本書は上野の古代史について文献史学の観点から、数多くの問題提起を行ってきた関口功一氏の古代氏族に関する論文集である。以下にその構成を示す。
第一部 上毛野氏をめぐる諸問題
l、ヒコサシマとミモロワケ
2、白村江の戦いと上毛野稚子
3、「上毛野」氏の基本的性格をめぐって
4、七人の配流者
5、上毛野君(→公)氏
6、二つの民族系譜
7、上毛野穎人
第二部「東国六腹朝臣」の意味
1、下毛野氏に関する基礎的考察
2、佐味朝臣氏
3、大野朝臣東人
4、池田朝臣氏
5、車持氏の問題点
6、「東国六腹朝臣」
第三部 東国地域の基礎構造
1、「上毛野国造」
2、上毛野坂本朝臣男嶋とその一族
3、地域支配の重層性に関する一考察
4、畿外の渡来人
「古代氏族」と題するが、本書の中心課題は上毛野氏であり、本書でも通説に対し果敢に問題提起を行っている。
関口氏はかつて『群馬県史 通史編2』で考古学と文献史学の安易な結合を批判し、史料を厳密に解釈することで、上毛野氏が関東に影響力を持つ大豪族であるとする通説に、痛烈に批判を加えたことで知られる。関口氏の説は県史という概説書での見解であったため、県内では広く読まれ、特に考古学の研究者が氏族史に関して慎重になるなど大きな影響力を持った。しかし、逆に概説書であるため、県外では問題視されず、近年刊行されている各種の概説書においても、上毛野氏は、通説通り、東国の大豪族として扱われている。こうしたねじれ現象は、著者が論文誌上で充分な研究成果を出す前に、県史で上毛野氏に対する問題提起を行ったことにある。この経緯は『群馬県史研究』32・33に詳しい。その意味で本書は待たれた論文集であるといえる。
県史が出て二十年が過ぎた。関口氏の問題提起は実証されたのだろうか。本書では奈良・平安時代の上毛野氏を中心に分析を加え、本来の上毛野氏が令制下、中央政界で早くに衰退し、渡来系の上毛野氏が台頭、彼らを中心として氏族伝承が再構成されたことを論じる。また、六腹朝臣氏族を分析し、上野との関連性が薄いことを解明、「六腹朝臣」は渡来系氏族が創出した造語であるとする。さらに上野における上毛野氏の在地基盤の弱さを指摘する。その中で従来の上毛野氏像の払拭をはかるのである。
著者が提起した上毛野氏像は、個々の氏族の動向や六腹朝臣の解釈について異論の余地があり、その当否は今後の議論に委ねられよう。本書の問題は、著者の方法論が上毛野氏の外皮を剥ぎ、本質を解明しようとする方法であるため、令制以前の上毛野氏については充分な検討がなされていない点にある。その意味では関口氏の上毛野氏論は結論がでたわけではなく、今後に多くの課題を残しているといえる。とはいえ、群馬県における上毛野氏研究に大きな影響を与えてきた関口氏がその研究成果をまとめた意義は大きい。
上毛野氏は現在でも百家争鳴の感のある研究課題である。本論文集を契機として上毛野氏の研究がさらに深まることを期待する。
(明和学園短期大学)
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