白石太良著『共同風呂−近代村落社会の入浴事情−』

評者:一矢典子
「御影史学論集」34(2009.10)

 本書は、白石太良氏が「共同風呂」をテーマに、長年にわたる研究成果を人文地理学、民俗学の学際的な視点から考察されたものである。緒言で「本書は、共同風呂に関する事実の記録という立場でまとめている。」と記されているように、聞き書きやアンケートなどを基にした調査報告や事例報告を中心にまとめられている。

 本書でいう「共同風呂」とは、主に農村において、仲間を組織して共同利用の風呂小屋を建て、費用や労力を出し合い入浴する風呂をいう。この際、水汲みから湯沸しまでを仲間で分担して行い、仲間の家族のみが無料で入浴するので、銭湯や温泉場の共同浴場とは異なる。これまで共同風呂は、民俗学、人文地理学ともに顧みられることが少なかった。本書では、共同風呂という事象の実態を明らかにすることを重点の一つにおいている。本書の構成は次のとおりである。

緒言
T 共同風呂の特徴
 1.共同風呂の意味
 2.共同風呂の分布
 3.成立と衰退
 4.湯沸しについて
 5.風呂の仲間
 6.地域のなかの共同風呂
U 共同風呂の事例研究
 1.鳥取県中部の共同風呂
 2.佐賀県旧北茂安町の共同風呂
 3.愛媛県西部の共同風呂
 4.北海道と沖縄県の共同風呂
V 共同風呂の調査報告
 1.秋田県と青森県の事例
 2.新潟県と石川県における聞き書き
 3.愛媛県西予市宇和町の座談会抄録
 4.北部九州の市町村史から
 5.長崎県における調査
W 韓国の共同風呂
 1.セマウル運動に伴う共同風呂
 2.済州島における共同水浴び浴場
X いくつかの共同浴場事情
 1.神戸と明石における公衆浴場の現状
 2.三朝温泉と関金温泉の共同浴場
 3.大阪府池田市の風呂と暮らし
 4.韓国における沐浴場の利用
 5.東アジアの共同浴場
 6.鳥取県中・西部における公共温泉の顧客圏
あとがき

 かつて、日常の暮らしのなかで「風呂に入る」のは容易ではなかった。普通の庶民が毎日のように自分の家で温かい湯に浸かるようになったのは、たかだか40年ほど前からのことにすぎない。風呂に入るには、銭湯か他家の風呂場を借りるもらい風呂であったが、毎日のように遠慮なく風呂に入ることはできなかった。気兼ねなく毎日のように風呂に入ることを可能にした共同風呂は、農・漁村に暮らす庶民たちの知恵であった。
 「T共同風呂の特徴」では、共同風呂は明治期から昭和初期にかけて成立し、昭和40年以降に高度経済成長期を迎え、家風呂が普及すると、急速に廃止されていったことがわかる。こうした共同風呂の分布は、青森県から鹿児島県までの全市町村へのアンケート結果から、特定の地域に限定された事象ではなく、ほぼ全国的な分布がみられることを指摘されている。共同風呂は特に、北部九州で高密度に分布しており、主に西日本の農村部を中心として広く各地にみられた。
 次の「U共同風呂の事例研究」では、地域住民の入浴圏に重点をおきながら入浴行動について考察する。各地の共同風呂の事例を比較すると、形態、運営、利用法など共通性が多く、共同風呂を通して当時の生活文化が見えてくる。共同風呂は燃料などの費用や水汲み、湯沸しなどの労力の節約の利点があるほか、人間関係の構築や情報交換の場となるなどプラスの面があげられる。しかし一方で、プライバシーの問題や衛生面などマイナスの面も兼ね備えていたことがわかる。
 「V共同風呂の調査報告」では、共同風呂が入浴という事象だけを目的とするのではなく、地域において重要な役割を担っていたことがわかる。例えば、共同風呂では年寄りの入浴を近所の人たちが助けるなど、地域住民の連帯意識をうみだしている。また、前章に引き続き、共同風呂を通して日本人の裸体観をうかがうことができる。現在と比べると、男女の区別が緩やかな人間関係が形成されていたことがわかる。
 「W韓国の共同風呂」では、隣国の大韓民国の共同風呂について考察する。日本と韓国の共同風呂を比較し、設置時期や背景などが異なるなど相違点を指摘されている。日本と韓国の共同風呂では、施設の形態や運営方式、地域社会における役割など類似点が多いことがわかる。
 「Xいくつかの共同浴場事情」では、温泉地にみられる共同浴場への住民の関わりを示されている。また、日本・韓国・中国の共同浴場を比較し、入浴の目的、入浴行為、身体観の相違を指摘されている。

 以上のように、共同風呂を通して共同浴という日本の入浴文化や生活文化、あるいは共同風呂を支える地域の存在が見えてくる。共同風呂は庶民の生活文化の一断面であり、地域のあり様を表出させる事象の一つなのである。
 本書は、入浴という身近なテーマから様々な事をうかがい知ることができ大変興味深い。また本書を読むと、入浴に対する意識が大きく変わるであろう。現在、個人浴が主となり、かつて「風呂に入る」ことが、簡単ではなかったことを知らない世代が増えつつある。さらに隣国と比較しても、入浴行為そのものに日本の生活文化が現れていることに気付かされる。
 しかし「風呂に入る」ことは、身近なテーマではあるものの記録に残りにくい事象である。かつて、庶民の入浴を支えた共同風呂・共同浴について記録、研究することの重要性を認識するとともに、入浴とは何かを考えさせられる大変貴重な論考である。


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