山本聡美・西山美香編『九相図資料集成』

評者:大塚英志
「週刊ポスト」(2009.10.9)

 一五年戦争下、藤田嗣治が戦争プロパガンダのために描いた戦争画の一つにノモンハン事件で日本兵の蛆虫の湧いた死体をソ連の戦車が押しつぶしていくというモチーフのものがあったといわれる。藤田は別に反戦思想の持ち主ではないし、戦争画そのものが藤田スタイルと呼ばれ、敗戦後は画壇かららGHQに藤田自身が戦犯として差し出されかけたぐらいだが、それでも確認できる藤田の戦争画の中には余りに凄惨過ぎて何だか宗教画に見えてしまうものがある。
 本書はといえば、先日も死体専門のまんが屋が護憲を語るなと「九条の会」の人に言われたぼくが、「死体ばかり出てくるまんが」の資料に買ったものだ。書名となっている九相図とは、死体が腐乱し四散するまでの過程を身も蓋もないモチーフで描いた仏教画で、自身や異性の肉体への執着や欲求を捨てるために死体の朽ち果てていく様相を具体的に(時には本当に死体を観察し)想像する「九相観」を視覚化したものだ。しかし死体が膨張し、あるいは獣に食い荒らされる様のリアルな描写は「九相図」の死体が必ずといっていいほど若い女性であることを考えれば、どこかで死を主題とするポルノグラフィとしても両義的に受けとめられた側面があった気がする。それは藤田の戦争画ともちょっと似ていて、結果として宗教的であることと死を好奇心に満ちて描くことは多分、藤田の中では少しも矛盾しない。
 ぼくは昔からインドあたりで死体の写真をとってきたくらいでメメント・モリ(死を想え)と説教する写賽家のことをとてもつまらなく感じてきた。その一方で例えば岡崎京子が、死体を見ることでかろうじて生に自分を繋ぎ止める少年たちを描いた『リバーズ・エッジ』を美しい物語だと想う。死体を扱う限りそれはポルノグラフィであることをまぬがれないが、そこから先、死を「想う」ところまで受け手を誘えるかどうかという問いの中に「九相図」は一貫してあって、そのことが死体専門のまんが作者としてはとても興味深い。

(まんが原作者)


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