服部治則著『武田氏家臣団の系譜』

評者:戸谷穂高
「歴史評論」702(2008.10)

 本書は、戟国大名武田氏家臣団をめぐる基礎研究に業績を残してきた著者が、主に一九七〇〜八〇年代にかけて発表した論考をまとめたものである。
 収録された論考は順に、
 @武田相模守信豊
 A今井兵庫助とその系譜
 B栗原伊豆守信友とその系譜
 C甲府盆地中央部の諸豪族
 D内藤修理亮とその系譜
 E内藤大和守昌月
 F跡部伊賀守信秋(攀桂斎)とその系譜
 G武田家臣団における親族関係(一)武田氏と望月氏
 H武田家臣団における親族関係(二)甘利氏と安中氏
 I武田家臣団における親族関係(三)馬場氏
 J武田勝頼家臣の官途名・受領名
 K長篠合戦における武田将士の年齢
の計一二編である。ここでは便宜的に五分割して紹介をおこなうことにする。

 まず、勝頼期を中心に一門衆筆頭として活動した信豊個人に注目し、一次史料を中心にその事績を概観した@は、信豊の名乗りや姻戚関係の把握など、他論考に通底する姿勢が認められ、本書の序論ともいうべき位置づけにある。
 つづくA〜Cでは、一五世紀から一六世紀初頭、つまり武田氏が大名権力を確立する以前に惣領家に対抗した、今井氏ら庶家について、『一蓮寺過去帳』や各記録を素材とし、また各種系図の比較を通じて、その系譜を考察する。
 D〜Fは、晴信(信玄)期後半から勝頼期にかけて、領国統治に重要な役割を果たした内藤昌秀・昌月、跡部信秋・勝資両父子の基礎的研究である。ともに関連文書を集積し、その検討を通じて、人物の事績や受領・官途の変遷とその時期を明らかにする。また昌月が信濃国衆保科氏からの養子であることを解明し、勝資長子が上野国衆和田氏を継承した信業である点にも言及しているように、著者の視野は狭義の武田氏領国内にとどまらない。
 そしてG〜Iにてその視線は、家臣団内を横断する親族関係に焦点が結ばれる。この一連の考察は、『甲陽軍鑑』中の記事で、永禄八年六月のことと伝える「縁者組之事」に着目したものであり、武田氏およびその重臣馬場・山県氏と、望月氏ら国衆との間に取り交わされた婚姻政策の実態、およびその周辺の親族関係に迫る。
 勝頼期の主な家臣について官途・受領の変遷時期を考察し、天正八年に家臣団の名乗りが一斉に変更された傾向を明らかにしたJは、後に武田氏関連文書の年次比定に不可欠な指針となっている。そしてKでは長篠合戦時つまり天正三年を定点として、主要家臣の年齢を算出している。

 これらの成果が発表された当時は、『新編甲州古文書』や『信濃史料』の刊行はあったものの、『山梨県史資料編』や『戦国遺文武田氏編』を得た現在と比べて、まず史料の博捜に多大な労力を割く必要があった。それにもかかわらず、『甲陽軍鑑』や『甲斐国志』など編纂物の記述に安易に拠らず、一次史料をもとに検討しなおした姿勢がまず評価されよう。なお引用史料の大半には、先に挙げた最新史料集の番号を対応させており、新規読者への配慮がなされている点も付記しておく。
 著者の研究経歴については、著者が病気療養中のため平山優氏が執筆した本書「あとがき」、および著者自身の講演記録「「武田家家臣の系譜」の研究について」(『武田氏研究』一〇、一九九三年)をとおして知ることができるが、それによれば社会学・民俗学的見地から山梨県下の親分子分慣行の淵源を探るなか、中世寄親寄子制との間に擬制的同族関係という類似性を見出したことから、家臣団を一種の社会集団として捉えるにいたり、また磯貝正義氏とともに『甲陽軍鑑』の校注をおこなった経験が、武田氏家臣団に対する研究意欲を高める契機となったという。

 これらの経歴を象徴し、本書全編を貫くのが、家臣団構成員相互の婚姻関係への関心であり、家臣個々が持つ名乗りなどの情報、および年齢へのまなざしである。戦国大名の家臣クラス、特に江戸期以前に血脈が絶えた家については、その生没年が判明することは意外と少なく、武田氏家臣団もまた例外ではない。しかし著者は推定をまじえながらもその把握に努め、系譜復元の足がかりを築いている。例えば二五九頁所載の「今井氏各代生年推定表」はその真骨頂ともいうべきものである。
 またKのように、特定時点での年齢を割り出す作業も、家中の年齢構成に迫る興味深い試みである。一五年以上にわたる学制が確立し、ごく近年まで年功序列削が社会経済界で圧倒的な支配力を保っていた近現代ほどではないにしろ、戦国期家中が年齢のもつ影響力と完全に無縁であったとは思われない。それにもかかわらず、元服・家督継承時などの例外を除き、その人物の年齢を絶えず意識している研究者は少ないのではないか。その点で著者の視角はかえって新鮮である。

 本書は基礎研究を中心に据えたものだけに、課題設定・論証・結論という明確な筋道のもとで論が進むことは少ない。そして各種事項の検討が連続し、また事例によっては結論が保留されている個所もあるため、一読しただけでは主題・論旨を的確に理解できない場合もある。しかし著者が繰り広げている試行錯誤こそが武田氏研究に多くの視点を提供し、現在の活況の礎となったのであって、この含蓄に富む研究書をまえにして、全くの初心者である紹介者が苦闘を余儀なくされるのも至極当然であろう。
 なお本書の刊行には、山梨県外では入手困難な媒体に発表された著者の先駆的業績を論集にまとめることで、後進の研究条件を改善したいという、発起人平山氏・黒田基樹氏の意向があったという。よってこの恵まれた研究条件を生かして、多くの方、特に武田氏研究に本格的に取り組もうとする若手研究者に、ぜひ味読、そして格闘をしていただきたいものである。
(とや・ほだか)


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