松尾恒一著 『延年の芸能史的研究』
評者・西岡芳文 掲載紙(國學院雑誌1107 99.7)

延年とは、平安後期(院政期)より畿内の大寺院で行われた、仏事に附属する儀礼である。法会に続いて舞楽・猿楽・朗詠・白拍子・風流などが次々に上演される一連の儀式を「延年」と呼び、日本芸能の揺藍となった場として古来注目されている。本書はこの延年について、芸能史の視点を基軸としながら、畿内大寺院の中世的な運営組織のあり方を視野におきつつ、儀礼構造論の視角も採り入れて、延年の文化史的意義を鮮やかに解明した力作である。
第一章「延年の発生と成立」では、平安〜鎌倉時代の記録に残る延年について網羅的に検討した上で、延年が〈法会の余興〉として始まったとする通説に対し、むしろ賓客来臨(来訪した勅使・公卿への饗応)や任官儀礼(僧官の就任祝賀)の際に開催されたことを明らかにする。
次いで権門寺院の衆徒が延年開催の原動力となった意味を考察し、衆徒の軍事行動(嗷訴)における一連の発向の儀礼と延年の次第が同じ儀礼構造をもつことを指摘している。
第二章「園城寺の延年」は、鎌倉時代の園城寺を具体的な題材として延年の位相を解明する。文献として現存する鎌倉後期の十一篇の「開口」の詞章を分析し、一山の頂点に立つ長吏の入寺・拝堂の際に開催される開口・延年が、朝廷における朝賀儀と共通する服属儀礼の機能をもつとする。また延年の舞台となった一山鎮守・新羅明神社の祭礼が、しばしば山門大衆との武力抗争の危機を背景に、命がけの起請の手続きを公示し、寺内の結束を図る場であったことを示す。
第三章「興福寺延年、発生と展開」は、南都興福寺維摩会の延年についての分析である。成立期から鎌倉時代にかけて、舞楽をともなう金堂前延年が仏事の法楽として行われたのに対し、講師房延年は、維摩会で講師の大役を勤めた学僧への祝賀を目的として開催されたとする。そして儀礼構造論的分析では、講師房延年の一連の儀礼が、天皇の大嘗祭における廻立殿潔斎や清暑堂神楽と共通のプロセス・機能をもつことを指摘する。
さらに、記録史料に恵まれた室町時代の興福寺延年について、延年がより発達・拡大した経過を追跡する。また当代においてもう一つの延年の舞台となった州会が、学僧の入学儀礼の意味をもち、「番論議」を終えた新入の学侶が、余興として烏帽子をつけ、「倶舎舞」を演じた事実を解明する。ここに現存する各地の延年芸能にみられる「倶舎舞」のルーツが、中世の権門寺院にあるという重要な指摘がなされている。
第四章「延年芸能の考察」では、院政期に発生した延年について、より広い視点からの芸能史的考察が展開される。本来厳粛な学問儀礼である仏事に、衆徒の示威行為として割り込む形で発生した延年の「結構」が、当初から異形の芸能としての性格をもち、風流・ばさら・かぶきに連なる反体制的な側面を有していたこと、さらに大衆が催す延年の祭儀が、体制側に属する寺家政所との間の緊張関係の中で、軍事的デモンストレーションとしての役割を果たしたことを指摘する。そして従来の芸能史研究は、延年の芸能的な部分だけを注目していたが、実はそれは延年全体のモドキとも位置づけられる部分に過ぎず、室町時代になって寺家と衆徒との緊張関係が失われた後に、延年が芸能的に肥大化し、ある意味では堕落した姿であると考える。
続いて延年風流の芸能の内容について分析が加えられる。まず「走物」という延年風流の演目について、近世の延年が逆に能の演出を取り入れて成立したもので、延年の歴史から見れば一種の変質した姿であると把握する。次に今まで注目されなかった延年の「舞催」役について考察する。この役を担う僧は、稚児の「糸輪」舞や聖なる作り物や神仏を先導・勧請する機能をもち、延年全体の司会進行役をつとめる重要な役割であったことを解明する。そして開演の口上や「糸輪」との関わりから、近世の「猿若」が、機能が類似するだけではなく、系譜的にも延年の舞催に直接することを推定する。延年の舞催を認識することによって、猿若や初期歌舞伎が南都禰宜衆と近い関係にあるとする先行研究を増強し、日本芸能史に明確な脈絡をつける大きな発見がなされている。
終章では、各章の実証分析をもとに、延年の発生・成立がまとめられ、体系的に延年の芸能史的叙述がなされる。さらに巻末には、複雑な儀礼のプロセスを、確実な史料に基づいて順を追って復元した「興福寺維摩会の儀礼構成」と題する報告が収められ、関連する未紹介史料五点を、図版も含めて翻刻・紹介している。

以上のように、本書は、著者の博士学位論文を中核にして史料紹介や報告を加えた重厚な研究書となっている。周知の通り、延年は芸能史研究では必ず言及される一分野ではあったが、多くの場合、猿楽能の前史として触れられるか、あるいは民俗芸能の特殊な形態として、付随的に記述されるにとどまっていた。それがようやく重厚なこの一書によって初めて芸能史の主流に位置づけられたわけである。
しかし本書の学術的意義はそれだけに限られるものではない。延年は、中世社会の重要な一角を構成する寺社権門の中心的な儀式であった。そのため、中世の大寺社の組織構造や政治的立場を完全に把握しなければ延年を理解することはできない。したがって、現在盛行のきざしを見せつつある中世寺院史研究の蓄積を充分に踏まえ、中世寺院の活動によって生み出された膨大な聖教史料を探索した上でなければ、延年の実態もまた把握することはできないのである。
最近十数年の間に、中世寺院史の研究は、それまで見向きもされなかった聖教史料の調査を蓄積することによって、全く新しい研究段階に到達しつつある。著者・松尾氏もまたその重要な推進者として研究活動を続けてこられた一人であり、片足を既存の芸能史研究の世界に置きつつも、より広い展望の下に本書を完成されたのである。「芸能」という視点は、文化史の一分野の研究手段として有効であったことは確かだが、その反面、延年のような、芸能だけに限らない複合的な儀礼を把握するためには限界があることも否めない。本書は標題に「芸能史的研究」の語を冠しているが、そこには、本書のなかで用いられている研究の方法・成果を踏まえた上で、既存の芸能史をさらに止揚せんとする意識が込められているものと、評者には感じられる。
延年という儀礼そのものは、すでに廃れて久しく、そのリアルな姿は地方の民俗芸能の中にかすかな痕跡を残すだけである。本書は中央の大寺院を主要な研究対象とするために、民俗芸能の分野に属する実例については、わずかに言及されているに過ぎないが、著者の研究はかなりその分野の採訪も重ねていると仄聞している。中央の大寺院で現在も行われる儀礼の実態研究とあわせて、本書の延長線上に続く業績をさらにまとめられることを期待したい。
それにしても、本書において生き生きと描きだされる中世の大寺院の学侶や衆徒の姿をみるとき、逆に現代の大学という社会が、いかに生気のないものであるかと痛感される。一時期、学生運動が昂揚したとは言え、それが何らの芸能も文化も生み出さず、継承もされなかったことを考えあわせると、中世の大学にあたる権門寺院の世界には、血の通った自前の文化が熟成され、脈々と息づいていたことが理解される。形骸だけを西欧より輸入した近代日本の大学が転機にさしかかっている現在、延年という儀礼を通じて本書が明らかにした中世の寺院社会のあり方は、単なる過去の遺物ではなく、現代の学問世界の再構築のためにも大いに学ぶべき内容をもっているのではないだろうか。

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