井原今朝男・牛山佳幸編『論集 東国信濃の古代中世史』

評者:久保木 圭一
「ぶい&ぶい」12(2010.3)日本史史料研究会

 長野県内の研究者が自主的に集まった研究会「古代中世史研究会」の研究成果 をとりまとめた論集である。古代から中世にわたるさまざまな時代の諸相にふれ た論文を、T地域史と権力・U前近代の技術と生業・V寺社と信仰の三つのテー マに分けて収録する。執筆陣の年代層もベテランから気鋭の若手までにわたり、 会員層の厚さを感じさせるものである。
 おのおのの論文のテーマは多岐にわたっているので、本書の章立てを掲出のう え、繁をいとわず各論文の要旨を紹介する。

まえがき                           井原今朝男
T 地域史と権力
科野(信濃)国造に関する考察                 小林 敏男
「麻續」の名称とその変遷について              傳田 伊史
十一世紀、東国における国衙支配と坂東諸国済例の形成
   ――諸国未済物・債務処理システムの登場――   井原今朝男
一条高能とその周辺
   ――姻戚関係と政治的役割――              塩原  浩
U 前近代の技術と生業
古代遺跡出土の鉄鏃                      市川 隆之
武家の狩猟と矢開の変化                    中澤 克昭
中世における大唐米の役割
   ――農書の時代への序章――             福嶋 紀子
V 寺社と信仰 平安時代初期の天台教団について
   ――恵亮を中心に――                  原田 和彦
善光寺信仰と女人救済
   ――主として中世における――             牛山 佳幸
信濃国太田荘における熊野社勧請の意義について    入沢 昌基
小笠原貞宗開善寺開基説成立の背景            祢津 宗伸
地方曹洞宗寺院の文書目録作成の歴史的意義
   ――如仲天ァとの関わりから――           村石 正行
古代中世史研究会 活動記録
あとがき                              牛山 佳幸

 小林論考は、従来科野(信濃)国造として認識されてきた諸氏族及び信濃国造 制の実態を明らかにし、信濃国の構造の原初形態に迫ったもの。
 傳田論考は長野・松本間に位置する「麻績(おみ)」という地名の本来の名で ある「麻續(おみ)」の由来について、表記・音訓の両面から詳細な考察を加え たもの。
 井原論考は、将門の乱を源とする「東国亡弊論」を背景とする東国諸国の農業 振興策の展開について論じ、負担軽減を狙う受領と中央政府との関係を論じたも の。
 塩原論考は、鎌倉初期における公武関係で重要な役割を果たした一条高能につ いて、その婚姻関係や経歴から彼の政治的位置を探ったものである。

 市川論考は、東国各地における鏃・馬具・獣骨等の出土状況を整理し、信濃に おける武装の実態を考古学的側面から考究したもの。
 中澤論考は、武家の首長、特に北条得宗家・室町将軍家による狩猟儀礼につい て検討し、両者間の連続性について言及したもの。
 福嶋論考は、備荒作物として中世から普及していた粗悪米・大唐米の特徴を史 料に即して明らかにし、近世における占城米と同一視されてきた近世農書に基づ く従来の誤解を訂正した。併せて換金比率の低い大唐米の存在が、現地における 換金の実情から都市権門を遠ざけた点についても言及されている。

 原田論考は、九世紀に活躍した信濃出身の天台僧・恵亮が清和天皇・藤原良房 との間で果たした役割に着目し、天台宗内における彼の立場について論じた。
 牛山論考は、善光寺にまつわる多彩な説話から、女人救済の諸相について論じ たもの。従来宗教活動から遠ざけられてきた女人のための信仰の場となることに よって、女性による活発な宗教活動を生み出した善光寺の役割についても併せて 言及されている。
 入沢論考は、信濃に土着した伊作島津氏が熊野信仰を持ち込み信濃太田荘に勧 請した歴史的意義について論じたもの。
 祢津論考は、開善寺開基を小笠原貞宗とする従来の説に疑問を呈し、同寺開山 清拙正澄と貞宗との関係・以後の歴代住持のみせた特色等から、両者を対立関係 にあったと位置づけたもの。
 村石論考は、信濃出身の如仲天ァを開山とする備中国洞松寺に残る文書目録を材料に、史料の現存状況に含まれた錯誤を正し、如仲派の信仰形態の一端を明らかにしたものである。
 このように本書においては、古代・中世の信濃が、さまざまな切り口から浮き 彫りにされている。地名・作物・寺院。時を隔てての変容を伴うにせよ、今日の われわれの目に触れるものも少なくはない。山青く水清き信州のはしばしに、い まも歴史が眠っていることを改めて実感させる一書といえよう。


詳細 注文へ 戻る