「一遍の宗教の根本問題として、賦算札がなぜすべての人びとを救うことができるのかという難問がある。信じない者まで決定往生させ得る賦算札とは、いったい何なのか。『一遍聖絵』に障害者や乞食に賦算する図は皆無なのに、かれらも救われるとすればそれはなぜか。一遍入滅後、真教が六十万人知識になり得た本当の理由は何か。…巻初に据えた一遍関係の論文三編は、一遍の宗教の本質を私はこう理解するという基本線を明示したつもりである。
一遍の宗教は、真教以後、歴代上人の遊行賦算により中世最大の浄土教団を形成する。しかし近世に入ると、遊行賦算それ自体が大きく変容してしまう。なぜそんなに変わってしまったのか。変容の原因と経過を究明するには、まず近世遊行の実態を明らかにしなければならない。…
本書は、『一遍と時衆教団』『時衆教団の地方展開』につづく、私としては三冊目の歴史研究書である。ここ十年あまりの歳月は、老躯にむち打って前二著で扱い得なかった近世遊行の研究に力を注ぎ、遊行送迎の在地史料の発掘・収集・解読・整理・解説に多くの時間と労力をついやした。…結果として歴史学界に寄与するに足る成果をあげることができたと思っている。」
(「あとがき」より) |