森田清美著
『霧島山麓の隠れ念仏と修験〜念仏信仰の歴史民俗学的研究〜』

評者:岩船昌起
「みやざき民俗」61(2009.2)

 南九州の「隠れ念仏」という民俗宗教を研究対象とした本書では、丹念なフィールドワークを継続的に積み重ねて得られた資料を基に、歴史学的観点も踏まえつつ様々な切り口から根拠ある論考を進めている。自然地理学を専門として民俗学会だけでなく医学・体育学系学会にも参加する評者も、聞き書きから採録された資料や古文書等の文献資料に基づいた本書の実証的な論理展開を辿ることによって、シャーマン、修験、浄土真宗、水神信仰、多神教、たたり等と関連する「隠れ念仏」の歴史民俗学的な実態に迫ることができた。
 この書評では、評者が専門的に門外漢であるので、民俗学および歴史学に関する解釈には基本的に触れず、森田氏の「隠れ念仏」研究に関して自然地理学的・生気象学的・植物生態学的な観点からの研究・解釈の可能性について指摘する形をとりたい。

 まず「隠れ念仏」の信仰組織の維持・結束に多大な役割を果たしている御霊信仰に関連して「白鳥の『カゼ』」を取り上げたい。「白鳥の『カゼ』」は、「カヤカベ類似の宗教」地帯における信仰で、一種の「たたり」と関係する。森田氏によると「六部を殺したために、白鳥の『カゼ』が吹き、一族や集落の人々が高熱にうなされたり、牛馬が死んだりして色々な災厄を蒙る」ものであるという。
 これを自然地理学的・生気象学的に解釈すると次のようになる。「白鳥の『カゼ』」が吹き「カヤカベ類似の宗教」が信仰される都城地域は、霧島山東麓の盆地に位置する。ここでは、北西の季節風が卓越する十一月から翌年三月頃には、盆地北西側の霧島山系から吹き降ろす「霧島おろし」によって晴天日が多く、フェーン現象を伴い乾燥した比較的温暖な気候が続く。その中で晴天の夜間には、霧島山の高標高域で放射冷却された大気が山地斜面を下る冷気流となり、冷気が盆地底に蓄積して冷気湖を形成する。霧島山麓と都城盆地では、このために日没から朝方に気温が急低下し、昼間との気温差が大きくなる。このような盆地の気候は、生気象学では、「負荷性気候」とされ、インフルエンザ等のかぜ症候群や、心筋梗塞や脳梗塞等の循環器系の疾病等に罹患する可能性を高くする。従って、医療が未発達で自然環境が人間の健康に大きく影響した近代以前において、都城盆地では南九州の他地域と比べて右記の疾病に罹患しやすい環境的素因が存在していたとみなせる。
 次に、外部からの人間の出入りが極端に制限されていた島津領では、「隠れ念仏」が信仰される農村地域にインフルエンザや流行性脳炎等の感染症か持ち込まれるとすれば、領外からの訪問者である六部や修験等が関連する可能性が高い。例えば、インフルエンザの場合、鎖国政策実施以降の日本では、長崎界隈から流行が始まることが多く、九州中北部を通過し、島津領内に侵入した六部がインフルエンザウィルスを持ち込むことが想定できる。霧島山からの冷気流とフェーンによる寒暖の差によって冬季に免疫力が低下した人々が、集落に訪れた六部と接触してインフルエンザウィルスに感染する。そして、尊敬するべき六部を藩命等によって冷遇する等の行為に自責に念を抱き、ストレスを感じてさらに免疫力が低下する。終には、インフルエンザを発症し、看護の家族等を介して一族や集落の人々に次々に感染・発症が拡大すれば、「一族や集落の人々が高熱にうなされる」こととなる。またインフルエンザに関連せずとも、ストレスから交感神経優位の緊張した心身の状態が続き、心筋梗塞や脳梗塞等、他の疾病で「突然死」する可能性もある。
 「霧島おろし」や盆地の負荷性気候という生気象学的な素因が有史以前から存在する都城地域において、このような疾病罷患の構造は、薬師信仰とも関連して民間医療にも長けた六部や修験等によって「たたり」と結びつけられ、「隠れ念仏」という民俗宗教の布教・維持に結果として活用されたのであろう。これは、都城地域で「カヤカベ類似の宗教」が発生・継続し得た要因の一つとして、詳細に再考察する必要があろう。

 同様に「白鳥講」での「椎の木渡り」にも、自然地理学的・植物生態学的な解釈を加えたい。「椎」は、照葉樹林(暖温帯常緑広葉樹林)を構成する代表的な樹種・ブナ科シイ属の総称であり、ドングリを食した縄文時代から貴重な有用樹種として人々に認識されてきた。九州山地の植生は、低標高地域からタブノキやシイとカシ類の照葉樹林、モミやツガに代表される中間温帯林、ブナやミズナラの落葉広葉樹林(冷温帯夏緑樹林)の順に出現し、垂直的な成帯構造(垂直分帯)を形成する。「椎の木渡り」が採録される都城地域が照葉樹林帯に属し、森田氏の「椎の木を渡るのは鳥と解したい」という解釈を尊重すると、シイ属に代表される照葉樹林を渡った先は、景観的にも異なり、食料となるドングリを生産しないモミやツガの中間温帯林となる。つまり、食べ物が極めて乏しい「生きられない世界」となり、中間温帯林が立地する標高帯は、ドングリを生す照葉樹林帯とは明確に対比される空間と識別できる。そしてその先の高所は、火山景観と激しい気象変化が展開される山頂付近の異世界へとつながる。従って、「椎の木渡り」は、霧島山麓の霧島講が盛んな地域での「死んだらオタコ(御岳)に魂が登っていく」という伝承と同様に、「祖霊は霧島山に登る」という霧島修験での垂直的な他界観が反映されたもの、との解釈もできる。
 森田氏は「白鳥講」での「やなぎ渡り」との関連で「隠れ念仏」の他界観を論じ、水田耕作との関連から水神との習合を推定している。霧島山には、「水分山」として河川水・地下水を涵養する機能に加えて、風系や植生等に関する様々な自然的な機能があり、それらは、人々の生活様式の変化に応じて、先史時代から人々の意識に挙がる主役が交代してきた。このように、民俗に関連する自然の機能への論考をさらに加えることで、縄文・弥生と、先史時代から継承された山岳と祖霊信仰との関連を「隠れ念仏」という民俗宗教の中に見出すことができ、より大きな枠組みでの民俗学的研究テーマにも発展できるであろう。

 以上のように、自然科学からの考察を展開可能にしていることは、森田氏が資料に基づく「実証的な研究」を着実に遂行しているからである。本書は、他の研究分野からの論考・評論を可能とする科学的論理性を有する貴重な学術書である。
(志學館大学 歴史地理コース准教授)


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