村井早苗著『キリシタン禁制の地域的展開』

評者:大橋 幸泰
「歴史評論」710(2009.6)

 キリシタン禁制が江戸幕府の宗教政策の根幹であったことは、誰しも認めると ころであろう。しかし、キリシタン禁制を真正面から検討する研究は意外に少な い。一九九〇年代以降、近世宗教史研究は活況を呈しているといっていいが、日 本列島のそれぞれの地域に即した神仏信仰・民間信仰をめぐる研究が盛んである 一方で、そうした近世人の宗教環境を根底で規定したはずのキリシタン禁制をめ ぐる問題については、限られた研究しかないのが現状である。その数少ない研究 者の一人が本書の著者村井早苗氏である。
 近世人の宗教環境を規定したにもかかわらず、研究そのものが少ないのは、厳 しい禁教政策のなかでキリシタンが表面的には消滅したため、それに関する史料 が残りにくくなってしまったからである。もちろん少なくない潜伏キリシタンの 存在が知られているが、潜伏していたわけだからその存在を示す史料が大量に残 ることの方がおかしい。歴史学は史料に基づいて議論する学問であるから、極め て禁欲的に議論しようとすると、史料のないテーマが敬遠されてしまうのはやむ を得ないことなのかもしれない。しかし、だからといってキリシタン禁制をめぐ る問題が等閑に付されていいはずはなく、制約の多いキリシタン問題について果 敢に研究し、常にこの分野を牽引してきた著者に対して敬意を表したい。
 著者は一九八七年に『幕藩制成立とキリシタン禁制』(文献出版)を上梓して いるが、本書によれば、「キリシタン禁制の支配構造(幕府、藩、天皇、朝廷) の特質を検討」した前書に対して、本書はその続編というべきもので、「キリシ タン禁制が支配される側にとってどのような意味を持ったのかという課題を中心 に追究」したという。本書の構成は以下の通りである。

  序章 キリシタン研究史
  第一編 キリシタン禁制史の概要
    第一章 キリシタン禁制の展開の時期的・地域的偏差  
  第二編 キリシタン禁制と岡山藩   
    第二章 キリシタン禁制をめぐる岡山藩と幕府   
    第三章 キリシタン武士の地域的交流   
    第四章 一キリシタン武士の軌跡   
    第五章 朝鮮生まれのキリシタン市兵衛の生涯  
  第三編 琉球・蝦夷島におけるキリシタン禁制   
    第六章 琉球におけるキリシタン禁制   
    第七章 蝦夷島におけるキリシタン禁制   
    補論 異国・異域とキリシタン  
  第四編 地域における寺社の役割   
    第八章 幕末期下総国葛飾郡高根村における生活   
    第九章 武蔵国豊島郡角筈村と熊野十二社権現   
    第一〇章 下総国葛飾郡藤原新田における村方騒動と寺社   
    第一一章 臼杵藩「文化の一揆」と寺社   
    補論 「文化の一揆」における寺社  
  終章 キリシタン禁制の終焉

  

 第一編では、地域におけるキリシタン禁制の展開過程を追究し、その諸画期と 地域的偏差を明らかにしている。一七世紀初頭以来、キリシタン禁制政策は初め から一律に徹底されたわけではない。いくつかの段階を経て、諸藩はキリシタン 問題について自分で仕置する権利を失っていった。本書が、そのもっとも大きな 画期と見ているのは、一六三七〜三八年に西九州で起こつた島原天草一揆である 。その後、流動性の高い当該期の社会状況を前提に、キリシタンのネットワーク を利用した、幕府宗門改役井上政重による潜伏キリシタンの摘発が個別藩領内に およぶ。そして、一六五〇年代末から始まる一連の潜伏キリシタンの大量露顕を 挺子に「キリシタン禁制政策の究極的な権限が「公儀」に属することが確認され 」、幕府への権力集中が図られていったとされる。本編にはこの一章分しか与え られていないが、新稿である第一章は本書の総論というべき位置にある。
 第二編の各章では、地域の事情による多様なキリシタン禁制のあり方から、幕 府によるその一元化までの過程を丹念に追い、第一章で見通した諸画期を岡山藩 の事例で具体的に検討している。岡山藩領域はキリシタンの濃密な地域だったと はいえないが、そのことによってかえって、キリシタン禁制政策の展開が地域に よって異なっていたことがよく理解できるのである。
 第三編の各章では、幕藩制国家の異域とされる琉球と蝦夷地におけるキリシタ ンをめぐる問題を考察している。そのうえで本編では、「キリシタン禁制の側面 からみると、両地域は幕藩制国家の枠外にあったと考えられる」と結論づけてい る。
 第四編の各章では、キリシタン禁制下における民衆の宗教生活の諸相について 、下総・武蔵・豊前・豊後の諸事例を具体的に検討している。地域も検討内容も さまざまであるが、キリシタン禁制の枠組みのなかで多様な宗教活動が存在して いたことを論証しようとしている。
 とりわけ、第一一章で取り上げた下総国葛飾郡藤原新田における新神騒動は興 味深い。この事件は一八二〇年代前半、松喰虫の被害に対して下付された手当金 をめぐって起こった村方騒動である。その手当金を名主内蔵之助が取り込んだの ではないかとして、年寄権四郎のもとに結束した百姓たちとの間で対立が生じた 。注目すべきは、手当金下付が決定された際の代官中村八太夫が百姓たちによっ て、「徒党守護之神」の「中村大明神」という神格を与えられて祀られたという ことである。これはもちろん「徒党」を正当化しようとするものに違いないが、 百姓の自己主張の際にこのような新しい神格が創造されるのは、民衆宗教が次々 と登場したこの時代の一つの特徴ともいえるのではないか。そして、この新しい 神格が名主側によって「往古切支丹ニ茂似たり」とされたことは、評者が近年、 近世後期には異端的宗教活動と「切支丹」との境界があいまいになったとする主 張(拙稿「正統・異端・切支丹−近世日本の秩序維持とキリシタン禁制(上)( 下)」『早稲田大学教育学部学術研究 地理学・歴史学・社会科学編』五四・五 五、二〇〇六・〇七年)とも合致する。

 本書は総じて、キリシタン禁制という宗教政策が近世の日本列島に生きる人び とにとってどのような意味をもったのかを、地域に即して個別具体的に検討して いる。キリシタンをめぐる問題は、従来、地域的個性を無視して一律に論じられ る傾向にあったが、キリシタン史研究においても地域に即して個別に検討するこ との重要性を示したという点で、このような本書の視点は今後、後に続く者の指 針となろう。地域の多様性はいうまでもないことであるが、キリシタンをめぐる 問題についてもそれが当てはまるという点を実証してみせたことの意味は大きい 。
 しかしその一方で、個別具体的な事例を検討しているのは貴重であるが、これ ら個別の問題が全体史のなかでどのような意味を持つのかという点については、 評者とは意見が異なる、というのが正直な感想である。本書で検討された個々の 事例を、全体史のなかで意味づけるためには何が必要か。もう少し議論したい点 を以下に三点あげたい。

 第一は、キリシタン禁制の地域的偏差をめぐる問題である。その指摘はおおむ ね妥当なものであると評者も考えるが、その一方で、「キリシタン禁制の側面か らみると、両地域(琉球・蝦夷地)は幕藩制国家の枠外にあった」(二一〇頁) という指摘に関しては若干の違和感を感じる。
 近世日本では異域とされた琉球・蝦夷地は幕藩制国家の外側の領域ではあるが 、完全な異国でもなかったことは研究史上もはや常識となったといってよい。キ リシタン禁制の地域的偏差に注目する本書が琉球・蝦夷地におけるキリシタン問 題を検討するのは、近世日本のそれを理解するためには琉球・蝦夷地を切り離し てはいけないとする問題意識を持っているからだと評者は思うのだが、琉球と蝦 夷地に関する右の評価は本書が指摘する重要な事実と照応しないのではないか。 つまり、本書が指摘するようにキリシタン禁制のあり方には地域的偏差があった のであり、琉球・蝦夷地のキリシタン禁制のあり方もその一環として考えた方が 本書の趣旨にかなうように思う。琉球と蝦夷地は、キリシタン禁制について「幕 藩制国家の枠外にあった」のではなく、それぞれの地域的条件によって固有の表 れ方をしたと考えるべきではないか。

 第二に、キリシタン禁制は、「宗教が宗教として存在することを拒否し、民衆 の信教の自由を決定的に奪い去った」(六七頁)という指摘には若干の違和感が ある。もとよりキリシタン禁制が近世日本の宗教環境を厳しく制約したことに異 論はない。キリシタン禁制が近世を通じて重要な宗教政策であり続け、その枠組 みのなかでしか近世人の宗教活動があり得なかったことも事実である。しかし、 近世人には宗教活動の自由がまったくなかったかといえば、それは違う。本書の 第四編で自ら近世人の宗教活動の多様性を主張しているにもかかわらず、右のよ うな表現で近世日本の宗教環境を説明しようとするのは矛盾していないだろうか 。
 近年の近世宗教史研究は、檀那寺の宗教活動に限らず近世人がさまざまな宗教 活動を行っていたことを指摘している(たとえば、高埜利彦他編『近世の宗教と 社会』全三巻、吉川弘文館、二〇〇八年)。厳しく禁止されているはずのキリシ タンでさえ近世を通じて絶えることはなかった。もちろんそれは潜伏という地下 活動の形をとったのであるが、それは評者が指摘したように潜伏キリシタンの世 俗秩序への埋没と「切支丹」イメージの貧困化により、世俗秩序に従順な潜伏キ リシタンの摘発が回避された結果である。限りなくキリシタンの存在が疑われて いたにもかかわらず、表面的に世俗秩序にしたがっていればキリシタンといえど も黙認された(拙著『キリシタン民衆史の研究』東京堂出版、二〇〇一年)。「 切支丹」と混同されるようになる異端的宗教活動が規制の対象とされるようにな るのは、秩序を維持しようとする側にとってそれらが既存の世俗秩序を脅かすも のと認識されるようになるからである。そうでない限り、異端的宗教活動もその まま放っておかれたのであり、厳しく禁止されたはずのキリシタンが潜伏を摘発 されなかったのもその延長上に理解すべきことである。
 このような近世の宗教をめぐる状況と比較して、近代では現人神とされた天皇 のもとに神道が圧倒的に優位な位置を占めるようになった。神仏習合的な信仰形 態に馴染んでいた民衆の抵抗により、さすがに神道の国教化は実現しなかったが 、神道の優位性は決定的となり儀礼としての国家神道が成立する。確かに明治憲 法では「信教の自由」が明記されるが、それはあくまで国家神道を前提としたも のであって、その枠組みを外れた自由ではなかった。きわめてラディカルな思想 をもって一九世紀に登場した天理教が教派神道として変化を余儀なくされたり、 大本教が徹底的な弾圧を受けたりしたのは、近代天皇制の宗教への規制がたいへ ん厳しいものであったことを如実に示している。したがって、評者はキリシタン 禁制が解かれた近代の方こそ近代天皇制のもとで多様な宗教活動が制約を受け、 信教の自由が奪われたのではないかとさえ考える。
 繰り返すが、評者はキリシタン禁制が緩やかであったなどと主張するつもりは 毛頭ない。評者もむしろキリシタン禁制は近世を通じて形骸化したことなどいっ さいなく、一貫して厳しく機能していたという立場をとる。問題はキリシタン禁 制の厳しさをどう評価するかである。そこで、もう少し議論したい第三の点とし て、厳格なキリシタン禁制が社会に与えた影響をあげたい。

 本書は終章において、維新後の千葉県地域における宗教問題を取り上げ、政府 ・行政による宗教規制のあり方や、キリスト教が地域に根付かなかった様子につ いて言及している。明確な指摘はないが、キリシタン禁制によって近世人の宗教 環境がおおいに制約を受けたことの延長上に、近代の宗教問題を位置づけようと している。キリシタン禁制が近代日本に大きな影響を与えたことは間違いないも のと評者も考えるが、キリシタン禁制が厳格であったことの重要な意味は、社会 情勢の変化にともなってキリシタンとは別のものを規制する方向に傾斜していっ たことにこそある。
 本書は一九世紀を「キリシタン禁制の枠組みが定着した」時代ととらえている (二一二頁)が、こうした指摘からすると、キリシタン禁制を固定的にとらえて いるように見える。しかし、私見によれば、キリシタン禁制が厳格であったから こそ潜伏キリシタンを埋没させ、一九世紀に入った頃にはむしろ異端的宗教活動 を取り締まる方向にその内実は変質していた。キリシタン禁制の内実は変化して いるのであり、当該期から近代移行期における宗教問題はその文脈でとらえてい くべきなのではないか。

 いずれにしても、個性ある地域に生きる人びとの宗教をめぐる問題を考えよう とするには、それを規制したキリシタン禁制をめぐる問題を念頭に置くことが必 須である。本書は評者とは意見を異にする部分もあるが、右の重要性を喚起した 研究として高く評価されるべきである。誤読もあるかと思うが、この問題の議論 を進めるための提言と考えていただければ幸いである。なお、評者の怠慢で本書 評が大幅に遅延したことをお詫び申し上げる。
(おおはし ゆきひろ)


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