説話・伝承学会編『説話・伝承の脱領域』

評者:小堀光夫
「口承文芸研究」33号

 この論文集は、「説話・伝承学の二十五年」というテーマで、二◯◯七年に行われた奈良教育大学での特別講演が元になった論文四本と、「文献から出発して」「フィールドをめぐって」「国外へ向かって」という括りで集められた二十本の論文で構成されている。どの論文も、国文学、口承文芸学、民俗学、神話学の各分野の第一線で活躍する執筆者によるものである。

 特別講演の論文は、中国、朝鮮、日本へと、父系的孝子説話から母系的孝子説話へ、そして仏教説話へと展開されてゆく東アジアの孝子説話を論じた小南一郎(「父母恩重経」の形成と孝子伝説の変貌)、国文学研究とともに長年にわたる奄美・沖縄のフィールドワークから、巫女の憑依の神口と神語りの事例を通して国文学の発生を探求する福田晃(神語りの誕生 <序説>−奄美・沖縄の伝承世界−)、ATU九六◯番の説話を、スペイン語圏と日本を中心としながら国際的な話型の比較研究を試みた三原幸久(「イビクスの鶴」と「言うなの地蔵」−ATU九六◯番の話型研究−)、東アジアにおけるペルシアの宗教、芸術の交流と、奈良時代を中心とした日本への影響を論じた井本英一(イラン文化の東漸)の四本で、説話・伝承の脱領域というテーマと呼応するものとなっている。

 「文献から出発して」では、論文のはじめに、日本の説話研究の歴史と展望について記している小峯和明(東アジアの仏伝をたどる 補説)がある。小峯は、日本の説話研究が、高木敏雄、姉崎正治らによって明治期に欧米から導入された「神話学」から始動し、連動して勃興した柳田國男の民俗学の口承文芸研究によって推進され、大正期には、南方熊楠が『今昔物語集』の考証研究によって、漢訳仏典や世界の説話文献との比較説話学を展開していたが、その比較説話学は芳賀矢一らの国文学研究に取り込まれてしまったことや、明治政府による琉球政府の廃絶、いわゆる琉球処分から日本中心の沖縄学が生まれ、沖縄に日本の原像、古代の姿を求める日本回帰の文化研究の歴史をふりかえっている。
戦後の説話研究は、民俗学系の口承文芸、文化人類学系の口頭伝承、国文学系の説話集中心の研究として、それぞれ展開されるが、学会レベルの相互交流がほとんど行われていないことを指摘し、現状の少子化と人文学後退の流れの中で、その交流は必然化するとしている。
そして、その比較説話学をめぐる相互交流は、「東アジアの漢文文化圏」から始めることを提唱し、その試金石として、説話の原点である東アジアの仏伝を探究している。

 「フィールドをめぐって」では、中国浙江省に伝承される死んだ猫を木に吊るす葬法と蛇・ビワに関する禁忌とその由来譚について論じ、東アジアにおける俗信の比較研究を提言した常光徹(俗信と由来譚−中国浙江省の調査から−)、死後の世界がこの世と逆転した世界であることを語る北アジアのシャーマンや、文化人類学の「象徴的逆転」を視野に入れつつ「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば生まれぬ先の父ぞ悲しき」という逆さま現象を歌う呪歌や奄美の「サカウタ」の民俗的、歴史的背景を考察した花部英雄(逆立ちする呪歌)等が、東アジア、北アジアのフィールドを意識した論考となっている。

 「国外へ向かって」では、竹原威滋(説話の一生とジャンル変遷−「世界の瘤取り鬼」(AT503) をめぐって−)、百田弥栄子(中国の苧環の糸−三輪山説話−)、依田千百子(朝鮮の作物起源神話)等が、表題の通り世界、東アジアを意識した比較説話学の論文となっている。

 すべての論文をここで紹介することはできないが、専門性を越えた脱領域化を意識した説話学を考える重要な論文集である。


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