悪党研究会編『悪党の中世』
評者・高橋 修 掲載誌・歴史学研究No739(2000.8)


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「悪党研究会」に参加する諸氏による論文集『悪党の中世』が上梓された。この研究会は,1988年,東京の若手中世史研究者を中心に組織され,「悪党交名注文」の原本(写本)や文献の講読・研究発表等の活動を今日まで継続し,悪党とその時代についての議論の場となってきた。そこから生み出された研究成果を論文集として世に問うたのが本書であり,刊行された1998年は,同会の指導者佐藤和彦氏が還暦を迎える年にあたり,会創設10周年の節目の年でもある。
 まず本書の目次を示そう。なお本来なら続けて各論文の要約を示すべきであろうが,論文本数が多いのでそれは割愛し,本論の中で必要に応じて内容紹介を行うにとどめたい。
(目次省略)
 以下,数点にわたって,本書に接しての率直な感想を羅列的に綴ってみたい。ただし私は悪党に関して,かつて限定された史料を通じて関説したことがあるだけであり,評者としては,まったくふさわしくない。言及できる論点は限られ,また理解の至らない点なども多々あるかと思うが,御寛恕をいただきたい。

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 かつて悪党研究は,主として領主制の問題としてとりあげられ,また内乱史についての実証的研究の中で深められてきた。その後領主制論が批判を受け低調となるにしたがって,悪党に関する研究も減少した。70年代の後半に,山陰加春夫氏らにより,「悪党」は特定の階層を示すわけではなく,幕府の訴訟用語であることが明らかにされ,それ以前の研究史の枠組が解体されると,悪党とは何かを改めて問題にし,そこから中世の国家や社会をとらえ直そうとする意欲的な研究が相次いで発表されるようになった。そうした新しい研究動向を主導した渡邊浩史・海津一朗・小林一岳らの諸氏が,本書では,自説を展開し,発展させている点で,非常に読み応えがあった。
 渡邊氏は,本書の序論的役割を果たす「荘園公領制と悪党」で,悪党の発生を荘園公領制の展開から説明し,鎌倉後期,庄園内部からの「本所敵対」悪党の成立により,庄園領主が支配機構を再編せざるをえなくなった状況の画期性を強調する。
 海津氏は,弘安4年(1281)の第二次高麗出兵計画における山城・大和の悪党派兵の意味を,山城国大隅庄・薪庄境界相論の結末とのかかわりから論じる。対外緊張を背景とする平和思潮の高揚により,堺相論に象徴される自力救済の地域秩序が否定され,その担い手たちの一部が検断の対象となり,海外派兵に加えられようとしたという文脈でとらえようとする。
 小林氏は,内乱初期,日向国国富庄周辺で起こった悪党事件を分析し,悪党の実態が,尊氏の領国化,後醍醐天皇による宇佐神宮領興行政策により,既得権を奪われようとした伊藤氏・肝付氏等の日向武士が,当知行を維持すべく峰起したものであったことを明らかにした。そこに,自立化・一円化を目指す私戦が,南北朝という二項対立に収斂し,同時にこの二項対立が地域の私戦に正当性を与え,内乱が拡大していくという循環構造の存在を指摘するのである。
 三氏の論文は,これまでの各自の悪党論を深めるかたちで構想された力作だが,悪党をとらえる視座には大きな懸隔がある。本書の中でも,渡邊氏は海津氏の論を,「徳政」が悪党を生み出したのではなく,悪党の活動によって「徳政」を行わなければならなくなったのだと批判している。「悪党」という言葉が特定の在地の階層をあらわすわけではないにしても,地域社会における何らかの地殻変動が起こり,それが「悪党」と呼ばれる実態を生み出したのか。あるいは国家権力の側が支配秩序の再編に乗り出した過程で,自力救済に象徴される既存の地域秩序が「悪党」とみなされることになったのか。現段階においても,悪党研究を深めて行く上では,重要な論点である。
 近年の悪党研究に一石を投じてきた三者がせっかく一書に顔を揃える機会であったことを考えれば,もう少し自覚的に相互の見解の相違を意識し,議論を闘わせる機会としてもよかったのではないか。

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 庄園景観を復元的に考察し,それを,悪党事件や庄園史の叙述の中に反映させた成果がみられることも,本書の特色の一つである。
 播磨国矢野庄の悪党を庄園景観の変容から描こうとした高木論文は,帳簿類の分析と現地調査とを踏まえ,庄園支配の象徴としての領家方による政所建設の意義を,強調している。状況によってそれに替わる機能を担う名主屋敷の意味もあわせて注目され,政所や白石城の位置など,現地景観に即した比定がなされている。
 また小林論文は,日向国の悪党事件において,庄園政所をめぐる攻防が焦点となっていることに注目し,政所の確保あるいは奪取が,当知行の宣言としての意味を持ったと指摘する。悪党が攻撃目標とした穆佐院政所および国富庄南加納政所,攻防の際拠点となった浮田庄政所・同庄別符跡江方政所については,現地踏査を踏まえて,その場所を比定することに成功している。
 単なる一般的事象として悪党事件を取り上げるのではなく,現地景観の中に,その足跡を具体的に落とし込んでゆく作業は,当該地域の歴史を考え,叙述しようとする際にも重要なヒントになるはずであり,高い利用価値を持つ仕事といえよう。近年,各地で盛んに行われている庄園調査の進展をうけて,悪党事件に即しても,こういった試みが可能な事例は,さらに多く存在するはずであり,こうした研究視角の継承が期待される。

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 近年の悪党研究の進歩は,ある意味では,史料の厳密な読みなおしの上に構築されたといってよかろう。これまで典拠も確認されないまま曖昧に用いられてきた研究用語を再検討し,史料の中での正確な意味を確定することによって,新たな悪党像,中世社会像が形成されつつある。本書にも,新たに史料用語の再検討に取り組んだ成果が寄せられている。
 櫻井論文は,「路次狼藉」が,路次における暴力行為全般にかかわる犯罪名であるため検断沙汰とされ,その背景に悪党問題があったことを指摘している。楠木論文は,鎌倉幕府法における「悪党蜂起」という言葉は,特定集団の武装蜂起をあらわしているわけではなく,治安を乱すものの横行という以上の意味を持たないことを明らかにしている。梶山論文は,『太平記』で「野伏」と呼ばれるものの実態を追究し,交通運輸や商業とのかかわりを強調している。
 こうした地道な作業の積み重ねが,研究の新地平を築いてきたのであり,今後も継承されねばならない営みである。ただし究極の目標は,やはり史料用語の意味を確定した上で,いかに発展性のある研究概念を創出し,議論を深めてゆくかであるはずであるが,そうした取り組みは,本書においてはみられなかった。
 そもそも「悪党」というキーターム自体が,最終的に不明瞭なままで終わっている。そのため本書そのものがどういったコンセプトのもとに論稿を集めているのか,理解することが難しい。渡邊氏のように,悪党を比較的広い時代幅でとらえるとしても,ぜいぜい12世紀半ばから14世紀半ばのスパンの中に入る。とすれば則竹氏が取り上げた海賊などは,同じ「悪党」概念で括ることができるのか。その他,卸旅所や有徳,関所,女性観等,中世の社会相をテーマとした諸論文は,それぞれたいへん興味深い考察ではあるが,「悪党」の問題とどうかみあってくるのか,あるいはこないのか。
 現状において,「悪党」という研究概念をいかに発展性のあるものとして再構築していくか。「悪党」を主題として書名に掲げる本書では,もう少し真剣に議論する場を設けてもよかったのではなかろうか。

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 最後になってしまったが,巻末に収められた「悪党交名注文」は,本書の大きな功績の一つであろう。81通の交名という史料群,のべ2100名にものぼる指名手配者リストの一覧が,研究会の成果として,提示されているのである。解説文中にも指摘されている通り,悪党に関する総体的な動態や変遷,そしてその類型を考える貴重なヒントになるし,交名作成システムを史料学的に検討する手がかりともなるはずである。
 また内閣文庫の甘露寺本「建武記」にもとづく「二条河原落書」の翻刻が,口語訳・注釈とともに収録されていることもきわめて有益である。
 以上,本書に接した私の感想を,思いつくままに羅列してきた。私の関心と専門分野との関係で触れられなかった論稿が多いことが心残りである。御容赦いただきたい。
 「悪党」は,それを取り上げることにより,中世社会のさまざまな側面が見えてくる,まさに時代を読み解くキーワードと言えよう。本書の刊行を一つの契機として,悪党研究がさらに一層進展することを期待したい。

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