井上寛司著『日本中世国家と諸国一宮制』

評者:村上弘子
「地方史研究」343(2010.2)

 本書は、これまで著者を代表として活動してきた中世諸国一宮研究会(二〇〇〇年に一宮研究会と改称)によりまとめられた『中世諸国一宮制の基礎的研究』および『中世一宮制の歴史的展開』(上・下)(いずれも岩田書院刊)の成果を集大成したものである。その目指すところは、序章に述べるように「本書は、多様な形で現れる中世の諸国一宮制の問題を、この時代に特有な一つの国家的な神社制度と捉える観点に立って、その成立から解体に至る過程の全体を、できるだけトータルな形で解明すること」である。
 本書の構成は以下のようになっている。

序章 中世諸国一宮制研究の課題と方法
−研究史の整理と課題の設定−
第一章 中世諸国一宮制の成立
はじめに
第一節 研究史の概要と特徴
第二節 中世諸国一宮制の基本的性格
第三節 中世諸国一宮制の成立過程
むすび
第二章 中世諸国一宮制の構造と特質
はじめに
第一節 社官組織
第二節 社領構成
第三節 造営形態
第四節 祭礼構造
第三章 中世諸国一宮制の変質
はじめに
第一節 中世後期(南北朝・室町期)一宮の類型区分
第二節 中世後期一宮の諸形態
第三節 中世諸国一宮制の変質と形骸化
むすび
第四章 中世諸国一宮制の解体
はじめに
第一節 戦国期一宮の諸形態
第二節 戦国期一宮の類型区分と中世諸国一宮制の解体
むすび
結章 総括と展望
註/あとがき/寺社名索引

 まず序章では、これまでの研究史の概要と現在の到達点が、A.幕末から一九六〇年代まで、B.一九六〇年代末以後、C.一九八〇年代以後に分けてまとめられ、次いで中世一宮制研究の問題群とその分析視角が記されている。中世諸国一宮研究会(一宮研究会)の成立は、C期後半期に至って、これまでの個人的・個別的研究が全国的な視野による共同研究として進められる体制が整えられたことを意味する。
第一章では、平安末・鎌倉期を中心として、中世諸国一宮制の基本的性格とその成立過程について検討が加えられ、諸国一宮(国鎮守)は各国毎に設けられた、各地域の中にある国家的な神社(=地域的国家神)で「国中第一の霊神」であったとされる。そして中世諸国一宮制は十一世紀中頃から十三世紀初頭に至る間に、三つの段階を経て成立したことが指摘される。                                  第二章では、やはり平安末・鎌倉期を中心に、中世諸国一宮制の構造と特質について、社官組織・社領構成・造営形態・祭礼構造の四点を中心に考察がなされる。そこから中世諸国一宮は、「国衙・社家相共に」の原則、即ち国衙(世俗権力)と一宮社家(宗教権力)との協力・共同作業により、整備・運用が進められていったとの指摘がなされている。
次いで第三章では、平安末・鎌倉初期に整備・確立された一宮制が、鎌倉末から南北朝・室町期のいわゆる中世前期から後期への移行を通じてどのように変質したのかについて、諸国一宮を四つないし五つの類型に区分し、考察が行われている。その結果、中世後期の諸国一宮制の歴史的特徴として、顕著な地域的多様性、「国鎮守」としての機能の保持とともに、天皇・公家・武家等の中央諸権力との直接的結びつき、とりわけ中央神祇官諸家との結びつきの広がりが指摘されている。
第四章では、戦国期を中心に中世諸国一宮制の解体過程が考察される。「国」の鎮守神という中世諸国一宮の最も本質的な属性が、戦国期に至って動揺し解体したこと、それは中世顕密体制の解体でもあり、「国鎮守」制の解体、すなわち「国」支配秩序そのものの解体であったことが指摘される。そしてそのことは、世俗の倫理に基づく政治的・社会的統合の前進に他ならないとしている。
結章では、中世諸国一宮(国鎮守)の歴史的性格、中世諸国一宮制と日本中世国家論についての著者の考えが述べられ、併せて今後に残された課題が整理されている。

 中世諸国一宮制研究全体における本書の位置を、著者自身は「今後における本格的な一宮制研究を進めていくための一つのたたき台(問題提起)、作業仮説の構築」とされる。中世諸国一宮制についての研究は、その実態の多様さゆえに、これまで全体をトータルな形で論じた研究が存在しなかった。著者自身も、一宮それ自体の多様な実態に即して解明を進める必要があることを本書各所で確認している。しかし、著者は今後一宮制研究を発展させるためには、全体像の提示の緊要性を感じており、本書においてそれを試みた。今後、本書を通じて、一宮の実態について、地域的特殊性と全国的普遍性の統一の上に立った各国、及び各時代ごとのさらに踏み込んだ分析・考察が成されていくことが期待される。


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