国文学研究資料館編『藩政アーカイブズの研究』

評者:三宅 正浩
「日本史研究」562(2009.6)

    一

 「藩政アーカイブズ」という聞き慣れない言葉を書名に冠した本書は、藩政文 書管理史に関わる論文をまとめた論文集である。研究史をまとめた二論文、個別 藩における文書管理を扱った六論文、の計八つの論文で構成されている。「あと がき」によれば、二〇〇六年三月二三日二四日に国文学研究資料館において開か れた「地域支配と文書管理」を共通テーマとする共同研究会を契機として生まれ たものであるという。本書は、「藩政アーカイブズ」に関する初の成果である点 が注目されるが、それだけに課題を今後に多くのこしたことも事実であろう。
 まずは本書を構成する各論文を次に示す。

 序 章 藩政文書管理史研究の現状と収録論文の概要(高橋実)
 第一章 松代藩における文書の管理と伝来(原田和彦)
 第二章 萩藩における文書管理と記録作成(山崎一郎)
  第三章 対馬藩の文書管理の変遷−御内書・老中奉書を中心に−(東 昇)
 第四章 近世地方行政における藩庁部局の稟議制と農村社会       −熊本藩民政・地方行政担当部局の行政処理と文書管理−(吉村豊 雄)
 第五章 熊本藩の文書管理の特質(高橋実)
 第六章 鹿児島藩記録所と文書管理
      −文書集積・保管・整理・編纂と支配−(林 匡)
 第七章 村方文書管理史研究の現状と課題(冨善一敏)

 一見して分かるように、研究史を扱う序章と第七章を別にして、本書の中核と なる第二章〜第六章の各論文は、それぞれ独自の視角から個別藩を事例としてそ の文書管理のあり方を考察したものである。
 評者はアーカイブズ学を専門とする立場にはないが、近世大名家文書を用いて 研究を行っており、その立場から本書を通読して気がついたことや感じたことを 述べることで書評の責に応えたい。

    二

 序章では、藩政文書管理史研究の研究史と現状をまとめた上で、収録論文の概 要と位置づけを示している。一九八○年代半ば以降に進展したとするアーカイブ ズ学のなかで、藩政文書の管理保存と伝来についての研究が遅れていることを指 摘しながらも、注目すべきいくつかの個別藩を対象とする研究成果があることを 述べる。そして、諸藩において近世中期から後期にかけて文書管理システムが導 入されたことの理由として、@社会の発展にともなう藩機構の整備と吏僚化、A 大きな藩政化にともなう文書記録の増加、B領民が直接的間接的に政治参加する ケースの増大、をあげている。
 藩政文書管理史研究の課題を的確に示したものである。ただ気になったのは、 藩政文書管理システムが近世中後期に導入されたという視点からでは、近世前期 が対象から抜け落ちてしまわないかという点である。近世前期については、近世 前期当時における文書管理の分析と共に、中後期の価値観によるフィルターを経 て、文書が現在我々の目の前にあるという視点からの考察も必要である。今後考 えていくべき課題であろう。

 第一章は、松代藩真田家文書の、近世から近代にかけての伝来経緯について考 察したものである。真田家文書については、徴古史料としての文書群「吉文書」 と藩の各役所が蓄積した藩庁文書(真田家文書)の二系統があるという。「吉文 書」については、一定の選別を経て徐々に形成され、代々の藩主に引き継がれ、 参勤交代の際に持ち歩かれたことなどを指摘する。「吉文書」は、近世前期には 核となる部分が成立し、近世中期頃には台帳管理がなされていたという。藩庁文 書とされる真田家文書については、真田家に伝来した道具類を明治期に整理する 中でその一環として整理がなされ、その明治期の整理作業が、現在の分割(真田 宝物館所蔵分と国文学研究資料館所蔵分)の基準となったことを想定する。
 「吉文書」という徴古史料(家文書)の形成過程を丹念に追った点が注目され る。何が徴古史料(家文書)になるのかは、その大名家の由緒認識とも絡まる問 題である。無い物ねだりになるが、選別の基準について、もう少し踏み込んだ考 察が欲しかった。また、近代の文書整理が道具類の整理の一環であったことも注 意すべきである。大名家文書の伝来を考える上でこの点のさらなる追究が望まれ る。

 第二章は、萩藩毛利家の藩庁文書である毛利家文庫(山口県文書館所蔵)を素 材に、萩藩の文書管理や記録作成のあり方の特徴を考察したものである。山崎氏 はこれまで、毛利家文庫の全体構造を解明するために「個々の役所の文書群構造 を明らかにする作業を着実に積み重ねていくのが、現実的かつ有効な手段」とし 、萩藩の各役所における文書管理や記録作成について研究を蓄積してきており、 その「中間的な総括」をここで行っている。一七世紀後期から一八世紀初期は、 各役所での文書保存の不完全さが問題視され、組織的に文書を引き継ぐための方 策を講じはじめた時期であり、一八世紀中期以降は、保存文書から必要な情報を 迅速に検索できるシステムを構築していった時期とする。また、役人の文書保存 意識についても触れ、その上に藩の文書保存が成り立っていたことを指摘する。
 まさに近世の藩における「文書管理システム」というべきあり方を分析した論 文であり、特にその時期的変遷について学ぶべき点が多い。また、諸役所の文書 管理を分析した結果として、密用方という役所が藩庁全体の文書管理を統括した という従来の評価に再検討を促している点も注目できる。

 第三章は、対馬藩宗家の文書のうち、特に御内書・老中奉書を取り上げ、享保 期から明治期にかけての長持による管理の変遷を考察したものである。対馬藩に おいては、御内書・老中奉書は選別成巻されて箱に収められ、長持で保管されて おり、基本的には藩主を基準として年代順に編年して整理されていたという。天 明四年の文書破損事件を経て、寛政八年には当時の政治状況を背景に、すべての 御内書・老中奉書が成巻されるという管理方法の転換が起こった。文化期にはこ れまでの目録「古帳」に加えて「新帳」を作成して、藩主別に整理し、この「古 帳」・「新帳」による管理システムが、明治期にいたるまで機能したという。
 いわゆる家文書にあたるものの管理・保存のあり方を考察したもので、その意 味では第二章のような藩政組織の行政文書とは系統の違う文書の管理を扱ったも のである。しかし、その家文書の管理にあたったのも藩政組織である。日常的に 使用するための文書管理と、由緒の根源として保存するための文書管理との関係 を、今後考えてみる必要があるのではなかろうか。

 第四章は、熊本藩の郡方の部局帳簿である「覚帳」を系統的に分析したもので ある。近世の地方行政における稟議制的な行政処理の確立・高度化過程を解明し 、さらに藩が地方行政の根幹を農村社会からの上申文書に依拠しえた行政段階を 指摘している。熊本藩においては、近世を通して次第に農村社会からの上申文書 の処理を業務とする傾向を強め、一九世紀にはその上申文書を裏議制の起案書と して政策形成する段階に至っていた。郡方の帳簿である「覚書」も、宝暦期以降 には農村社会からの上申文書を記録することが主となり、寛政期以降には、上申 文書の原物が「覚帳」に綴じ込まれるようになったという。
 藩全体の文書管理を扱ったものではなく、「覚帳」という一つの文書群の作成 過程とその構成を取り上げ、そこから藩の組織的特質にせまったものである。そ れだけに終わらせず、近世社会の行政の特質までも読み解こうとする著者の論旨 は明解である。方法論的に重要な論文であろう。ただ、説明が丁寧なのはよいが 章全体が長すぎる。

 第五章は、近世中後期から幕末期にかけての熊本藩の文書記録管理システムの あり方とその特質を考察したものである。藩庁各部局での文書管理を、刑法方・ 寺社方・町方を事例に分析し、各部局で現用性の薄れた記録が諸帳方へ引き渡さ れたことを指摘する。諸帳方は文書記録を専門に担当する部局で、その業務は多 岐にわたっていた。文書記録は、現用文書記録は各部局で保管され、半現用・非 現用のそれは諸帳方に引き渡された。引き渡された文書記録は御蔵と坤櫓で保存 され、諸帳方は管理台帳を作成してその管理を行い、文政期などには集中的な点 検と目録の総合的加除訂正などが行われていたという。
 同じ熊本藩を研究対象としながら、第四章とは違い、藩全体の文書管理システ ムを考察したものである。限られた史料からの分析は、今後の「藩政アーカイブ ズ」の方法論に関する一つの方向性を示したものであろう。ただやはり、文書管 理システムに限定しての分析は物足りなさを感じた。近世前期からの時期的な変 遷や、何より藩政の動向との関わりについて合わせて考察していく必要があろう 。

 第六章は、鹿児島藩島津家において島津一門や諸家の家筋を調査・吟味する役 割を担っていた記録所の成立過程と職掌を考察したものである。記録所及び記録 奉行は、元禄期頃から順次制度が整備されたと考えられ、島津氏の家譜編纂及び それに関わる調査に携わると共に、諸役座の文書の管理保管にあたっていた。林 氏は、文書保管の具体例を検討し、一七世紀末から一八世紀初頭にかけて、家譜 編纂と連動して多くの諸役座保管文書が整理され記録所へ移管されて保管された あり方を解明している。そして近世後期の記録所の機能について、各時期におけ る政治的要請をうけて文書保管や種々の調査業務を多く担うようになり、家譜編 纂事業が停滞したことを指摘する。
 この論文もまた、家文書を中心とした文書管理について考察したものである。 家譜編纂が文書管理と連関していき、記録所の業務内容が増大していく過程がよ く分かった。近世大名家(藩)の組織体としての特質について考えさせられる。 ところで、この章もまた長い。藩政文書管理史が論証に非常に手間のかかる分野 であることを示しているともいえるが、工夫が必要であろう。

 第七章は、近世村方文書管理史研究の現状と課題を述べたものである。村方文 書を素材として文書のライフサイクル、保存・管理システムなどが研究され、文 書管理史が研究分野として定立してきたことを述べ(「アーカイブズ学的文書管 理史」)、その一方には、近世特有の文書認識・価値認識との関連で文書管理を 扱う研究動向(「儀礼・由緒論的文書管理史」)があることを指摘する。その上 で、@近世村方文書の作成過程、A幕藩領主の文書管理と村方文書のそれとの連 関、B「近世文書社会の質を問う」こと、C地域間での比較による類型化、を今 後の課題として指摘している。
 藩を対象とした論文ではないが、「藩政アーカイブズ」にとっても学ぶべき示 唆的な論点が提示されている。概して文書管理史研究には、方法論的な課題と、 何を目的とするのかという研究課題に関わる課題があるように思う。

   三

 以上のように、本書は新たな知見と示唆を多く有するものである。以下、全体 を通して感じた、今後課題とすべき点や留意すべき点を述べる。

 第一は、扱う対象に関わる問題である。
 本書で対象とする近世大名家(藩)に残された文書は、本書で示されているよ うに、家文書系統と藩政文書系統、現用文書と非現用文書など、内部に多様性を 有しており、規模が大きい。さらに注意すべきは、近世中後期の藩政改革や種々 の修史事業の際に手が加えられており、加えて近代に至り、廃藩置県による行政 文書の引継ぎ、華族制度の導入、旧各大名家における家譜編纂、財産処分などを 経て現在に伝来していることである。
 藩政文書管理について論述する際、その基礎的な前提として、対象事例とする 藩の藩政機構や藩政の時期的変遷に関する知識が必要である。これは、モデルケ ースとしてある特定の藩のそれを知っていればいいということにはならない。各 藩は、規模も違えば歴史(由緒)も違い、役職名や組織構成も異なる。藩政史を 論述する際にもいえる問題であろうが、こと藩政文書管理史においては、特にそ の前提知識が問題となるように思う。あくまでも、藩政の変遷や由緒、組織体と しての特質に規定された上で文書管理がなされていくのであり、「文書管理シス テム」だけを抽出して分析したのでは見えない部分が多くなろう。本書の内容か らも分かるように、「藩政アーカイブズ」は、藩政史研究と表裏の関係で進めて いくべき分野である。

 第二は、方法と研究目的に関わる問題である。
 本書を通読したとき、ある種のまとまりのなさのようなものを強く感じた。そ れは、収録された各論文が、方法論的に、さらにいえば目指している研究の目的 において、一致していない部分が多くあるように思えたからである。もちろん、 各論文はそれぞれに興味探いのであるが、本書全体として目指すべき方向性が見 えにくいのは事実であろう。
 評者は、本書の内容をふまえ、「藩政アーカイブズ」に関連する研究方法・課 題には、大きく四つの視角があると考える。
 一つ目は、藩政文書管理システムそれ自体を研究目的とする視角である。それ は、村方・町方文書のそれや、他国との比較を経て、現在の図書館・文書館組織 の源流を探る、前近代的な文書管理システムの全体像にも繋がるものであろう。
 二つ目は、藩政文書管理システムのあり方から、近世の政治・社会の特質に迫 る視角である。藩政文書管理システムの解明はあくまでも研究手段であり、研究 目的は近世の政治・社会となる。儀礼や由緒研究と繋がる論点を有する研究であ る。
 三つ目は、現在に伝来している藩政文書群の構造を解明するため、その伝来過 程を解明しようとする視角である。藩政文書群の構造的特質に迫るものであり、 主として文書を所蔵して管理し、提供する立場からの研究であろう。
 四つ目は、個々の史料をアーカイブズ学的に分析し、史料のテキスト分析と合 わせて研究に利用する視角である。史料を用いて研究する際には、「何が書かれ ているのか」のみではなく、その史料の伝来過程や形態、管理保存のされ方など からも情報を読み取り分析することが重要であろう。
 以上の四つの視角は、もちろん相互に密接に関連している。四つ目については 、他の三つとはやや毛色が異なるようにも思える。しかしこれこそが、アーカイ ブズ学を専門とするわけでもなく、(史料所蔵機関に属していて)文書群を縦横 に精査することができる環境にもいないが、大名家(藩)の文書を研究に用いて いる評者のような研究者が意識すべき視角であると考えている。

 本書を読み終えて、大名家(藩)の文書を研究に利用している身として、「藩 政アーカイブズ」的な研究が如何に重要かを改めて痛感した。本書において「藩 政アーカイブズ」はようやく出発点に立ったばかりである。今後、「藩政アーカ イブズ」がどこへ行くのか。多くの研究者が関心を持って積極的に関わっていく べきであろう。
 専ら評者の興味・関心から述べてきた。誤読や思い違いなどがあるかもしれな い。著者と読者にはご寛恕を乞う次第である。


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