梅沢 太久夫著『城郭資料集成 中世北武蔵の城』
掲載誌:日本歴史677(2004.10)
評者:佐脇 敬一郎


 本書は、長年、北武蔵(埼玉県)の城館跡調査を進めてこられた梅沢氏の、同地域における研究の集大成である。

 本書の構成は、第一章で、まず十四世紀から十六世紀までを合戦の原因や主体者にょって四期に分類し、城館の使用された背景となる、それぞれの時期に発生した合戦の状況を、城の配置図などを駆使して概観している。次に、北武蔵の城館跡を、占地地形や縄張・構造をもとに六タイプに分類し、城館跡とその使用時期、状況を結び付けて考察することで、両者の関連性とその背後に見え隠れする築城技法、築城者を読み解こうと試みている。

 続く第二章は、城館跡の遠景、現況・発掘調査時の遺構写真や概略図等を交え、北武蔵主要城館跡の個別解説がなされていて、本書の大半の紙面が費やされている。

 第三章には、同地域における合戦や城館に関する文献史料一覧表、埼玉の中世城館跡地名表と参考文献が載せられている。

 本書には、戸塚城跡(川口市)の発掘調査の成果や、小瀬戸城跡(飯能市)といった近年城跡として報告されたものなど、対象地域における最新の城館跡情報が掲載されている。また、使用されている写真は、遺構の規模、現況等のわかりやすい構図のものが採用されている。写真と概略図とあわせて見ることで、読者は城館跡に足を踏み入れたことがなくても、ある程度防禦遺構の規模、配置がイメージできるのではないだろうか。以上の点や、巻末の文献史料一覧表の掲載により、本書は北武蔵における城館研究をさらに一歩進んだ段階に引き上げる力作と言えよう。

 しかし、残念な点もいくつか指摘できる。 

 まず、北武蔵では、中三谷遺跡(鴻巣市)、西通T遺跡(上尾市)、小山ノ上遺跡(狭山市)等、近年発掘調査が実施されたことにより、はじめて城館跡の可能性のある囲郭遺構が、数カ所確認されている。こうした事例は、全国各地で報告されており、中世城館の発達を考える上で、貴重な手掛かりになると考えられる。特に文献史料に名が見えていても、場所や遺跡を特定することが困難な南北朝期、もしくはその前後の城館跡、畿内とその周辺地域の史料に見られる盗賊や徳政一揆の用心のため、寺社や在所に構えられた溝・堀等、中世に存在した様々な防禦施設の実像に迫る上でも、これらの調査事例は参考になることであろう。埼玉県立歴史資料館編『埼玉の中世城館跡』(埼玉県教育委員会、一九八八年)でも、このような囲郭遺構は取り上げられているが、概略図が小さく発掘調査報告書にあたらなければ、どのような地形にいかに囲郭が展開しているのか、ただちに理解できないものもある。おそらく、本書の著者ならば、適切な図と吟味された発掘調査時の写真を掲載し、遺跡の概要をよりたやすく把握できるよう取り扱われたことと推測される。

 重要な遺跡以外、館跡には触れない方針で本書は執筆され、囲郭遺構も除外されたようだが、今後の中世城館研究の動向を考えると、このような遺跡にもっと注目されてもよかったのではないだろうか。加えて、遺構が地表面観察で確認でき、発掘調査が実施された城館跡の検出遺構・遺物に関する詳しい図や記事も欲しかった。

 次に城跡の概略図について問題点を指摘したい。本書には多数の概略図が掲載されているが、中には正確に遺構の位置や形状を示していないものがある。たとえば、日野城跡(熊倉城跡、荒川村)は、山頂に三つの郭が並ぶように描かれている。しかし、主郭となる中央部のみが、方形の囲郭として造成されているだけで、北西の3の郭と南東の2の郭は、人工の囲郭として未成形に近い。さらに、同城跡の概略図には、3の郭の先端部分に馬出状(本文では枡形と記述)の部分が描かれている。現地には3の郭の先端部前面を防禦する堀と、その堀を横断し城外へ至る土橋は存在するが、本書で図示されたような馬出状の構造は取っていない。金鑽御嶽城跡(神川町)概略図も、大まかに尾根・斜面上に展開する平場・堀切が描かれていて、形状や配置などが的確に示されていない。ことに、2の郭の北側に延びる尾根上の堀切2は、甲斐武田氏や後北条氏関連城跡によく見られる二重堀切であるのに、一重の堀切として記されている。両城跡とも、十五、六世紀の武蔵において重要な役割を果たした城だけに、遺構の細部に至るまで、できるだけ注意を払って作図していただきたかった。

 城跡の概略図と関連して、著者が提示された城跡の形態分類にも疑問が残る。先に述べた日野城跡と金鑽御嶽城跡は、著者の分類によると、一般的な山城の構造を示す高見城跡(小川町)タイプとして、同じグループに扱われている。金鑽御嶽城跡は、山頂や山腹、尾根上を削り出して平場や堀切が形成された、中規模の戦国期山城であるのに対し、日野城跡は、山頂の平地に方形囲郭を造り出し、その前後の尾根・斜面上を必要に応じて堀切や竪堀、腰曲輪で防禦した台地・丘陵上に見られる城跡の、延長線上に位置づけられる構造と見なされる。高見城跡タイプには、半島状台地を曲輪で分割した岡城跡(朝霞市)まで含まれており、どう見ても不自然なグループ分けという印象を受ける。著者の分類そのものを全面的に否定するつもりはないが、再考の余地は十分あるのではないか。

 第三章の北武蔵城郭を記載した文献史料一覧表については、さらに一歩踏み込んで史料収集がなされるべきであったろう。たとえば、『花営三代記』応安元年(一三六八)六月二十八日条の平一揆による河越館籠城や、『永享記』・『年代記配合抄』の一五、六世紀における北武蔵城郭の動向を示す記述、さいたま市氷川女體神社「大般若経奥書」・『長楽寺永禄日記』の岩付城関連記事、金鑽御嶽城が武田氏に奪われた際『蘆田記』に見える依田信守・信蕃の同城在城の記述など、北武蔵における基礎的な城郭関連史料が、少なからず未収録である。

 総じて、北武蔵の城館跡の現存する遺構や、発掘調査によって検出された遺構・遺物、合戦や城館に関する文献史料の分量と、著者の城館調査の経験を考慮すると、その内容を、たとえ基礎資料集とはいえ、一冊に詰め込むのはいささか無理があったように感じられる。むしろ、城館跡に対して考古学的なアプローチに重点を置き、前述した囲郭遺構や個別城館跡の発掘調査結果の記事を増やした方が、より手応えのある資料集が出来上ったのではないだろうか。さらに、長年の調査・研究から著者以外に知り得ない貴重な情報も、本書では紙面の都合により省かれているかもしれない。今後の著者の研究活動に期待したい。
(さわき・けいいちろう 戦国史研究会会員)  


            
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