西海賢二著『富士・大山信仰 山岳信仰と地域社会:下』

評者:牧野眞一
「日本民俗学」259(2009.8)

 本書は、富士信仰を中心に、セットとして展開された相模の大山信仰をも加えまとめられたもので、「山岳信仰と地域社会:上」とされた『武州御嶽山信仰』(岩田書院)の下巻となっている。著者の「はじめに」によれば「近世中期以降、関八州を中心に展開した在地の富士講を紹介しながら、併せて富士講と富士山を結ぶ沿道住民との関わりや、富士山の近世中期以降の展開で一つのセットとして信仰を拡大していった大山信仰と道了尊信仰の地域的展開も視野に置きながら、富士信仰の展開を素描してみた」という。本書を構成する論考の題は次のようである。

 富士講と御師、富士信仰の展開、富士山の山小屋と強力、富士道者の奉納物、峠を越えた富士の道者たち、葛飾区飯塚の富士講、神奈川県開成町の富士講、山岳信仰と奉納物、富士山伝説、同行衆と富士登山、小田原の道了信仰、平塚の平和講、相模大山講と蓑毛御師、守札にみる庶民信仰、片参り・山を割る考、大山信仰の地域的展開、足柄道の交通交易をめぐって。

 こうした題名をみてもわかるようにページ数にして七割以上を富士信仰について論じている。大山信仰や道了尊信仰をとりあげているのはセット化されて信仰されたことによるが、その関連を考察したのが「片参り・山を割る考」である。片参りとは、富士に登って大山には登らないことで、山を割るとは登山道の北口から登り南口に下山すること、あるいはその道をいう。この両方を忌む伝承は関連しており、北口の吉田口から南口を避けて東口の須走口のルートを通るようになると、必然と大山へ向かうコースが多くなる。それが富士参詣者が急増する十八世紀中葉以降、御師の宣伝活動やガイドブックの出版などの影響でしだいにセット化され、片参りを忌む伝承となったという。

 本書のそれぞれの論を展開する資料は、古文書や道中記・宿帳などの史料や、講によるさまざまな奉納物(石造物やマネキなど)、そして聞きとりによる伝承資料などであり、それらを駆使し、多角的に研究対象に迫っている。マネキとは講名や先達名などが布や紙、板などに記され、登拝の際に神社や宿坊、山小屋などに奉納したものである。著者はこのマネキを信仰民具としてとらえ、「富士信仰の展開」では一枚のマネキから調査を進め、埼玉県三芳町の富士講の実態を明らかにしている。富士や大山はもちろん、山岳信仰の研究者にとって必携の書である。


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