平野明夫著『徳川権力の形成と発展』

評者:堀越祐一
「国史学」198(2009.3)国史学会(國學院大学)

 本書は戦国・織豊期における徳川氏権力の実態を明らかにすることを目的としたもので、著者がこれまで著してこられた論考十一編に新稿四編を加えた重厚な論文集である。著者は長きにわたり戦国・織豊期の徳川氏について主に研究されてきたが、それだけにとどまらず、幅広く戦国大名全般についても知織を蓄積されてきた。本書には、その成果が十分に活かされている。
 以下、まず本書の構成を記し、概要を述べる。

 序 論 松平・徳川氏研究の軌跡と本書の構成
第一節 近世における松平・徳川氏研究の軌跡
第二節 近現代における松平・徳川氏研究の軌跡
第三節 本書の構成
第一章 戦国期の松平・徳川氏
第一節 松平宗家と今川氏
第二節 徳川氏と足利将軍
第三節 三河統一期の支配体制
第四節 徳川氏の起請文
第二章 織豊大名徳川氏
第一節 徳川氏と織田氏
第二節 豊臣政権下の徳川氏
第三節 徳川氏の年中行事
第四節 松平庶家とその家中
第三章 統一権力徳川氏
第一節 江戸幕府の謡初
第二節 徳川将軍家代替わりの起請文
結 論 中近世移行期の権力

 序論「松平・徳川氏研究の軌跡と本書の構成」では、その題名からもわかるとおり研究史の整理を行っており、近現代にとどまらず、広く近世にもその視野が及んでいる点に、著者の歴史研究に対する姿勢をみることができる。まず近世では@近世的史伝出現期、A官学史学形成期、B武家政治必然史論期、C史料探訪・編纂確立期、D考証学的史学発生期、E朱子学的名分論史観期と六段階に分類し、それぞれについて網羅的な研究史の整理を行っている。さらに近代では、@明治・大正期、A昭和初期『岡崎市史』の刊行、B三十年代における中村孝也氏『徳川家康文書の研究』にはじまる基礎史料集の刊行期、C五十年以降の松平・徳川中心史観に対する批判的検証期、D平成以降の足利将軍・室町幕府の動向を視野に入れた新たな徳川氏研究期、の五段階に分類している。本書はまさにD足利将軍・室町幕府の動向を取り入れたもので、そればかりか織田・豊臣という新たな中央権力の動向をも組み込んだ最新の研究書となっている。

 第一章「戦国期の松平・徳川氏」は、戦国大名として発展していく松平・徳川氏の動向について、今川氏、織田氏、足利将軍などとの関係を通して論じたものである。
まず今川氏と松平氏の関係および三河の在地支配について、家康元服以前の松平氏は今川氏の軍事的従属下にあり、家康が人質として駿府に送られた天文十六年(一五四七)ころからそれが主従関係へと変わったと指摘する。そしてそれらは正月参賀、元服、加冠、偏諱授与などの儀礼的行為によって明確に確認できると論じている。また領地支配については、松平宗家家中には今川の直臣となった者もいたものの権力機構は健在であり、今川氏は松平氏権力の解体・再編を断念し、松平宗家を利用して三河の在地支配を行っていたとする。そしてこのことは、松平氏が国人一揆機構から脱却し、すでに家康以前から戦国大名への道を歩み始めていたことの証左であると論じている。さらに、桶狭間合戦後、家康は即座に信長との戦いを中止して同盟を結び、今川氏との戦いを開始、三河から今川氏の勢力を駆逐した家康は、新たな領国となった東三河に、より密着した支配を行うため酒井忠次を置き、西三河は家康が直接支配する体制をとったとする。
つぎに徳川氏と足利将軍との関係について、徳川氏は三河出身である京都誓願寺住職泰翁を通して、朝廷・将軍へと伝わるルートを永禄四年(一五六一)以前から持っており、将軍足利義輝への馬の献上や徳川への改姓、さらには叙任などに泰翁は大きな役割を果たしたと指摘している。また十五代将軍義昭との関係については、家康は将軍に任官する以前の義昭とすでに交渉をもっており、畿内への出陣なども、信長の意向よりもむしろ義昭の命令を重視して行ったもので、そのような関係は義昭が京都にいたころまで続いていたとする。そしてこれをもって、徳川氏が将軍の直臣的立場にあったと結論づけている。

 第二章「織豊大名徳川氏」は、徳川氏と織田信長・豊臣秀吉という新たな権力者との関係を中心に論じている。
まず織田氏との関係については、書札礼の検討から両者の上下関係を導き出している。足利義昭が健在の時点では対等の書札礼が用いられていたことから、両者は対等の立場にあったとする。しかし天正三年(一五七三)義昭が京都を脱して以降、書札礼は信長を上位としたものに変化していき、それをもって徳川氏を信長の臣下と位置づけている。また家康は、信長から一門に準ずる立場を与えられたと指摘している。
つぎに豊臣政権との関係については、@臣従過程、A位官、B書札礼、C供奉、D役負担、E検地、F政策関与の七点から考察している。家康の豊臣政権への臣従時期を天正十四年(一五八六)秀吉に謁見したときとし、また婚姻関係を結んだことによって秀吉から羽柴一門とみなされ、豊臣大名中第一位の格付けであったとする。ただし、秀吉の定めた体系的な役負担を果たし、また服装・乗物などの身分表徴も豊臣政権の身分秩序のなかに位置づけられ、さらに徳川氏による五か国総検地なども豊臣政権の命令に基づいて行われていたことから、そこに徳川氏の自立性はみられないと論じる。また家康の豊臣政権への政策関与については、文禄四年(一五九五)八月の関白秀次失脚以降のこととし、それ以前においてはいかなる政策決定にも参画していないと指摘している。徳川氏の大名としての実力を評価しつつも、豊臣政権内における位置づけにについては慎重な姿勢をとっていると言えるだろう。

 第三章「統一権力徳川氏」は、謡初と代替わり起請文の二つの視点から、幕政期における徳川氏の権力構造について考察したものである。
謡初とは新年に謡曲のうたいはじめをする儀式であり、これについて、期日・時刻・場所、式次第、列席者、役職者、その変容の順に論じている。元禄年間以前における謡初の祝宴では、とりわけ御三家が重視されており、また列席者も譜代のみ、披露役も酒井氏に限定されていたことから、当時の徳川氏の権力を一門・一族・譜代を中核としたものであったとする。その後、外様大名も多く列席するようになり、披露役も老中へと変化したことから、これをもって徳川権力が外様大名をも含む権力ヘと質的に転換したとし、それを徳川氏が大名権力から国家権力へと変容したものと捉えている。
つぎに、徳川将軍の代替わりに際して提出される代替わり起請文については、その始期、提出者やその手順・作法などを論じている。始期に関しては、そのはじまりを豊臣政権期天正十六年(一五八八)の聚楽第行幸に際して豊臣大名が提出した起請文にもとめ、さらに慶長十六年(一六一一)・同十七年の「三ヵ条誓詞」を基とし、三代家光期に制度的に確立した可能性が高いと論じている。また起請文の提出にあたっては将軍と主従関係を結んでいることが重要であったとし、一七歳以上の御目見以後の大名・旗本が、提出を願い出るという形で行われたことを明らかにしている。これらの考察から、代替わり起請文の提出は近世武家社会において朱印改め(将軍が発する知行安堵状)とならんで主従関係を成立させる重要な契機であり、結局のところ近世の主従関係とは誓約と土地によって成り立っていたとする。また、近世においてなおも起請文が使われ続けた理由について、身分社会において誓約者同士が対等になれる手段が必要であったためと指摘しているのも注目すべき点であろう。

 以上、内容についてごく簡単に紹介した。さて、本書の特徴は、徳川氏の権力構造を明らかにするにあたって、書札礼や年中行事、謡初、代替わり起請文などの儀礼的行為を通してアプローチするという研究手法にあると言えるだろう。とりわけ書札礼からの検討は興味深いものがある。これまでに発表された本書に対する書評のなかには、書札礼だけで権力の実態を明らかにすることはできないという批判もあるが、著者も当然それだけで権力体のすべてが究明できるとは考えておられないであろう。これまでの研究手法とは視点を変えて、見過ごされていた戦国・織豊期における徳川氏の書札礼に注目し明らかにしようとしたものと推察する。大きな研究成果であることは間違いあるまい。
また、豊臣政権における徳川氏の位置づけについても、五か国総検地の在り方をめぐって異論が出ている。すなわち本書では、五か国総検地は豊臣政権の命令に基づいて行われたとし、検地における徳川氏の独自性を否定しているが、やはり「太閤検地」と五か国総検地とは質的に異なるものであろうとの指摘である。五か国総検地の性格についての議論に加わるだけの知識を私は持たないので、この是非については何も言うことはできない。しかし察するに、著者の真意は、検地ひとつの問題ではなく、豊臣政権における徳川氏の実力を全般的に過大評価しがちであった先学に対する批判にあるのではなかろうか。豊臣政権において徳川家康は秀吉に次ぐ強大な存在であり、ゆえにその死後声望が家康に集まっていくのは当然で、関ケ原合戦での勝利を経て全国の支配権を掌握していったのは必然的であったとみなす研究が多くあるなかで、そのような捉え方には賛同しないということを明確に表明されたということなのであろう。五か国総検地をめぐる議論はなおも続けていく必要があるが、豊臣政権における徳川氏の立場についての著者の考えは理解できる。
ところで、本書の構成のなかで、やや物足りなきを感じたのは、秀吉の死去から大坂の陣の間についての論及が少ないことである。このあたりの政治史については、これまであまりにも多く触れられてきたため、あえて多くを語らなかったのかもしれない。しかし、時代の転換期として非常に重要な分岐点であることは間違いなく、徳川氏の動向に精通する著者の考えをもっとうかがいたかった。これについては、今後新たな論考を発表されることを期待したい。

 以上、簡単ではあるが、平野明夫氏の著書を紹介させていただいた。本書は徳川氏の研究者にとって欠かすことのできない書であることは当然であるが、それにとどまらず、戦国大名権力や織豊期政治史、さらに武家儀礼を研究フィールドとする研究者にとっても、必要不可欠なものとなっている。是非ご一読をお勧めしたい。



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