀後半からその終焉までの村の変化が描かれている。中国では現在においても養蚕は子どもの精神の涵養に良いと考えられ、その価値が広く認知されているものの、繭値の値下がりにより養蚕に従事する農家の減少、養蚕をめぐる儀礼の消滅が見られる。しかし、養蚕には男性も関与し、男性しかできない作業もあるにもかかわらず、それは女性の仕事であるという認識だけは依然として伝承されている。その背景として筆者は、催青(蚕種のふ化を抑制すること)の行程が女性の妊娠出産になぞらえられていること、すなわち養蚕に女性性という象徴が付与されていることを指摘する。なお、養蚕は宮廷文化・女性文化であったとして近年復元されているものの、実際には宮廷文化が消滅しているために過去のものとなっている。かろうじて栽培している農家では、薬剤の原料とする養蚕に転換しでおり、また、そうした養蚕は機械化・工業化を要するゆえ、男性が中心を担うようになったことが明らかにされている。

 第四部「民俗学としての女性論−課題と展望」の「第一章 伝承の持続と生成」では、「正月準備」と「正月料理」に関して「伝承」が持続される要素と新たに取り込まれていく要素とが、学生のレポートに依拠して論じられる。例えば、正月を神事や儀礼と考えそれを重要視する意識は形骸化し、正月はイベント化しているのに対し、大掃除を重視している家が多いこと。餠や門松を備える日を重視し「禁忌」の概念がみられること。さらには、年越し蕎麦の需要が多いこと等、その内実は変化しようとも特別な行為を行う時間として正月や年末を捉える思考そのものは伝承されていることを詳らかにする。こうした結果から、著者は現代的実践を民俗学の研究対象とすることの重要性を喚起している。
「第二章 育児・介護の労働力としての女性が抱える諸問題」では、現代の日本においても、また中国においても、「家」を継ぐ夫の妻である女性が「嫁のつとめ」として介護役割を引き受け、家族を看取り、葬儀で采配を振るうことが当然視されること。また、それが不十分な場合には非難の対象になるが、自身もまた家産を相続するのだからと、そうした役割期待を受容し、退職して介護に従事せざるを得ない状況があることをを具体的事例を通じて描く。そして、女性が働き続けることが可能な社会状況を福祉政策で講じるのみならず、それを「嫁のつとめ」とみなす価値観に転換が求められていると結ぶ。

 「終章 民俗学とフィールドワーク−その必要性と可能性−」では、柳田国男の主導により幕開けした当時の民俗調査の目的や時代背景のみならず、大間知篤三に指摘された民俗調査の問題点が現存している今日的状況が論じられている。ただし、著者は調査する側とされる側の信頼関係の構築の難しさや社会の多様化に伴う調査項目の立てにくさ等の問題はあるものの、それらに意識的になり、十全に準備をして誠実な対応をとることで乗り越えることが可能であるという立場に立つ。そうした了簡は、民俗調査によってこそ自分が拠ってきた日本人の生活文化の歴史と現在のそれを知ることができ、さらには今後の道しるべを持つことが可能だという筆者の信念から導き出されているに他ならない。

 以上、五〇〇頁に及ぶ大著の要点を記した。以下では、書評者としての立場で、本書の主張する民俗学という学問的見地に立った女性研究の意義や女性民俗誌の可能性、ならびに、本書を通じて浮かび上がってきた今後の課題について論じる。

 一九七〇年代以降、第二派フェミニズムの勃興と共に、女性を語る行為は政治性を帯びざるを得なくなった。しかし、民俗学の女性研究は、当該社会の女性の生活を微細に描出し、特定の時代の特定の地域の人間の生き様を「資料」として残すという学問的見地に依拠しているため、結果的に研究者個人の思想が反映されにくいという特色がみられる。それは本書にも如実に表れており、著者はフェミニズムに意識的でありながらも、その思想を研究には直接投影していない。例えば、社会学者は往々にして女性を抑圧する家父長制の砦として「家」をみなし、その実質的な解体を目指してきたのみならず、そうした家を継承する女性を「伝統」の枠組みで語ってきた。しかし、著者が繰り返し「家」と「嫁」との関係性に言及し、それを単なる抑圧と被抑圧の関係に矮小化せずに論じているのは、そこに知識のない女性が存在するのではなく、自らが置かれた状況下にとどまって、様々な想いに基づいて自己主張をし、日々交渉を続けて抑圧のシステムに亀裂を入れるような女性の姿を読み取っているからに他ならない。徹底して調査地の人々の生活を見据える民俗学者は、他の学問では見落とされがちな現象や論点を掬い取りやすい立ち位置にいると言えよう。従来のフェミニズムにおいて「抑圧された女性」と一括りに不可視化されていた女性たちを可視化する試みが近年のフェミニズムで重視されていることを鑑みると、民俗学はそうした思想的潮流の中でその重要性を喧伝できる材料を豊富に有していると言える。また、そうした学問的利点に自覚的に女性民俗誌を描いていく際、本著で著者が採用している地域毎、時代毎の「比較」、及び、女性の行為を同時代の政治・経済的状況や男性側の論理と接合し総体的に捉える分析手法は有効であると思われる。この手法は文化人類学のジェンダー研究の手法と重複するものではあるが、民俗学で旧来より扱われてきたテーマに新たな視座を見出したり、旧態然として見える状況を再検討しようとする時、こうした分析手法の導入は、新たな理論の構築を予感させてくれるものである。

 最後に、女性民俗誌の可能性や将来性に挑戦していく際の課題として、「変化」の描写のより一層の精緻化を提起したい。著者のみならず多くの民俗学における女性研究に指摘できることだが、民俗学者は時代の変遷に着目して「変化」を描いているものの、そこに記述されているのは変化の「結果」であり、変化の「過程」ではない。実際に当該社会の女性達がどのような論理や交渉術を用いて変化をもたらしたのか、ミクロレベルの記述が見られないのである。例えば文中に「サイフの移譲」を過去の事として語る語りは何度も出てくるが、その行為がある家でなぜ行われなくなったのか、その過程への言及は見られない。家族の成員がどのような論理に基づいて特定の慣習を捉え、複雑に交錯する見解の中で一つの論理が選び取られていったのか・いかなかったのか、その過程を描くことが求められる。「変化」が生じる際の日本の女性の生き様を最大公約的に論じていかない限り、他の学問分野に民俗学の女性研究は地域毎の女性の生活の事例研究だと看取され、その研究成果をより抽象的な議論に用いるのは困難だという印象を与えてしまいかねない。また、逆に変化が生じる・生じないプロセスを理論化していくことは、消滅したと評される数々の「民俗」の現在的状況を再検討することに連なると思われる。

 本書が抱える以上の課題を指摘させて頂いたものの、本書で提示されている詳細なデータの資料的価値は高く、また、民俗学の女性研究の方向性や可能性を読み手に明快に提示してくれる点においても、本書は後学の人々に、そして民俗学以外の研究者にとって価値ある大著である。




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