小川千代子ほか著『アーカイブを学ぶ−束京大学大学院講義録「アーカイブの世界」−』
評者:針谷 武志
掲載誌:「アーカイブズ学研究」No.8(2008.3)


 本書の基本的な性格は、本書「あとがき」の記載がもっとも端的に示している。それによれば、「本書は、東京大学大学院情報学環「文化人間情報学 基礎W(歴史情報・アーカイブ)」の2005年冬学期授業ノート、及び受講者による見学レポートを取りまとめたもの」であり、その「内容は、アーカイブのことばの定義に始まり、アーカイブの諸原則、アーカイブと記録管理・文書管理の関わり、電子記録の問題、世界のアーカイブ事情などを扱う入門講座」であるとしている。「半期四か月余りの間に三回の見学会を組み込んだ」ということを特色として強調している。
 日本の大学や大学院におけるアーカイブズ教育はまだまだ端緒についたばかりだというのが実状であろう。大学のアーカイブズ関連授業に関しては、歴史学や情報学、博物館学、図書館学の授業を「アーカイブズの授業」として流用しているのがほとんどで、それらの分野とは重ならない純正なアーカイブズの授業はごく僅かしか行われていないという実態はまだ変わっていないであろう(『アーキビスト養成の現状分析と今後の展望−全国歴史資料保存利用機関連絡協議会専門職問題委員会によるアーカイブズ関係科目調査のまとめ−』、2006年3月刊参照)。いわんや、アーカイブズ教育に共有できる教科書・テキストの整備は、いくつかのブックレットなどを除けばお寒い状況で、これから早急に充実を図るべきであると感じていた所である。そうした中で本書が刊行されたことは、大変歓迎すべきことである。大学でのアーカイブズ教育の教科書にも利用できるのではないか、そう期待して本書を紐解いていった。
 まず構成を知るために、目次を略記すると以下の通りである。

第一部 アーカイブを知る(小川千代子)
第二部 アーカイブを歩く
  1 東京大学大学史史料室(谷本宗生)
  2 国立公文書館(小川千代子)
  3 板橋区公文書館(三浦喜代)
第三部 アーカイブを問う(小川千代子)
第四部 アーカイブを考える
  1 国立公文書館設立をめぐる政治(阿部純)
  2 民間記録(鈴木香織)
  3 知的財産権と公文書(大川内隆朗)
  4 アーカイブズの建築(研谷紀夫)
5 東京大学大学院情報環境のアーカイブズ(研谷紀夫・小泉智佐子・山本拓司)
残すということ(小川千代子)
あとがき

 第一部は、アーカイブズの概論というか、認識論にあたるものである。章だては「1 アーカィブとは」、「2 記録とは」、「3 情報と記録の発生と蓄積」、「4 文書事務の基礎知識」、「5 文書館の諸原則」、「6 文書のライフサイクル」で構成されている。
 まず「アーカイブ」「アーカイブズ」の言葉を丁寧に見ていっている。「アーカイブス」やコンピュータ用語の「アーカイブ」がどんどん一人歩きしてしまった日本では、まず最初にこだわるべき事柄であるというのは、同感である。最近ではさらに「デジタルアーカイブ」という言葉が浸透していっており、いっそうアーカイブとは映像のことだとの世間一般の認識が強固になっているように思われるので特にそうである。しかし私の経験でも、本来のアーカイブが映像とは違う(だけではない)ことを最初に強調しすぎると、一般人や学部1・2年生対象の入門講座としては、聞き手に「難解」という感想を持たせてしまいがちのような気もしている。であるけれども本書は大学院での「入門講座」であるから、本書ではとくに問題にならないものと思う。
 また、本書はここで「アーカイブに新たに「保存対象の正式記録」の定義を加えたい」と提言しているが(p15)、すこし説明が不足している感がある。公文書館法の「公文書等」の「等」に民間記録が含まれることは、立法時の国会答弁で確認され、政府の法令解釈でも確認されていることは周知の事柄であるから、「正式」が「公官庁の」という意味に限定されないであろうとは察しがつくものの、正式でない記録とは何か、それらはアーカイブに含めないのか判然としない。読んでいてふと止まるところである。
 「記録」という言葉についても高いレベルの叙述と感じた。ドキュメント、レコードからアーカイブズになるというライフサイクルの単なる一過程のものとしてではなく、記録の認識論にまで立ち至った叙述となっている。客観的な記録とは何かを考えさせている。「客観的に記録するためだけに書かれたものでさえも、談話で発された呼吸や間合いなどのニュアンスは消えてしまう」(p20),「書き手が事実をそのまま書こうとしていなければ、記録されているからといって事実であると直ちに断定できるとは限らない」(p21)などの注意を喚起している。ここには、歴史学が気にしている、史料に書いてあるからと言って史実とは限らない、記者のメンタリティが示されている、とする考えに通底するものを感じさせる。それと同質のセンス、慧眼が、記録をアーカイブとして保存することに要請されることをじんわり読み手に感じさせる。
 「4文書事務の基礎知識」では、文書の特性や、文書管理規定、文書事務、記録管理、その世界標準のISO-15489-1(JIS X 0902-1)について述べているが、骨格を示すだけに留めているようである。繁雑にすぎる個別の例はかえって本質の理解の妨げになるからであろうか。文書行政や現代行政文書の話をするとなると、国・自治体ごとに差違がある上に、行政法などの理解がなければ、かえって難解となるかもしれない。
 「5文書館の諸原則」では、10原則すなわち、@収集・整理4原則(出所原則、原秩序尊重の原則、原形保存の原則、記録の原則)、A利用・閲覧2原則(平等閲覧原則、30年原則)、B保存・修復4原則(可逆性の原則、安全性の原則、原形保存の原則、記録の原則)について解説している。@の収集・整理4原則では、これまで必ずしも「記録の原則」は挙げられていなかった(前の3原則に含意させていた)ようにも思えるが、記録化を徹底するためにはこれを入れた方が明確である。Aの2原則については、ICAの決議という規範が存在することを明確に指摘している。あらためて原則をまとめたよい整理で、入門者の理解を助けると思う。
 「6 文書のライフサイクル」では、ライフサイクルに関連して、アカウンタビリティと公文書館法について触れている。ちらりとだが、情報公開法が「知る権利」を盛り込まなかったことにも触れている。もちろん行政法学者が、「知る権利」を盛り込まず、アカウンタビリティ(と国民主権)では、行政府側の一方的な加工を認める危険性があるという警告を発していることを想起してのことであろうが(例えば芝池義一『市民生活と行政法』(放送大学教育振興会、2005年)p132。放送講義において「説明責任」は説明できればよく、「知る権利」は加工されていない元々のものを知る権利と説明している)、そのことは詳述していない。「入門講座」でどこまで触れるべきかという問題に帰着するように思われる。

 第二部は、三つのアーカイブズ、すなわち東京大学大学史史料室、国立公文書館、板橋区公文書館を見学した大学院生の感想が主である。最初にそれぞれの館のコンセプトや基礎データが館の立場から解説されたのち、見学側の立場から、院生のレポート(実態は感想)が一定の項目ごとに列記されている。大学院生だけあって、感想にしてもその質は高いように感じるが、やはりまだ利用者(消費者)側の感想(要望)が多く、保存者(生産者)側にはなっていないのは、入り口である「入門講座」での見学であるから当然だと思う。しかし次のような感想を見ると考え込んでしまう。
 ある院生は、コンピュータが得意らしく、どうしても電子情報の方に優越性があり、紙媒体を同等どころか、それより劣った不便なものとする考えから抜け出せないでいる。もちろん利便性だけ特に重視する「消費者」側の視点なのだが、こうした感想に触れるたび、アーカイブズ教育を大学や大学院「から」始める事自体に問題がありやしないか、もっと早く、小学校か中学校から教育すべき問題なのではないか、と痛切に感じる。一般的な日本人は、コンピュータの方を先に触れるのである。もちろん、そのような技術的な問題よりもなによりも、市民社会の基礎であるからにはなのだが。

 第三部は「1日本の文書館の法制」「2 電子記録の保存とデジタルアーカイブ」「3 アーキビストの倫理を考える」の3章よりなる。
 「1日本の文書館の法制」では公文書館法と国立公文書館法についての解説であるが、小川氏の記録管理院構想についても、触れる程度に提示している。この構想について詳述した文献は、一般の人には入手しにくいのではないかと思われるから、入門書であることをもっと活用して、もう少しアピールしてもよいのではないかと思った。
 「2 電子記録の保存とデジタルアーカイブ」では、徹底して電子情報の脆弱性を強調している。また、「情報家電」(企業)の言う長期がたかだか5年であることなど、常識の差についても指摘している。やはり電子情報を絶対視、盲信する一般的状況を小川氏も憂えていることが私には響いてくる。正論である。だが、家電コンピュータに浸りきった学生やー般の方々にはどれだけ響いてくれるだろう? こう書くと皮肉か反語みたいだが、そうではなく純粋な疑問である。私が抱えている教育現場の問題でもあるからである。
 世間一般では、現状では、アーカイブズのなかでもっとも要望が高いのはデジタルであることは認めざるを得ない。私のことを書いて恐縮だが、大分県の生涯教育講座でアーカイブズ関係講座を開講しているが、小中学校、高等学校の教員も参加して来る。学校史などといった昔の資料のことなんかではなく、まさに今の活動をアーカイビングしたいという要望の方が高いのである。そうした彼らに、電子情報の脆弱性だけ強調しても、あまりよい結果にはならないだろう。もちろん、脆弱性は嫌というほど強調しているが(とくにマイクロフィルムとの対比で)、その上でデジタルアーカイブも取り込まねばならない。もちろんデジタル化とボーンデジタルの違いも充分注意喚起した上で。ただし、授業内で一定の指導ができる大学院の「入門講座」としては、本書くらいの強調がよいのかも知れない。
 「3 アーキビストの倫理を考える」では、1999年のマイケル・ローパー氏の講演の提言を引用し、アーキビストの確立に必要な4要件のうち、倫理問題を取り上げ、ICAのアーキビスト倫理綱領を解説している。前文でICAは国際NGOであって、内政干渉しないという前提の立場を明らかにした上で、本文、解説、それに小川氏の「翻案」が付されている。この翻案は、やや抽象的な本文に対して具体的な例示をして理解を助けるためのものであるが、小川氏の強調したいところも窺われる。たとえば、第8条の本文と解説には、個人的収集の禁止、資料の商品取引関与の禁止なども書かれているが、翻案には「アーキビストは、専門家として一般利用者とは異なる特権的資料アクセスが可能です。しかし、これはあくまで一般利用者へのサービス提供の準備のための特権ですから、一般利用者と同列の研究を行うためにこの特権を利用してはならないのです」とあり(p158)、もっとも強調したい点が奈辺にあるかが窺われる。

 第四部は、参加した大学院生の五編の小論の寄稿よりなる。授業での最終レポートであるとのことである。本稿の紙面の関係もあり個々には割愛したいが、各編ともよくまとまっている。半期の授業の成果としてこのようなレポートが出ていることからは、定着効果と応用効果があがっていることが窺われる。

 さて、全体を通して、この本を大学(大学院)でのアーカイブズ教育のテキストとして読もうとすると、どのような教育目標、カリキュラムの中で位置づけられるだろうか、ということが気にかかる。本書が大学院での「入門講座」(あるいはそれを反映したもの)であることは、冒頭にあげた「あとがき」から明白であるが、大学院全体のカリキュラムや教育目標などが筆者には判らないので、一般教養としての「入門講座」か(これはないであろうが)、どのような情報に関するプロあるいはスペシャリスト教育としての必須のものとしてのそれなのか、この上にさらに教育が継続するのか、という点が気にかかるのである。
 他に関連する授業があるのかが判然としないため、断言は避けたいのだが、例えばデジタル文書に関しては、世界的な動向や、基本的な問題点はかなり的確に理解される内容となっていると思う。しかし日本の法的・政治的環境や状況については全く触れていない点は少々物足りない(いわゆるe-ガバメント、高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部とその国家戦略、総務省「電子政府・電子自治体推進プログラム」、行政手続IT利用法、IT一括書面法、電子文書法などのこと)。情報学環の別の授業で用意されているのかも知れないが。
 その一方で、記録についての高度な慧眼(見抜く力)を育てようとするその姿勢は、アーカイビング(レコードから選別してアーカイブズにすること=保存すること)能力を重視しているとの印象を得た。もちろんこの方がより根本的な能力の教育であることはいうまでもない。
 参加学生の感想やレポートを入れることで、教育効果を知るには非常に有効であると感じたが、レポートではともかく、その他の所は、特段実名にする必要もなかったのではないかとも感じた。学生の感想なら、私の手元にも結構蓄積されている。しかし私なら、彼らの感想を実名で出すことには躊躇を覚えたであろう。教育途上の学生の認識はこれから変わっていくことを期しているからである。
 本書は大学院での「入門講座」としては、大変有用であるとことは特に明記しておきたいと思う。その前段階の大学で使用するには、ある程度のプレ教育を行った後が良いように思われるが、このことについては紙面もつきたので、ここで擱筆しておきたい。


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