著者名:久保田順一著『室町・戦国期上野の地域社会』
評 者:浅倉 直美
掲載誌:「地方史研究」322(2006.8)

 本書は、『群馬県史』通史編執筆者の一人である久保田順一氏が、一九八六年から発表した論考一三編に、新稿を加えて岩田書院から刊行されたものである。氏はつねに室町・戦国期の上野国における政治状況を丹念に検証され、また、高崎市史・玉村町史をはじめとする市町村史編纂事業に携わるなかでの現地調査に基づいて、上州白旗一揆の動向、関東管領職兼上野国守護の山内上杉氏の守護領国体制、および北条・越後上杉・武田の戦国大名三氏による競合について、新知見をふくむ重要な指摘をされている。一四編の論考については、つぎの通りである。

 序章 本書の課題と方法
 第一部 上州白旗一揆の成立と展開
  第一章 上州白旗一揆の成立とその動向
  第二章 上杉氏守護体制と上州白旗一揆
  第三章 上州北一揆と吾妻・利根
 第二部 上杉氏守護体制と関東の戦乱
  第四章 上杉氏の領国経営
  第五章 享徳の乱と地域社会
  第六章 長野氏と上杉氏守護領国体制
  第七章 上杉氏守護領国体制の終焉
 第三部 戦国大名の競合と地域社会
  第八章 後北条氏の上野進出
  第九章 「関東幕注文」と上野国衆
  第十章 越後北条氏の厩橋支配
  第十一章 上野和田城と上杉・武田の抗争
  第十二章 武田・後北条の領土分割
 第四部 戦国期の町と宗教
  第十三章 戦国期の倉賀野町
  第十四章 戦国期碓氷郡の町と宗教的環境

 本書の前半部分は、上州白旗一揆とそれを構成してきた諸家についての研究および上野国守護上杉氏についての研究である。山内上杉氏の守護体制を支えた「上州一揆」=上州白旗一揆が、上杉氏による再編成で形成されたという従来の見解に対して、白旗一揆を構成する諸家の在地における動向を丁寧に検討されるなかで、白旗一揆が南北朝期に室町幕府将軍直属であり、そののち幕府と鎌倉府の対立が激しくなると京都御扶持衆の一員として組織されていた点を指摘し、山内上杉氏に組織されるまでは自立的に行動していたことを明確にされた。
 また、関東管領上杉憲政の発給文書の年比定、憲政をめぐる政治情況の再検討など、先行研究で十分に考察されてこなかった上杉憲政についての本格的な基本研究を行ったものが、第七章「上杉氏守護領国体制の終焉」である。憲政の越後入りの時期が、通説の天文二十一年ではなく永禄元年八月であること、越山(関東侵攻)の主導権を握っていたのは長尾景虎(上杉謙信)ではなく憲政であったことなど、重要な論証がなされている。山内上杉氏は、なぜ戦国大名として生き残ることができなかったのか。関東管領職を兼ねた上野国守護山内上杉氏が、卓越した地位と力を持ち、他にくらべ有利な条件にありながら、最終的に戦国大名への転化を遂げることができなかった理由は何なのか、この問題関心が久保田氏の研究の根底にある。
 後半部分は、上野国を舞台とした戦国大名の抗争についての研究である。とくに第九章「『関東幕注文』と上野国衆」では、永禄三年長尾景虎(上杉謙信)の越山(関東侵攻)の過程で作成され、戦国期の上野の在地領主層の動向を知り得る基本的史料である「関東幕注文」が、これまで恣意的に利用されがちであったという批判から、東上州の新田氏・足利衆と西上州の箕輪衆で衆の結集に大きな違いがあること、箕輪衆の長野氏については従来過大評価されてきたと指摘する。

 本書で検討されている政治動向は、上野一国に限定される問題ではなく、中世後期地域社会を考えるうえで多くの示唆をあたえてくれるものである。なお、久保田氏の研究のうち、山内上杉氏当主や赤堀・安中・小幡・長野・和田ら上野国衆などの人物に関しては、最近吉川弘文館から刊行された『戦国人名辞典』における氏の執筆項目に凝縮されているので、あわせて御覧いただくことを、お勧めしたい。
 
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