著者名:藤田達生編
『小牧・長久手の戦いの構造 戦場論上』
『近世成立期の大規模戦争 戦場論下』
評 者:古野 貢
掲載誌:「日本歴史」710(2007.7)


 本書は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ゆかりの東海地域からなぜ近世権力が誕生したのかについて、継続的に検討してきた織豊期研究会を組織的基盤とする研究の蓄積をまとめたものである。この研究成果については、すでに論集『織豊期の権力構造』の刊行を経て、科研費報告書も出ており、この二冊組の論集は報告書をリファインしたものである。
 中世から近世への時代的転換をめぐっては、これまで、結果的に中世と近世の時代区分をどう行うか、という検討がなされてきたといえる。統一権力の出現を中世以来の領主制の延長とみるか、近世的社会を開いた新たな権力とみるか、ということであるが、こうした観点から、それぞれの権力の権力編成や地域支配方式といった構造的特質から、政権構想といった思想的課題についてまで、幅広く検討がなされてきたのである。しかしこうした研究は、いずれも統一権力として成立した織豊・徳川権力を跡付けるものであり、なぜ彼らが中世から近世への移行を担いうる権力となったか、という点については、必ずしも応え切れていなかったと思われる。本論集はこのような研究潮流に立ち、先に示した課題に対して、中世から近世への転換点として、小牧・長久手の戦いを関ケ原の戦いにも比肩する「天下分け目の戦い」と位置づけて評価をすべく、まさに東海地域をフィールドとする織豊期研究会が、あらためて真正面から取り組んだものである。またこの視座の据え方は、ひとり東海地方を出自とする統一権力の出現を明らかにするというだけではなく、同時代の他地域における権力研究を相互にどう評価し、関連づけるか、という重大な課題への挑戦でもある。
 二冊それぞれの表題をみれば、本書の意図は明らかであろう。上巻では、本研究の前提を序章で示したうえで、小牧・長久手の戦いの構造について実態論、外交論、史料論の面から検討している。下巻では、この戦いを朝廷・宗教勢力論、武具・武器論、城郭論、由緒論によって検討したうえで、近世成立期の大規模戦争と評価している。終章では、中世から近世へ移行する際の戦争史へ、小牧・長久手の戦いを位置づけている。

 上巻序章は、編者でもある藤田達生氏が、本書の課題を「天下分け目の戦い」の時代解明にあるとしたうえで、各論に入る前提について論究したものである。織田信長の権力化は、それまでの政治的枠組みであった室町幕府−守護体制、およびその中核をなす室町将軍権力を相対化し、新たな政治秩序の構築を目指すものであったが、信長権力そのものへの対抗から本能寺の変が起こる。しかしこれは室町幕府体制への回帰とはならず、信長権力の後継争いを元にした豊臣・徳川二陣営の争いとなる。本書はこの両陣営の争いこそが中世の最終段階の戦争、「天下分け目の戦い」であり、近世社会の幕開けを準備するものと評価している。「天下分け目」となったのは、それぞれの陣営に直接関係ない全国の大名・領主もどちらかに加わることが強制され、大合戦だけでなく、全国規模での局地戦が長期にわたり継続し、さらに戦後も国家秩序維持のために戦争が継続されたからである。その意味で小牧・長久手の戦いを第一段階、関ヶ原の戦いを第二段階とし、統一国家成立に向けた戦争であった点では同列に位置づけられているのである。

 実態論では、小牧・長久手の戦いそのものにかかわる諸側面について、検討が加えられている。戦いに関する時系列データベース(白峰)は、このような大規模戦争を整理する上では必要不可欠なもの。研究者による共有化を可能にした意義は大きい。両陣営の外交交渉による包囲網形成にともない戦争が大規模化するとの指摘(谷口央)や、戦争にかかわる武士の在地社会との関係(下村)も明らかにされた。また戦争にともなう陣城・付城などの様々な築城が集落や地域社会の破壊をもたらし(伊藤裕偉)、その結果自然災害が発生して、生産力が衰微したとの指摘(山本)もなされた。
 外交論では、秀吉による家康の臣従過程については、信雄を旧主として尊重しながら屈服させたうえで、家康の実力を認めつつも降伏させ、結果的に信雄領国を崩壊させたとした(跡部)。乱世から静謐へ向かう過程については、東国では天正一八(一五九〇)・一九年に大名・国人領主に一揆も加えて徹底弾圧され、抵抗不能の状態に陥れられた結果、静謐が現出した(立花)。また関東で北条氏と佐竹氏が戦ったように、四国では長宗我部氏と三好氏が戦った(津野)。この地方での戦闘は、中央主戦場の動向を意識しながらの局地戦であり、小牧・長久手の戦いが「天下分け目の戦い」であったことを裏付ける。同様に西国においては、秀吉は毛利氏に対し、城破却や関所の停止など露骨な内政干渉を続けながら、政権への従属を促している(中野)。
 史料論では、北国国分直後の天正一三年に実施された大規模な大名の国替により、豊臣大名が原則鉢植大名となった際、信雄領国でも検地が実施されるが、その実務を担当した能吏の検討(加藤)や、秀吉の朱印使用が、小牧・長久手の戦いにともなう大規模戦争で進行した(播磨)ことから、秀吉はこの戦いによって天下人としての実権を獲得したとの評価も可能である。また合戦時の陣立書が小牧・長久手の戦いで成立したことが指摘されている(三鬼)。従来の中世的一揆結合の秩序に基づく軍隊に、検地によって軍役などを統一的に賦課する方式が導入され、命令系統と上下秩序が持ち込まれた。このことにより、新たな公儀の軍隊が成立したといえる。さらに島原・天草一揆の牢人たちの書付の交換を、幕藩体制成立期における「就職戦争」の側面があったとの指摘(西島)もなされている。

 下巻では、まず朝廷・宗教権力論として、小牧・長久手の戦いがきわめて政治的なものであったため、戦場周辺の大名・領主と同様、宗教権力も他律的に戦争に巻き込まれた(太田)。また天下人として実権を獲得した秀吉に対し、京都や周辺の大寺院が所領安堵を求めて陣中見舞いをする姿(河内)や、かつて信長に対し、延暦寺が宗教権門領主として抵抗したような自律的な姿が喪失しているとの指摘(伊藤真昭)もなされている。さらに小牧・長久手の戦争により秀吉は新たな「国家」を生み出すが、その安全保障体制の構築と維持のために、天皇権威や官位制度を利用するなどして天皇・朝廷と一体化を図り、敵対する大名との関係を制約させるようになる(水野)。
 武具・武器論では、この時期の大規模戦争では、鉄砲が相当に浸透していた(木村)ことに加え、城郭建造物を破壊する威力を持つ重火器の使用が盛んとなり、籠城して外交交渉によって難を逃れるという戦略自体の変更が余儀なくされてきた(藤田)。一方で集団戦の発展にともない、軍隊の把捉・識別のための統一された武装が必要とされるが、統一のための御貸具足制度は、大規模戦闘が終了した近世に入ってから実現したとの指摘(長屋)もある。
 城郭論では、戦時、攻撃・守備的機能を果たす陣城・付城などを敵方の城周辺に短期間に多数構築して孤立化させる戦法が、戦国期から織豊期にかけて全盛となったことの指摘(高橋成計)を前提に、武器の発達や大規模な戦闘を前提とした城郭戦における両陣営の駆け引きの存在(高田)や、戦争結果にともなって、領主や家臣団が城館を中心とする本領からの移住を強制されたこと(竹田)が明らかにされた。また近世社会を生み出す原動力となった大規模戦争での功労者(福島正則)も、近世幕藩制国家に必ずしも一致しないで改易されるとの指摘(福田)もある。
 由緒論では、小牧・長久手の戦いでの戦功が幕藩制国家での由緒とされ、たとえば尾張徳川家で戦争について講釈される(高橋修)一方、この戦いで敵対して存続した大名家は形式的に法要だけ行う(谷口真子)など、近世から近代に至るまで、さまざまな層に大きな影響を与えた。「太閤記もの」の変容(杉本)などと同様、近世社会の起点として、さまざまな記憶として再生産されている。

 終章では、再び編者藤田氏が、豊臣政権が平和政策を基調とする惣無事令を執行して大名間の交戦権を否定することで天下統一が実現し、それを徳川政権が継承するとした藤木久志氏の論説と対置することで、中世から近世へ移行する際の戦争史へ、小牧・長久手の戦いを位置づけている。戦国大名など地域「国家」の拡大、分権化の深化から天下統一がなされるのではない。集権化の契機は、戦国大名相互の相克や成熟した地域社会の積み重ねにではなく、国家権力を構成する幕府や朝廷、宗教勢力などとの関係に求めるべきだとする。この点は、本書が対象とする時代より少し前の時代の、室町幕府の評価をめぐる議論を想起させる。地域社会の積み上げによって「公」が形成されてくるが、これらをいくら積み上げても幕府という「公」にはならない。村落や地域社会の自立性や成長は明らかであるが、そのことと「公」権力の形成とは区別して議論する必要があろう。また豊臣「平和令」とは戦争介入のための名分として用いられたもので、少なくとも地域住民の望む「平和」とは乖離していたとするスタンスは、近年の秀吉による「平和」の到来をイメージさせる研究動向に警鐘を鳴らしている。

 さてそれとは別に、本書には「戦場論」という副題がついている。近年、世界的な安全保障体制への漠然とした不安が、戦争研究をすすめる契機となっていることは終章にも記されている。しかし歴史研究という観点からすれば、武器研究、城郭復元、文書論、絵画資料研究などの分野が個別的に発展している。「それぞれの研究が個別領域に埋没し、戦争論として収斂されるまでには成熟していない」とは藤田氏の言であるが、「戦争論」と「戦場論」の違いについては明確な言及がなかった。科研費報告書等で、「戦場」としての小牧・長久手の戦いについての検討は尽くされたのかもしれないが、本書は「戦争論」としての小牧・長久手の戦いの書であり、必ずしも「戦場論」の書ではないように感じられた。
 また「東海地域からなぜ近世権力が誕生したのか」という本書の根源的な課題に対しては、決め手となりうるような回答は未だ得られていないように思う。もとよりこれは歴史学上の最大の課題の一つであり、本書のような地道な積み重ねがまだまだ必要なのであろう。
 誤読や理解不足は多々あろうが、それはひとえに評者の力不足であり、著者一同のご海容を願う次第である。長年にわたり検討を続けてきた研究会の活動と重厚な成果には圧倒される。今後の中世から近世にかけての研究において、必携の書といえる。

(ふるの・みつぎ 武庫川女子大学非常勤講師)


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