森安彦編著『武蔵国多摩郡関前新田名主 井口忠左衛門と御門訴事件』

評者:松尾 正人
「中央史学」33(2010.3)

 明治二二(一八七〇)年正月の御門訴事件は、品川県の苛酷な社倉政策に反発した農民が日本橋浜町の県庁に門訴し、厳しい弾圧により多数の犠牲者を出した事件として知られている。御門訴を行ったのは武蔵野新田の十二か村の農民で、牢死者の一人が関前新田名主の井口忠左衛門であった。本書は、この御門訴事件から一四〇年を迎え、犠牲となった井口忠左衛門百四十年回忌に出版された記念誌である。
 本書の主な構成は、左の通りである。
  序文
  第一部 御門訴事件と井口忠左衛門
  第二部 新田開発と井口家の人々
  第三部 井口家ゆかりの人々
  第四部 井口家の古文書
  井口家系図・年譜
  編集後記

 第一部は、編著者の三論文の構成で、最初の「御門訴事件の展開」では、明治元(一八六八)年に設置された品川県が、凶作飢饉対策として県下の諸村に貯穀の供出を命じた社倉政策の厳しい実態、それに対して武蔵野新田の窮状を訴えた村役人層の嘆願運動を明らかにした。村役人代表の二名が「宿預」になったことから小前農民が行動を起し、明治三年正月十日に五、六百人の農民たちが県側の阻止線を迂回して県庁に押しかけたことを分析。門訴の農民たちに県側が鎮圧を強行して多数が捕縛され、劣悪な牢内と苛酷な拷問などで井口忠左衛門はじめ八名が獄死したこと、社倉出穀高が農民側の要求を入れた当初の負担と変わらない額に減じられたことなどを明らかにした。
第二の「門訴から箱訴へ−御門訴事件の第二段階−」では、関野新田名主清十郎倅の国蔵が弾正台へ箱訴を行ったこと、古賀定雄品川県権知事などに対する弾正台の訊問と県側の答弁内容を史料にもとづいて紹介した。また十二か村新田の嘆願書二点の分析を通じて、門訴後の村役人や農民・女性に対する品川県側の苛酷な拷問や弾圧の実情を論じている。
第三の「井口忠左衛門の「建言」「建言副書」とその背景」では、関前新田の忠左衛門が明治二年九月に品川県に提出した九千字におよぶ「建言」の内容、および慶応二年六月の武州世直し一揆との関係などを紹介した。横浜開港後の地域社会の変動に対する積極的な建言、さらにその背景となった武州世直し一揆の際の対応、忠左衛門自身の経済的危機をあきらかにしている。
また第二部は、鈴木研「武蔵野の新田開発−多摩関前村・同新田を中心に−」と桜井芳郎「江戸時代天領下における地方名主の系譜及び所蔵文書について−特に武州多摩郡関前村の場合−」を収録した。江戸時代の関前・関前新田村を中心にした新田開発の過程、関前村名主井口家の系譜と所蔵文書の実際が知られる。井口良美「井口忠左衛門の長男剣蔵の足跡を訪ねて」は井口剣蔵の生涯を明らかにし、森安彦「井口家に関する断章」は、「系図から見た戦国武士の帰農化」「近藤勇の手紙と剣術道場」「武蔵野新田名主の「建言」」「井口荘司の二つの戒名」などを掲載している。さらに第三部の「井口家ゆかりの人々」では、井口家と地縁・血縁のある関係者の寄稿一三編を収録した。
そして、第四部の森安彦「井口家の古文書」は、二〇〇〇余点の井口家文書から三七点を翻刻・収録した。内訳は「新田開発」が一一点、「新田の展開」が一五点、「御門訴事件」の関係が一一点である。

 本書の編著者である森安彦氏は、近世史研究とりわけ多摩地域史研究の第一人者であり、御門訴事件についても「明治初年、東京周辺における農民闘争−品川県社倉騒動を中心に−」(佐々木潤之介編『村方騒動と世直し』上、青木書店、一九七二年)、「「御門訴」の展開過程−明治初年の品川県社倉騒動−」(『多摩のあゆみ』五八号、一九九〇年)などの研究を重ねてきた。それらの一部は本書に収録されたが、新たな研究成果「門訴から箱訴へ−御門訴事件の第二段階−」を加え、本書の内容を充実させている。
また、本書の全頁数の半分におよぶ「井口家の古文書」は、御門訴事件関係の重要な史料群で、同事件についての一層の研究発展を促がす貴重な財産となる。武蔵野新田の開発あるいはその後の展開に関わる史料も収録され、それらが今後の多摩地域史研究の基礎となることはいうまでもない。収録された史料については、上段に古文書の写真を掲示し、下段に解読文を対比させ、懇切な解説が加えられている。古文書講座などを長く担当されてきた編著者の懇切な配慮である。本書が、多くの読者に活用され、近世・近代の地域史研究の一層の発展、とりわけ多摩の明治維新史研究の充実につながることは間違いない。
(二〇〇八年十一月、故・井口忠左衛門御門訴事件百四十年回忌記念会代表 井口良美 発行)


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