伊藤 曙覧著『日本宗教民俗学叢書E越中の民俗宗教』
評者:木場 明志
掲載誌:宗教民俗研究13(2003.12)


 長く研究を続けてきた研究者には畢生の一書というものがある。一九二六年生まれ、四四年に大谷大学予科に入学してまもなく勤労動員の日々を過ごし、四五年九月に復学して同大学文学部および研究科を修められた著者伊藤氏は、その在学中に柳田国男主宰民俗学研究所の同人となり、以来、民俗学一筋に歩んで来られた越中民俗学の泰斗である。富山県史編纂専門委員として民俗編を取り纏めたのを初め、富山民俗の会を率いること累年に及び、数多くの民俗調査と報告書刊行に携わっておいでになった。もう十年も前のこと、評者から一書をお纏め下さる様お願いしたことがあった。三顧の礼を尽くす思いで何度もお勧めしてようやくご諒諾を戴いた。それからの著者の動きは目覚しかった。次々と構想を出され、あれもこれもと新稿・旧稿を提示して下さった。千ページでも収まらない分量に驚きながら、刊行の日の近からんことを祈るのみであった。

 あにはからんや、著者が掲載候補原稿を選び終わったころ、とんでもないアクシデントが襲った。著者の家人が誤って原稿を廃棄してしまったのだった。失意の中から著者が再び立ち上がるには時間が必要だった。その後、不死鳥のように甦ってからは、大冊よりもむしろ選りすぐりの論文集を目指されたように思う。かくして、十年越しに成ったのが本書である。当初の半量以下の五百ページに圧縮された、決して大冊ではない畢生の書である。

 内容は(中略)となっており、四大別のもとにそれぞれを数編の論考で構成する。何のことはない表題であるが、個々の論考の周到さと地方民俗の枠を超える記述に改めて感嘆せざるを得ない。特に、修験道・高野ヒジリ・浄土宗系ヒジリ・真宗高僧などの広範な活動を追いながら、越中の宗教民俗をその一地方的痕跡と位置づける手法は説得性に富んでいる。民俗の広がりの中で論じられる事例は、民俗調査はこのようでありたいという模範が示されているように思う。著者の飽くなき調査意欲は、近時はご高齢によって衰えの自覚に至ったかに窺われるが、どうしてなかなかの意欲を彷彿させる好著である。「柳田学ここに在り」を思わせて、民俗調査は情熱と方法論が大切であると再認識させられる一書といえよう。


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