小川千代子・阿部 純・大川内隆朗・鈴木香織・研谷紀夫
『アーカイブを学ぶ:東京大学大学院講義録「アーカイブの世界」』
評 者:柳衛 悠平
掲載誌:「レコード・マネージメント」54(記録管理学会 2007.12)


 本書は、日本における記録管理について、世界的な視野から牽引してきた小川千代子氏が、2005年に東京大学大学院情報学環にておこなった講義「アーカイブの世界」をベースに、講義の受講者らとともにまとめあげたものである。
 はじめに、本書の目次を以下に示そう。

 1 アーカイブを知る(小川千代子)
   1 アーカイブとは
   2 記録とは
   3 情報と記録の発生と蓄積
   4 文書事務の基礎知識
   5 文書館の諸原則
   6 文書のライフサイクル
 2 アーカイブを歩く
   1 東京大学大学史史料室(谷本宗生)
      見学レポート(受講者)
   2 国立公文書館(小川)
     見学レポート(受講者)
   3 板橋区公文書館(三浦喜代)
     見学レポート(受講者)
 3 アーカイブを問う(小川)
   1 日本の文書館の法制
   2 電子記録の保存とデジタルアーカイブ
   3 アーキビストの倫理を考える
 4 アーカイブを考える
   1 国立公文書館設立をめぐる政治(阿部純)
   2 民間記録(鈴木香織)
   3 知的財産権と公文書(大川内隆朗)
   4 アーカイブの建築(研谷紀夫)
   5 東京大学大学院情報学環のアーカイブズ(研谷、小泉智佐子、山本拓司)
 残すということ(小川)
 あとがき

・小川氏の集大成
 小川氏によれば、本書のベースとなった講義は、「アーカイブのことばの定義に始まり、アーカイブの諸原則、アーカイブと記録管理・文書管理の関わり、電子記録の問題、世界のアーカイブ事情などを扱う入門講座」(本書209頁)とされている。また、小川氏の執筆分については、「主に以下の拙著にもとづいて作成した講義ノートをもとに、本書のために加除修正したものである」(本書4頁)としている。以上の点からも明らかなように、本書は日本の記録管理について新しい論点を提示することに主眼を置いたものではなく、今までに多くの学生を記録管理の世界へと誘ってきた小川氏の営みの集大成という性格が強い。この点を踏まえながら、本書の内容を以下において紹介する。

・暗黙の意義申し立て
 第一部では、記録管理のあり方について学ぶ上で不可欠な概念(アーカイブ、文書のライフサイクル等)について、整理を試みている。
 小川氏のアーカイブ論を特長付けているのは、アーカイブという言葉のもついくつかの意味のうち、「情報を固定化する」という動詞の用法を重要視しているという点である。この認識に基づき展開されるのが、「情報の宇宙と記録保存」論(26−31頁)である。この論は、我々を取り巻く「情報という見えない霧のようなもの」を記録として固定化し、保存をしていくのがアーカイブという行為であり、行為の対象となる情報は、「記録」「保存記録」「整理済み記録」という三段階を経験するというものである。ここでは、記録の性質に基づく「現用・半現用・非現用」という区分ではなく、情報を保存しようとする人間の行為に基づく区分となっている点が注目されよう。
 小川氏の「動作としてのアーカイブ」という論点へのこだわりは、アーカイビングという用例を初めて耳にした時のエピソードを紹介しているくだりからもうかがうことができる(15頁)。やや飛躍するが、こうした論点へのこだわりは、制度論(アーカイブ=施設)や記録史料認識論(アーカイブ=資料)を中心に構築されてきた日本の記録史料学に対する、暗黙の異議申し立てのようにも思える1)。

・アーカイブヘの眼差しの深化
 第二部は、それぞれ性格の異なる三館について、実際に勤務されているアーキビストである谷本宗男氏(東京大学大学史史料室)と三浦喜代氏(板橋区公文書館)、および勤務経験のある小川氏(国立公文書館)による紹介、および受講者による見学レポートによって構成される。
 恐らく、本書の順番通りに見学をおこなったのであろう。興味深いのは、徐々に受講者の見学レポートの内容が充実していることである。あくまで印象だが、最初のほうでは外部の視線からアーカイブ施設についてレポートをしているが、後半では記録管理の現状も踏まえた上で、今後の課題と展望を見いだそうという姿勢に深化しているように感じた。

・世界に誇れる記録管理院構想
 第三部では、日本の記録管理をめぐる諸課題について、小川氏による検討がおこなわれている。
 法制については、公文書館法、国立公文書館法をめぐる論点の整理とともに、小川氏独自の記録管理院構想2)について紹介をおこなっている。ただし、入門講座という性格を反映した故か、現法制をめぐる論点整理に紙幅の多くが割かれており、他方の記録管理院構想については、構想図の紹介のみにとどまってしまっている。この表は、小川氏が考える日本の記録管理が果たすべき諸課題について、網羅したものともいえよう。構想内におけるそれぞれの局や部内の各機関について、小川氏の詳細な説明に至るまでには、各局に従属する部門の専門官に相当する専門家達を集め、その意見を集約し、相当の年月をかけての実施を伺わせるよう感じる。しかし、この大局的な構想を打ち立てうる人材が日本に一人存在することの幸運を大いに喜びたい。

・電子記録の方向性
 電子記録については、コンピュータメーカーやソフトベンダーに、少なくとも三十年以上の長期保存という観点が欠如しているという点に警鐘を鳴らしている。小川氏は、紙やマイクロフィルムといったアナログ世界の記録保存に強い信頼を置いており、本書以外の著作3)では電子記録の長期保存についてアナログヘの媒体変換といった「処方箋」を提示している。東京大学大学院情報学環にておこなわれた講義という性格によるのか、電子記録の脆弱性を言及したに留まってしまった。今後は、先進諸国の様々な事例等をまじえた情報を、例えば情報を取り扱う専門業者などが積極的に受発信し、それらを踏まえてアーカイビングの実践に至るまでの具体的なプランを手がけてゆくべきかと考える。

・果たすべき役割、守るべき倫理
 さて、未だ国家資格にはなっていないものの、アーキビストとして自覚を持ち、活動をされる方が日本においても増えつつある4)。ただし、「それではアーキビストとは何か」と問われると、それに答えるのは難しい。本書では、ICA「アーキビストの倫理綱領」について分かりやすく紹介することで、この課題に応えようとしている。
 筆者は、こうした「倫理」をめぐる検討は、非常に重要であると考えている。アーカイブに関する文献調査をおこなおうとした際に、その多くが「未整理の古文書があった場合には、こう整理する」や、「電子記録の場合には、こう整理する」といった「マニュアル的」なものとなっているように思われる5)。記録史料学の古典が『アーカイブズの編成と記述のためのマニュアル』(Manual for the Arrangement and Description of Archives 6))とされるように、記録管理の進展は絶え間なきマニュアルの更新過程であるという見方も可能であろう。ただし、マニュアルに基づき記録管理をおこなうのは、他でもない人間である。そうした人間、アーキビストが果たすべき社会的役割、守るべき倫理について、もっと議論が蓄積される必要を感じる。かかる観点に立つ時、小川氏によって「アーキビストの倫理綱領」が分かりやすい形で広く共有されることには、大きな意味がある。
 
・アーカイブの諸側面
 第四部は、アーカイブをめぐる五つの論点について、講義の受講者である六名が執筆した各論となっている。
 阿部氏による「国立公文書館設立をめぐる政治」では、大久保利謙氏の論文を手がかりとし、国立公文書館が設立されるまでの道程を、主に歴史学界からの働きかけを視野に入れながらまとめている。阿部論文における最大の論点は、公文書が学術資料(=歴史資料)としての価値のみ注目されてしまい、それ以外の価値について議論が深まらなかったという点である。
 本論文では、この論点に関してそれ以上深められていないものの、阿部氏の提起した問題は重要である。すなわち、歴史学以外の文脈において、公文書ないし文書がいかなる価値を有するのかという検討が必要となってくる。より多くの分野より、記録管理の世界での議論へのコミットメントを促すためにも、是非とも「公文書をめぐる政治」のような形で論点を深めてもらいたい。この論点については、かねてより公文書管理の価値をしっかりと理解されているように見受けられる、福田康夫氏が組閣した今だからこそ、人権尊重を進める民主主義国家として海外諸国より認知されるレベルとなるためにも、心して取り組み、推進していくべき課題であろう。
 鈴木氏による「民間記録」では、公文書以外のアーカイブである民間記録に注目している。こうした民間記録の扱いについて、イギリスの事例の紹介と、文化財保護法との関係、そして現地保存の原則について触れている。
 日本における文書館の多くが、公文書以外にも民間記録を所蔵ないし寄託している。こうした民間記録を持っていることにより、文書館が地域に果たすべき役割はどうなるのかは、今後も一層議論の蓄積が必要な分野である。多くのアーキビストがこうした議論に参加し、現在も試行錯誤を重ねている。そうした蓄積も消化しつつ、さらなる論点の深化を期待したい。
 大川内氏による「知的財産権と公文書」では、公文書の利用に関わる法的な制約について、整理をおこなっている。
 現在、文書の公開については、個人情報保護法を含め、多くの課題が存在している。大川内氏が整理した一つ一つの法令の内容を熟知した上で、公開のための適切な方法を協議し、対応していく必要があろう。

・新しい視点からのアーカイブ像
 研谷氏による「アーカイブズの建築」では、アーカイブズ施設を建築という観点から、二つの軸(新規/既存の建物か、文書館専門/併設の建物か)に基づき四つのタイブに分類している(本書190頁、表1参照)。その上で、デジタルデータを保存・公開するためのサーバーやパソコン、そしてデジタルデータを作成するための機材を設置するスペースが、今後充実されるべきという論点を提示する。
 この点について、筆者はアーカイブズに勤務する方々が、デジタルデータに関する一定の情報を得ることこそが重要だと考えている。確かに、機材等を導入できるにこしたことはないだろうが、扱い方を十分に把握できなければ、それらの機材を有効に活用することは出来ない。重要なのは、例えば信頼できる業者などから、機材等に関する情報を十分に得ておくことではないだろうか7)。デジタルデータをめぐっては、データを収納するサーバーの設置場所も含め、その多くを外部に委託することが可能となっている。医療の世界における「インフォームド・コンセント」(医者と患者が相談しあって、医療方針を決めていく方法のこと)にもなぞらえることができるが、業務を委託するアーカイブズ側もデジタルデータについての十分な情報を持っておくことで、業者と相談しながら十分なサービスを利用することができると考えている。
 また、研谷氏が提示したもう一つの論点が、アーカイブズ施設における人的管理、収蔵物管理、庁舎管理を三位一体で捉えるだけではなく、人的管理、収蔵物管理と庁舎管理とを分けて考える必要があるという点である。この点については、研谷氏が本論の最初でおこなったアーカイブズ建築の四類型の整理とも対応しており、それぞれの類型が持つ限界を止揚するための視点を提示しようとする試みと言えよう。
 さらに、建築という観点から捉えることにより、「表象としてのアーカイブズ施設」といった論点も出てくるのではないだろうか。後記にて研谷氏は「建物や場所・空間と記録史料との連携の視点が今後も益々必要になる」と指摘しているが、収蔵されている資料や建物も含めて、地域の文化資源として定着・活用していくためにも、事例報告や議論などが蓄積・公開されていく必要があろう。

・資料の記述をめぐって
 研谷、小泉、山本三氏による「東京大学大学院情報学環のアーカイブズ」では、情報学環が所蔵するアーカイブ資料について、その概要を紹介している。
 記録史料学(アーカイブズ学)における大きなポイントの一つに、記録史料の記述(Description)があげられる。記録史料の記述をめぐっては、例えばISAD(G)の評価などをめぐって、日本でも多くの議論が積み重ねられている8)。本書においても、所蔵するアーカイブ資料の概要についての記述を試みるだけではなく、例えば記述の方式をめぐる世界の動向を紹介した上で、それらを踏まえて記述をおこなうという方法は難しかったのだろうか。こうした記述は情報として非常に貴重であるだけに、アーカイブ資料の概要の紹介にとどまってしまったことが惜しまれる。紹介されたアーカイブ資料の本格的な記述を、是非とも期待したい。

・記録を残す力、記録が持つ力、記録を活かす力
 終章では、「残すということ」と題して、小川氏による議論の総括がおこなわれている。ここでも繰り返されているのが、「残す」という行為があってはじめて、アーカイブと呼ばれる資料や施設が存在できるのだという視点である。本論にて強調されているのは、この「残す=アーカイビング」という行為には、相応の力が要求されるという点である。この力は、例えば公文書の保存をめぐる権力の存在があげられるだろうし、自身の生まれ育った地域の共同性を維持するために、古文書を保存してきた努力9)などがあげられるであろう。
 さて、小川氏は「力あるものが記録を残す、これは、民主主義のツールとしてのアーカイブという定評を突き崩す目線である」(本書206頁)とも述べている。筆者は、「残す」という力によって保存された資料には、何かしらの力が「帯電」しているというイメージをもっている10)。小川氏が指摘するように、この力は決して民主主義や人権保護のためだけに機能するのではなく、それとは逆の方向に作用する可能性もおおいにある。資料のもつ力をより良い方向へ向けるためにも、記録と政治・社会をめぐる構造11)を明らかにし、アーカイブ施設が法的に独立な機関として確立する権利をもつことなども視野に入れながら、国民と国家の双方が絶えず軌道修正をおこなっていけるように出来る仕組みづくりの努力が必要であろう。
 繰り返しとなるが、かかる課題を達成する上で、先ずは小川氏の提案された記録管理院構想を検討することが、有効な方法の一つだといえよう。

・「アーカイブを学ぶ」最良の一冊
 最後に、本書を通しての感想を述べて、締めくくりとしたい。
 記録管理をめぐっては、最近多くの書籍が上梓されており、インターネット上で公開されているPDF文書等も含めると、学ぶ上で収集すべき情報は膨大である。かかる状況は、−方では層の充実ということで大いに歓迎すべき事態ではあるが、他方で初学者にとっては、どの書籍から読み始めればよいのかと途方にくれてしまうのではないだろうか。
 本書は、そうした初学者にとっても、まさにアーカイブズの本質を理解する上で格好のバイブル的書物と位置づけることが出来よう。本書の内容を十分に消化することで、例えば『入門 アーカイブズの世界12)』や『アーカイブズの科学13)』を読む際に、一層深い理解ができるのではないだろうか。かかる意味においても、本書は今までに多くの学生(かつて筆者もその一人であった)を記録管理の世界へと導いてきた、小川氏の営みの集大成と評価することができる。
 また、講義に参加した学生が執筆に参加をしているという点を高く評価したい。現状では、記録管理に関する専門雑誌も少なく、学生が自身の研究を発表する機会がなかなか持てないのが現状である。学界の発展には、より多くの若手研究者の参加が不可欠であろう。例えば、国文学研究資料館アーカイブズ研究系主催のアーカイブズカレッジ修了論文をはじめ、雑誌等にて公表されていない若手の研究成果は実は多く潜在しているのではないだろうか。本書の上梓を契機として、学生をはじめとする若手の研究発表の機会が一層増えることを、強く期待したい。
 ただ惜しむべきは、「アーカイブの本」としてまとまっている点である。筆者は、アーカイブ学は固定した領域ではなく、資料をめぐって様々な分野の人間14)が議論し合う、相互乗り入れの場としてイメージしている15)。よって、本書が東京大学大学院情報学環より誕生したという話を聞いて、従来の記録管理をめぐる議論の場からは出てこなかった、斬新な視点が次々と出てくるものと期待していた。「無いものねだり」となってしまうが、執筆を担当された大学院生諸氏は、自身が大学院にて学んだ様々な知見を資本に、記録管理のあり方を再構築する斬新な試み等を今後積極的におこない、是非を問わず、それらを掲載していっても面白いのではないだろうか。これは、我々読者に課された課題でもある。
 とはいえ、本書は「アーカイブを学ぶ」上で最良の一冊であることは間違いない。是非ともご一読を薦めたい。

注・参考文献
1)ただし安藤正人「アーカイブズ学の地平」(国文学研究資料館史料館編『アーカイブズの科学』(柏書房、2003年)所収)においては、制度論や編成記述論を包摂するものとしてアーカイブズ管理研究を想定しており、必ずしも制度論以外の分野が捨象されてきたわけではない。また、青山英幸も制度論とアーカイバル・コントロール論は唆別している点を付言しておきたい。青山『記録から記録史料へ』(岩田書院、2002年)
2)筆者が把握している限りでの当構想の初出は小川『DJIレポート』国際資料研究所(2005年)である
3)例えば、中島洋編著『デジタル情報クライシス』(日経BP企画、2005年)所収の中島洋氏との対談を参照
4)アーキビストとしての国家資格ではないが、アーカイブズと密接に関連する資格(例えば日本画像情報マネジメント協会による文書情報管理士や日本デジタル・アーキビスト資格認定機構によるデジタル・アーキビストなど)が出てきていることにも注目したい。
5)ここでは、工学的学問(エンジニアリング)と教養的学問(リベラルアーツ)との対比を念頭においている。姜尚中、宮台真司『挑発する知』(双風社、2003年)参照
 ドイツにおけるハンス・ブームスの存在等を踏まえると、記録管理の世界を工学的側面でのみ解釈するのは片手落ちではないかと考える。この点に関しては、丸山真男のいう記録管理における「ササラ」の部分が、日本には十分に導入されなかったのではないかという見通しを持っている。この「ササラ」部分の探求については、後日に期したい。
6)S.Muller,J.A.Feith,and R.Fruin,Manual for the Arrangement and Description of Archives, 1898
7)かかる観点において、筆者は業者による積極的な情報公開が重要になってくると考えている。アーキビストと業者との情報共有を積極的に図る場の創設こそが、今後の課題となろう。
8)例えば、アーカイブズ・インフォメーション研究会編訳『記録史料記述の国際標準』(北海道大学図書刊行会、2001年)など
9)冨善一敏らによる記録史料管理史研究の蓄積を参照
10)筆者は、この「帯電」している力については、ドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミンが提唱した「アウラ」に近いものなのではないかとも考えている。W・ベンヤミン(佐々木基一編集解説)『複製技術時代の芸術』(晶文社、1999年)参照。この論点をめぐっては、別稿を期したい。
11)この点をめぐって、小川氏は「文化のモノサシ」という表現を用いている。
 筆者は、社会学者の北田暁大の議論を踏まえ、日本における「文化のモノサシ」の特長の一つに、自身の行為を過去や歴史に基づき反省する文化の欠如があると考えている。かかる「モノサシ」を克服する上でも、民主主義のツールとしてのアーカイブは大きな社会的な意味を有すると考える。北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』(日本放送出版協会、2005年)参照
 また、この北田氏の議論も組み込んだアーカイブ論は、日本における文化状況論(例えば批評家、東浩紀のポストモダン論)等も消化する必要があるため、今後の検討課題としたい。
12)日本アーカイブズ学会・記録管理学会編『入門アーカイブズの世界』(日外アソシエーツ、2006年)
13)国文学研究資料館史料館編『アーカイブズの科学』(柏書房、2003年)
14)ここでは、アーカイブ施設や大学に所属する研究者以外にも、例えば業者やアーカイブを利用する地域の市民なども含めることを想定している。
15)記録史料学アーカイブズ学をいかにデザインするのかは、今後議論を積み重ねていくべき点の一つである。前掲、安藤・青山両論文を参照。

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