森田きよみ著『小天狗道中記』
評者・木場明志 掲載誌・宗教民俗研究10(2000.9)


 さても不思議な魅力を感じさせる本が出たものである。
 著者森田氏は「小天狗」を自称する天狗研究者であり、本書は全国の天狗霊場の調査探訪記なのであるが、人も知る天狗信仰聖地の高尾山薬王院貫主をはじめ、日本山岳修験学会会長・同副会長といった錚々たる研究者のお歴々による「推薦のことば」が巻頭に付されていることからも、著者がいかにそれらの方々に支援され、愛されているかが類推される。それほどに著者は、ある時は貪欲にある時は遠慮深く、またある時は力強くある時はけなげに、実地踏査を続けてきたのであった。
 そうした天狗信仰研究の成果をどのように集大成するのかと訝しく思うところがあったが、何と、道中記という形で、まさに地のままに出版に及んだのには驚くしかない。しかし、これが一番良い選択だったであろう。著者の人となりと天狗調査への情熟が、ありのままに伝わってくる内容となっている。高尾山薬王院発行の冊子に三年間にわたって連載した「小天狗道中記」が元になっているという。
 三十六章にわたる調査探訪記は、成功談あり失敗談あり、まさに悲喜こもごもで、思わず笑ったり同情したりはたまた共感もするという、えも言われぬ魅力に富んでいるが、自ら志したことへの飽くなき情熱と労苦を厭わずチャレンジする不屈の精神、そして何とも明るくあっけらかんとした著者持ち前の愛すべき個性には、現代の研究者が失いかけている自分が納得するまで追求を止めない研究者魂のうごめきが感ぜられる。著者は「天狗研究家」と名乗って研究者と称することに遠慮を見せているが、何々家というマニアックの域を越えた学ぶべきものを見る。フィールド研究者かくあるべしである。
 内容紹介から反れそうなので内容について一言すれば、足を使って調査するとはこういうことだという見本のようである。フィールド調査ノートの単行本化のようなものだが、足を使い体を使い、頭を使い心を使って調査と聞き取りを蓄積していく人間臭い研究法を示してくれている。文献も多用し、文献の検証も怠りないのだが、研究というものが人間を忘れてはならず、天狗もまた人間との交わりにおいて棲息してきたことを思わしめられる。
 天狗の本質を学術的に極める研究とは一味違った天狗の実態論として、興味深い記述を多く含んでいる。何よりもまず、読んで楽しい一書である。
最後に、本書の「大峰山南奥駆け紀行」の一節を引いて、著者の主張の一端と感懐を独特の筆致と共に紹介しておきたい。

 科学医学が、先行する世の中。けれど、生あれば必ず死あり、時は確実に過ぎ行く。その真実を、歴史は 静かに物語っている。地球上に住み、一動物にスギない人間様が生きるために、偉大な大自然のセツナを知らねばならぬ。その中で生かされていると感じれば、自ずと有り難さと感謝の念が生じます。自然への謙虚さを失ったら、古来より優しき日本人の心は、ドコヘ行っちゃうのだろ?(中略)
 その夜、寝つかれぬ小天狗(著者自身のこと)。玉置神社、夜の散歩。ふっと気づけば、満天降るほどの星とオボロな月。月明かりに、白く鈍く映し出された石段にシャガミ込む。深山の静寂、豪華極まる星の輝き。美の源流が、どこにあるのか? 偉大なる大自然に身を任せ、玉置の夜はシンシンと更けた…。銀河系、この美しい地球で、愚息小天狗、本当に生きてて良かったぁ!

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