書誌紹介:一宮研究会編『中世一宮制の歴史的展開』
掲載誌:「神道宗教」198(2005.4)
評者:加瀬 直弥

本誌一八〇号で中世諸国一宮制研究会編『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、平成十二(二〇〇〇)年。以下、『基礎的研究』とする)を紹介したとき、その執筆者の一部によって、一宮の諸相を継続して研究していることについて触れたが、今回取り上げる『中世一宮制の歴史的展開』上下巻(以下、『歴史的展開』)は、その際発足した「一宮研究会」の研究活動の成果である。
 前書『基礎的研究』は、その情報の網羅と、編纂代表の井上寛司による研究の方向性の提示によって、国衙機構の把握が主たる目的であった一宮研究に全く新しい視座をもたらした。その『基礎的研究』作成に携わり、問題意識を共有した研究者が主体となって執筆した『歴史的展開』は、そのことからして、新たな一宮論を展開させた画期的な業績と位置付けられる。
 しかしながら、『歴史的展開』の刊行によって、執筆者間の見解の相違による新たな論点も浮上し、一宮研究が未だ発展途上である事実も露呈された。そうした点からも、この『歴史的展開』は「画期」といえ、今後の研究の指針となっているのである。
 今回はこの点を踏まえて『歴史的展開』を紹介するのであるが、論点や諸論文の位置付けについては、『歴史的展開』の上巻で一宮研究会代表の井上寛司が「中世諸国一宮制の現状と課題」という一文を設けているので、詳細についてはなるだけそちらに譲り、ここでは論点を整理しながら説明することに留意したい。そこで、諸論文の分類基準を、1中央における一宮の信仰形態、2地方における一宮のあり方、と大別し、さらに1については、(い)元寇以前、(ろ)元寇以後、に分けて、いくつか検討すべき点について触れることにする。また、『歴史的展開』の意義や問題点については一宮研究会内部でも問題視され、刊行後の平成十七(二〇〇五)年三月十二日・十三日に合評会が行われたので、紹介に当たってはこの議論も反映させるよう努めたい。
 なお、掲載論文二十二本の一覧を下に示したが、今述べたいきさつもあり、全ての論文の詳細に立ち入った言及ができなかったことを予めご寛恕の上ご了解いただきたい。

掲載論文一覧
 上巻:個別研究編
井上 寛司 「中世一宮制研究の現状と課題」
同 「中世長門国一宮制の構造と特質」
榎原 雅治 「三つの吉備津宮をめぐる諸問題」
日隈 正守 「薩摩国における国一宮の形成過程」
岡野 友彦 「中世多度神社祠官小串氏について」
後藤 武志 「伝領からみた熱田社−鎌倉後期から南北朝期を中心に−」
上村喜久子 「中世地域社会における熱田信仰」
鈴木 哲雄 「香取社海夫注文の史料的性格について」
山本 高志 「中世後期における守護河野氏と伊予国一宮」
福島 金治 「中世後期大隅正八幡宮社家の存在形態」
渡邊 大門 「中世後期における播磨国一宮伊和神社の存在形態」
堀本 一繁 「戦国期における肥前河上社と地域権力」
 下巻:総合研究編
  岡田 莊司 「平安期の国司祭祀と諸国一宮」
  上島  享 「日本中世の神観念と国土観」
  横井 靖仁 「「鎮守神」と王権−中世的神祇体系の基軸をめぐつて−」
  田中 健二 「宇佐宮における本家近衛家の家領支配について−宇佐宮奉行とその発         給文書の分析を中心に−」
  井原今朝男 「中世の国衙寺社体制と民衆統合儀礼」
  伊藤 邦彦 「鎌倉幕府「異国降伏」祈祷と一宮−守護制度との関係を中心に−」
  海津 一朗 「異国降伏祈祷体制と諸国一宮興行」
  水谷  類 「「宗教センター」と「宗教サロン」−中世尾張・三河宗教文化圏のダ         イナミズム−」
  大塚 統子 「「一宮記」の諸系統−諸本の書誌的考察を中心に−」
  吉満 史絵 「薩摩国及び大隅国一宮本殿における巻龍柱について−薩摩藩における         近世神社本殿から見て−」

  1、中央における一宮信仰の形態
 (い)元寇以前
 「一宮」文言の初出期である十二世紀前半以前の一宮信仰の前提については、上島論文「日本中世の神観念と国土観」と横井論文「「鎮守神」と王権」に詳しく触れられている。両論文とも一宮選定に当たっては中世神祇が鎮守神へと変質していくという神祇観念の変化を前提としており、そのことを上島論文では宮廷における仏教儀礼を端緒に説明し、横井論文では朝廷の地方神祇への奉幣を取り上げて論じている。合評会でも天皇の仏教儀礼における勧請などの対神祇の所作が、いつから始まるかなどといった問題が活発に議論されており、儀礼を題材とした研究が確立されつつあることを窺い知ることができる。
 ただ、ちょうど同じ時代を対象とし、同様に国司祭祀の儀礼を通して一宮の本質に迫った岡田論文「平安時代の国司祭祀と諸国一宮」では、京都朝廷の地方神社に対する信仰と、
地方における富の秩序維持などを国司祭礼によって確保しようとする動きとの双方向性があったとする。この岡田の提唱した、中央の信仰形態・意識を鎮座地側がどう受け止めていたのかを考えるような研究の方向性は、地方史料の整理が進むことで論の充実が図られるため、今後の充実が期待されよう。
 さて、その岡田論文は、京都朝廷の自己完結的祭祀制度である二十二社制と、国ごとに多様性を持つ一宮が別の原理の上に成り立っており、これを一括して論ずることが困難であることを説く。このことを井上は、「中世一宮制の評価の根幹に関わる重要な論点」と位置づけており、「制度・体制」に対する認識の相違であると結論づけている。井上・岡田間に横たわる一宮制に対する認識の相違は、戦後中世史で盛んに論じられ、かつ一宮制からも説明が図られてきた中世国家「制度・体制」に対する認識の相違にも結びつく。この問題を根本的な論点と見た井上の指摘は、まさに正鵠を射ている。
 こうした説の対立は今後議論が展開されるものと期待して、ここでは対立の原因が、先ほど注目した儀礼に対する見方の相違にあることを指摘しておきたい。井上は、『基礎的研究』刊行以前から、朝廷から民庶までを利益の対象とする個別神事の存在に注目して、一宮の国家性を論じている。これに対して、岡田は一宮で一様になされている儀礼が存在しないことに注目したのである。こうした認識が国家体制の中に組み込まれている形での一宮制の是非に直結していることは非常に興味深い点である。なお、一宮の儀礼に対する評価の違いは、井上が『基礎的研究』で提示した一宮惣社制と、井原論文でこれを批判した上で提唱されている「国衙寺社体制」との論の対立にも関係しているが、このことについては(ろ)で採り上げる。
 ところで、合評会で岡田は、時代の推移によって一宮のあり方が変遷すると指摘し、論文で主張された地域の多様性とは別の視座を提起した。岡田の意図に則って一宮のあり方を明らかにすることは『基礎的研究』の刊行によって不可能ではなくなったが、各一宮の個別事象を把握することは、なお相当労力のかかる作業である。ただ、説の対立を乗り越え、一宮のあり方の本質を解明するに当たっては、2で採り上げるところの、地域社会における一宮のあり方に関する研究の進展状況への理解が、今後の一宮研究にとって重要な意味を持っていよう。

 (ろ)元寇以後
 この時代は神国思想や中世神道論など、教説的な発展がなされ、かつ『歴史的展開』の主要論点とも言うべき一宮興行法も展開された神道史上の転換点であることはいうまでもないが、鎌倉末期から南北朝期の長門国一宮・住吉社と二宮・忌宮社を採り上げた井上論文「中世長門国一宮制の構造と特質」は、これまでの自説に依拠しっつ、中世神道を特徴付ける上述の事象の関連づけを行った意欲作として評価される。ただし、井原論文「中世の国衙寺社体制と民衆統合儀礼」で井上説の批判の上に「国衙寺社体制」を提唱しているため、その基本的理解である、国衙を中心とした国内における一宮の位置付けが論点となっている点には注意しなければならない。この論点とはすなわち、諸国における国司の儀礼内容から、特にその形成期(十二世紀)に一宮・府中惣社の優位性が確認でき、その事例から「一宮惣社制」を提起した井上に対して、井原が免田や年貢下行分など、いわゆる実態レベルで確認した場合にはその優位性が認められず、一宮・国分寺・府中惣社、さらには国鎮守及び郡鎮守が一体となって、国家主宰の民衆統合儀礼を執行している状況が読み取れるため、「国衙寺社体制」の存在が認められると反論していることである。この説の対立については双方とも重く認識しており、井上は「中世一宮制研究の現状と課題」で、「国衙寺社体制」は「一宮惣社制」の一類型と見なせるとし、これに対して合評会で井原が、国衙の対社寺政策を実態レベルで把握すれば結果は自明であると応ずる結果となった。
 論点解決に当たっては、井原が論文で示し、また合評会で強調するように、実態レベルの検討が求められることはいうまでもない。実際、祭祀斎行を示す免田や下行分などの経済活動への表出を指すとするならば、国衙の関わる儀礼は、確かに一宮に限定されているわけではないし、井原論文で建治三(一二七七)年年貢注文(金沢文庫文書)を採り上げて論じられている武蔵国のケースは、一宮の優位が明らかには認められない好例といえる。
 ただ、前項でも述べたように、この相違は、国衙が関与する一宮(惣社も含む)の祭祀神事に対する視点と解釈のずれが原因である。『基礎的研究』以前の段階から井上が重視し続けていたのは、儀礼の中身やその思想的位置付けであり、社会における儀礼の位置づけについても十分な検討をしない限り、両説は平行線を辿るままである。中世儀礼の実態については、宗教的意義も含めて充分議論され尽くされていない面も多く、論者の価値判断によって決められているのが現状である。井上説と井原説を踏まえた形での一宮のあり方を考えるに当たっては、その点を考慮に入れて検討する必要があろう。
 また、井上説、井原論文に共通して言えることであるが、国家的な枠組みを捉える上で、史料上その枠組みが見えない国をどう理解するのかという問題がある。この問題解明には、伊藤論文「鎌倉幕府「異国調伏」と一宮」で指摘されている、鎌倉幕府の一宮の伝統性に対する意識の存在を踏まえることも重要であり、それを踏まえた上での鎌倉幕府側の具体的な政策の意図や、実効性に対する認識などを把握することも求められよう。
 これより後の時代になると全体像がつかみづらくなり、制度としての枠組みを主張するような説は多くないが、その中でも後藤論文は、尾張熱田社において、後醍醐天皇による一宮の本家・領家停止令が機能していたことを解明し注目される。事実この点は合評会の中でも井原によって評価された。後藤自身が今後の課題とした播磨国衙の状況解明が期待される。

  2、地域の中での位置付けに注目した一宮の論考
 この範疇に入る研究は従来なされてきており、『歴史的展開』に採録された論文も数多く充実しているが、これまでの一宮研究と違った方向性、すなわち、全国規模の視点から対象神社を見るという意識の広がりが見出せる。
 例えば、日隈論文「薩摩国における国一宮の形成過程」では、自身のこれまでの研究業績を踏まえつつ、薩摩国内における一宮(枚聞社・新田宮)のあり方ばかりではなく、大宰府や周辺諸国の関係といった、より広い視野から検討を加えており、非常に興味深い内容となっている。国の枠を超えたネットワークについては、尾張・三河を対象とした水谷論文「「宗教センター」と「宗教サロン」」が専門的に採り上げており、一宮を対象としたこの分野の進展が期待される。
 さらに、一宮を中核とした国内神社のネットワークに関する論考も充実しており、特に上村論文「中世地域社会における熱田信仰」は、尾張国内の神社の分布を丹念に集成した労作といえよう。
 このような傾向は、『歴史的展開』の中で層の厚い、室町期における一宮の個別的な動向に関するいくつかの研究にも反映されている。ただ、合評会で会員の長谷川博史が指摘したことであるが、祠官層や一宮に関わる在地勢力と、守護を中心とした幕府や戦国大名との接点が、執筆者が採用した史料から抽出できるかどうかという点については、実態がなお不分明である室町期の一宮解明のためにも、留意すべきであろう。

  3、まとめ
 『歴史的展開』に掲載されている論文の中には、これまで採り上げた以外にも瞠目すべき成果や論点がある。ただ、対象も時代も執筆者各自の問題意識に基づいているため広範となっており、総じていえば一読して一宮が何たるかを考えるための論集と言うよりは、中世の一宮で何が起きていたのかという点の確認材料という位置付けになろう。
 こうした性格を持つ『歴史的展開』を的確に一言で評することは難しいので、最後に、評者個人の興味のままに、全体を俯瞰して考えた点を一つだけ述べることで締めくくりたい。それは儀礼を通じた一宮の役割追求の必要性である。その直接的な理由はこれまでの説明の通り、儀礼の解釈を原因とした論点の存在にあるが、さらにその背景に、ここ数十年間の研究動向が影響していると考えるからである。
 現在の歴史研究の一つの風潮として、特に神祇信仰面に見られる理解できない事象については、その探求を図らず非合理のままで、宗教的統制論や宗教論として確立する傾向があることは周知の所であろう。そうした傾向が、宗教的な意義が大きく反映される儀礼の評価を多義的にし『歴史的展開』の論点を生んだものと、評者は受け止めている。それ故、これまでの実証的な研究蓄積と、個別神社研究の進展を活かして、中世儀礼論というテーマを解明する意欲のある研究者には、是非ともこの『歴史的展開』の諸論考をお読みいただきたいのである。
 
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