悪党研究会編『悪党の中世』 悪党研究の問題設定と今後の謀題―悪党研究会編『悪党の中世』を読んで― 評者・大竹雅美 掲載誌 つぶて(悪党研究会:練馬区高野台5-9-5 渡邊浩史方)2(99.7) はじめに 本論集は、悪党研究会発足十周年目に刊行され、かつ佐藤和彦氏の還暦を祝う記念論文集となった。評者は、この論集を研究会内部から、出来る限り厳しく見ていきたい。 論集の構成は、左記に掲げる如くである。序章は悪党研究の整埋と今後の課題を論じ、一章〜三章には「荘園・流通・内乱」と題し、各論文を収める。四章は共同研究作業で、教科書にも掲載される「二条河原落書」を読み解く。また「悪党交名注文一覧」を付す。巻末には「悪党関係文献目録」を載せる。 なお、論文内容によっては全てないし、二章構成に跨るものもある。ここ数年で悪党研究の視点が増加し、進展した結果ともいえよう。 また全ての論文が、必ずしも悪党に関するものとはいえないが、将来的に「悪党」と開係する可能性を秘めたものや、時代を越え論究されたものもあり、グローバルに「悪党」を捉えた論集となっている。 以下、内容等から一部順不同となるが、章毎に各論文を評し、今後の悪党研究の問題と課題を、評者なりに考えてみたい。 (目次省略) 序章「荘園公領性と悪党」筆者渡邊氏は、悪党研究の最大の問題点を「そもそも悪党とは何なのか」という、根本的問いかけに問題があるとし、従来指摘されてきた「悪党の姿の多様性」をトータルに考察すべきである、と説く。同時に、一側面のみから悪党研究を進める事に対し、批判的立場をとられる。 この事は、海津論文に対する批判とも受け取れるが、同時に鎌倉末期に主眼が置かれる為に、それ以前の悪党を顧みなくなる危険性をも示唆している。 渡邊氏自身も早くから、様々な角度で研究を進める必要性を強調されており、氏の言葉を借りるなら、それは〔キーワード〕であり、今後の悪党研究の課題となる。ここに〔キーワード〕のみを羅列すると〔荘園公領制〕や〔殺生禁断〕イデオロギー、及び〔徳攻〕等が時代的に挙げられ、用語としては〔当知行〕や〔流通路支配〕及び〔本所敵対〕があり、さらに本論集の〔路次狼藉〕や〔悪党蜂起〕及び、拠点となる〔政所〕や〔城郭〕等もあり、当然〔海賊〕や〔野伏〕も含まれる。 さて、悪党をトータルにみるべきである、と述べられた渡邊氏だが、悪党自体は捉えたものの、逆に悪党を捕らえる側の研究、近藤成一氏の「悪党召し捕りの構造」(『中世の発見』所収、吉川弘文館・一九九三)については、一言もされておらず、この点はやや気にかかる。 とはいえ、全体的には南北朝動乱を、荘園公領制の転換期と捉え、民族史的な転換期と捉える網野氏を批判し、社会構成史の観点から捉え直すべきと論じたり、国衙領研究を構造論・機能論の双方から考察する必要等を指摘された事は、広く悪党研究者以外にも提唱したといえよう。 強いていえば、研究史整理の煩雑化及び、紙幅等の関係からか簡略化されている点が措しまれる。 (中略) 本論集の第一の待徴は、広く「場」の問題を捉える構成となっている。その一つを表す『荘園』が、一章のテーマだが、悪党を論ずる際に一言で「場」は捉えきれず、様々な「場」の意味を考える必要がある。 狭義に捉えれば「拠点」に過ぎないが、広く面として捉えると、それは「地域」になるだろう。 「拠点」には、政所や城郭といった支配拠点もあれば、旅所や祈祷所といった信仰や宗教に絡む拠点もある。 「関」や「路次」は、交通路の一拠点を表すが、二章の『流通』を象徴する拠点でもある。また、境界的な「場」の意味も強く持ち得、そこには相論や狼藉問題等が絶えず発生し、それが拡大すれば『内乱』にもつながる。 本論集の章構成『荘園・流通・内乱』は、悪党研究の問題設定に欠かせないテーマであり、切り口ともいえよう。 第二の特徴は、語句検討により悪党の実態を捉えようとする事で、幕府法上の「蜂起」や「路次狼藉」等の重要な検討や、悪党構成を考察する上で欠かせられない「野伏」や「海賊」等の検討がある。 第三の待徴は、四章の「落書・交名」等の悪党研究の素材を掲載した事であり、今後の課題としてこれら史料の扱い方をどう行うかが焦点となろう。 次に、悪党の今後の問題点を確認したい。 序章の渡邊氏が述べる如く、悪党を一面で捉えずに様々な問題をキーワード=切り口とし、悪党を検討する必要がある。何故なら悪党が多様化しているからである。 また、時代差を含めた時間も考慮し、一定の時期に固執されるのではなく、全時代を様々な視野から捉えることが重要である。 素材となる交名一点一点の分析を行い、様々な問題を整理して「悪党」を総体的に解釈しなければならない。 第一の問題は、悪党の追捕面の問題をどう捉えるかである。悪党には、交名掲載されない悪党(=a地頭御家人の不採用原則、b武家被官の除去等)が存在し、交名だけで実態は捉えきれない事を念頭に置き、交名成立を含め悪党追捕の可否を考える必要がある。 この問題は、近藤氏が検断システムを既に解明されているが、在地側の交名作成にも当てはめられるのかどうか、全体的に検断権を再考する必要があるだろう。 また素材は交名に限らず、落書起請や軍忠状等の様々な史料を含め検討しなければならない。 第二の問題として、悪党認識の問題がある。これは、蔵持氏が指摘された「異」を、どのように捉えるかが鍵であり、自己・他者の認識を考える必要がある。 同時に悪党と海賊をどのように捉えるかも重要な課題といえよう。櫻井氏は、盗賊行為から海上安全保障行為へという変質過程で捉えられたが、ここにも時代差という一つのハードルを設け、再考する余地があるだろう。 第三の問題として、悪党実態をどのように捉えるかである。この点はいくつかに分かれる。 まず構成面だが、梶山氏の考察された「野伏」や、小林氏が指摘される「在地勢力」まで、その範囲は実に多様化している。 当然、ここには「地域」に応じた構成を考える必要があり、一言は出来ない。 次に連携・結合面だが、これはまだ事例が不足しており一概にはいえない。現段階では、播磨悪党と兵庫関悪党及び日向の事例等が挙げられるが、周辺の地域とどのような関係があったのかを考えていかなければならない。 さらに悪党の戦法面がある。この点は偽装工作の他に、風聞・うわさ等の情報所持や流通関与といった面を考える必要がある。 また事件類型を、a境相論=他領住民侵犯行為、b領内反抗=本所敵対悪党に加え、大規模悪党結合問題を、荘園制枠組みにとらわれず広範囲に視点をおき、かつ「拠点」となる「場」の両側面から考える事が大切である。 同時に付随して起きる、@所領所職、A代替わり犯行、B手引きの者・顔見知りの者の存在、C対寺社本所、D本所一円地領、E公武権力の性格変質等の問題に加え、F東大寺寺僧の宗教的な問題やG勧農を含め、逃亡・逃散行為等の様々な問題も念頭に置かなければならない。 このように本論集一冊で発生した問題は、多く見受けられる。これも、序章の渡邊氏の問いかけ「そもそも悪党とは何なのか」という点が最大の悪党の問題点であり、悪党研究の奥の深さを感じるとともに、これらの問題を解決していかなければならない課題であると受け止め、研究を続けていく事が大事である。 その為の作業としては、まず「交名史料集」と、解題論文の作成を目標に、悪党の実態を個別検討していく事が必要なのだろう。 本書を評するにあたり、悪党研究をする事が中世史における重要な課題であり、事例を少しずつ解明していかなければならない事が確認できたように思う。 |
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