小川千代子+阿部純・大川内隆朗・鈴木香織・研谷紀夫著
『アーカイブを学ぶ−東京大学大学院講義録「アーカイブの世界」−』
評者:加藤James
掲載誌:「記録と史料」18(2008.3) (全国歴史資料保存利用機関連絡協議会)


 本書は国際資料研究所代表の小川千代子氏が東京大学大学院情報学環において同大学院の学生を対象に2005年度から開講されている「アーカイブの世界」をもとにしたものである。
 副題に「東京大学大学院講義録『アーカイブの世界』」とあるように、本書は2005年度の講義をまとめたものが中心であるが、特徴は同講義を受講した学生のレポートが本書を構成する上において重要な役割を果たしている点である。
 本書の構成は以下の通りである。

第一部:アーカイブを知る
1.アーカイブとは
2.記録とは
3.情報と記録の発生と蓄積
4.文書事務の基礎知識
5.文書のライフサイクル

第二部:アーカイブを歩く
1.東京大学大学史史料室
  見学レポート
2.国立公文書館
  見学レポート
3.板橋区公文書館
  見学レポート

第三部:アーカイブを問う
1.日本の文書館の法制
2.電子記録の保存とデジタルアーカイブ
3.アーキビストの倫理を考える

第四部:アーカイブを考える
1.国立公文書館設立をめぐる政治
2.民間記録
3.知的財産権と公文書
4.アーカイブの建築
5.東京大学大学院情報学環のアーカイブズ

残すということ
あとがき

 この中で第一部、第三部は小川氏による講義録が中心となるが、第二部は講義の一環として行ったアーカイブに関する見学施設についての紹介と受講者の見学レポート、そして第四部は受講者によるレポートとなっている。
 このような、一方向の講義録ではなく、そこから受講者が何を感じ、何を考え、何を学んだのかについて理解出来るのが本書の特徴である。

■第一部:アーカイブを知る
 第一部は小川氏による講義内容となるが、初めて「アーカイブ」という言葉に接する者でも、その言葉の意味について理解することの出来るほどの基本の書となっている。
 「アーカイブ」という言葉がカタカナ語で広く普及しているという現状は、この言葉について考察する上で非常に重要である。日本語のカタカナ表記だけでも「アーカイブ」、「アーカイブス」、「アーカイブズ」と三種類が殆ど同様の意味で存在し、さらに未だ適切な日本語が付されていないことは、この言葉に対して日本が未だ発展途上であることを意味する。
 本書では、その言葉の意味を英語による表記の違いから、それを日本においてどのように用いているのか、まで丁寧に解説している。また、文章や発言、行動の結果が「記録」されていく過程をいくつかの事例をもとに図表などを用いて解りやすく読者に示し、それらの情報と記録を「資料」へと転換していく「アーカイブの三段階」について詳しく論じている。
 さらに、文書事務についての基礎知識から、時として混同しがちな文書館、図書館、博物館の役割や立場、取り巻く法律の違いなどまで丁寧に解説がなされている。
 このように、この第一部においては、大学院での講義という意味合いから、初めて同分野に接する人から、ある一定の知識を持った人までもが、アーカイブを巡る環境を、その基礎から網羅的に学ぶことができる。

■第二部:アーカイブを歩く
 本講義では、授業の一環として複数のアーカイブを実際に見学し、その空気を感じることで具体像を知る、ということを行っている。講義では、東京大学で一般的に安田講堂として知られる大講堂にある東京大学大学史史料室、東京都の中心部、北の丸公園の一角にある国立公文書館、そして、都内の区市町村レベルで唯一の地域文書館である板橋区公文書館の三ヶ所を見学している。
 この第二部の中心となるのは、東京大学大学史史料室に勤める谷本氏、板橋区に勤める三浦氏、そして実際にそれらアーカイブを見学した受講生の声となる。特に受講生のレポートは、アーカイブを専門として活動してきた訳ではない若き研究者が、アーカイブを訪れた際の生きた感想・指摘であり、実際のアーカイブがどのように映っているのかについて知るための記録でもある。

■第三部:アーカイブを問う
 第三部は、小川氏がアーカイブを取り巻く環境と、そこに存在する課題について論じている。具体的には@近代日本の文書館法制A電子記録の長期保存Bアーキビストの倫理の三点である。
 日本においてアーカイブの言葉が日本語化、一般化していない要因の一つに、その概念の新しさがある。第一部でも取り上げた、保管・閲覧機関として図書館、博物館、文書館という文化の三本柱から小川氏は論を始める。
 図書館には図書館法、博物館には博物館法があり、さらに文化財保護法を含めて、全て昭和20年代に成立している。一方、文書館に関しては公文書館法、国立公文書館法、そして情報公開法などが関係するが、それらは公文書館法の1987年に始まり、国立公文書館法1998年、情報公開法1999年と半世紀に亘る時差が存在する。
 公文書そのものの存在は現在に始まったものではないが、それら役所で作成された文章を、公文書として管理する意識が日本には乏しかったことを示す事例である。本書では公文書館法、国立公文書館法について、その設立の背景から内容にまで簡潔に解説している。そして、それを読むことで、氏が述べている国立公文書館法の成立による法制面で国際水準にようやく追いついたことの意義を感じることが出来る。
 第二点目は近年隆盛を極めるデジタルアーカイブについて論じている。紙媒体から電子記録へと変換することで基資料の保存や情報の管理・移動が簡単になったという利点がある一方で、本書ではその保存性に対する関心の低さに警鐘を鳴らす。デジタル化し、ソフト化する一方でハードが壊れた場合に記録を読むことが出来なくなる問題や、情報を保存する側が50年、100年を考える「長期」という概念に対し、企業側が考えるデジタルにおける「長期」が5年程度であるという現実を指摘し、「デジタルアーカイブ」が魔法の杖でないことを記している。
 そして三点目は、日本ではまだあまり馴染みの薄いアーキビストについて論じている。この中で英国のアーキビストであるマイケル・ローパー氏の言葉を引いて、日本のアーキビストが真に「専門家」と呼ばれるにふさわしい条件を満たすには、専門家としての倫理のあり方についての認識を定着させることが要件のひとつであるとしている。その上でICA/SPA国際文書館評議会/専門家団体部会が取りまとめたICA「アーキビストの倫理綱領」を取り上げ、その前文、本文を共に掲載している。そして、さらに各節ごとに小川氏は解説を付し、自らの翻案を提示することで、より噛み砕いた分かりやすい表現を読者に提供している。

■第四部:アーカイブを考える
 本書の特徴である双方向の講義録の部分が最も現れているのがこの第四部である。第四部では、本講義を受けて受講生がアーカイブについて何を感じ、アーカイブをどのように捉えているのか、受講生による最終レポートの形で成果を示している。
 収蔵レポートは、@国立公文書館設立をめぐる政治A民間記録B知的財産権と公文書Cアーカイブの建築D東京大学大学院情報学環のアーカイブズ、の5つである。受講生によるレポートとは言え、感想ではなく、アーカイブを取り巻く状況について調査、考察した成果であり、アーカイブ論の一端を占めることの出来る枢要なレポートとなっている。

■本書を読んで
 本書の持つ第一義的な意味は小川氏によるアーカイブそのものに関する基礎知識を非常に解りやすく解説していることである。その言葉の意味から歴史、取り巻く状況までを丁寧に示しており、アーカイブ研究の入門書として最適である。
 また、実際に国内にあるいくつかのアーカイブ施設を歩き、それら施設の説明、紹介がなされていることも、アーカイブが置かれている現状を知る上では非常に貴重である。さらに、アーカイブの専門家ではないが、研究を志す受講生の意見がそこに提示されていることは、研究施設としての役割を併せ持つアーカイブ施設に対する客観的な評価であり、その声の持つ意味は大きい。
 日本におけるアーカイブの歴史はようやく始まったと言っても過言ではない。本書が示す通り、図書館法、博物館法に遅れること半世紀にしてようやくアーカイブに関する法律が成立したばかりである。しかし、それら法整備も未だ完全とは言えず、アーカイブを取り巻く環境が欧米のそれに肩を並べているとは到底言うことが出来ないのが現実である。
 そのような状況の中で、本書は今後日本が取り組むべきアーカイブの世界をわかりやすく解説し、同時にいくつかの問題提起が内包されている。国家レベル、自治体レベル、大学や文書館などの施設レベルなど様々な場所にそれぞれ今後克服するべき問題は存在するが、それらの問題の解決のためにも、アーカイブそのものに対する日本人の意識を高める必要がある。本書はアーカイブの世界を非常にコンパクトにまとめた本であり、アーカイブを専門とする人のみならず、一般の人にも広く本書を薦めたい。

東京大学大学院学際情報学府博士課程


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